2019/07/31

私はとくに用事はなかったが、近所の人の家を訪ねてみた。
その人は五十代くらいの女性だった。おそらく夫と娘の三人家族で、大きな白い犬も飼っていたはずだ。
ところがどういうわけか、今は家には誰もいないようだ。まるでその女性だけを残して仲よく旅行にでも出かけてしまったかのようである。
無言で家に上がり込んだ私を女性は戸惑うような目で見ていたが、やがてまるで独り言のようにこう語り始めた。
「やはり連日の暑さの影響だろうか? 夫も娘も愛犬も、みな立て続けにバタバタと倒れて入院してしまった。そのことはなんとなくわかるのだが、入院先がどの病院なのかまでは見当がつかない。はたしてもう元気を取り戻したのか、治療の甲斐もなく全員死亡してしまったのかさえ私にはわからない始末だ。やはり専業主婦という立場は、社会からどこか置き去りにされたような孤独がつきものだし、同じ家族の中でも見下されているのだとひしひしと感じてしまう。だが家族が全員どこかの病院で死亡してしまえば、家庭という牢獄から解放されるとともに何か大切なものを失ったような気分に襲われるのも事実だ。できれば愛犬のリリーくらいは存命であってくれれば、これからの人生にちょっとした張り合いが生まれるというものだが……」
私はそんな事情があるとは知らず、旅行にでも行ってるのだろうと気軽に考えたことを申し訳なく思い、さっそく女性に謝罪した。
だが彼女はもはや自分の世界に没頭しており、私の発する言葉など風の音くらいに無意味なものでしかなかったようだ。
私たちの身の回りで、猛暑はさまざまな人間ドラマを生んでいるのである。

2019/07/30

「牛というのはずいぶん顔がでかいんだな」
私は牧場を訪れていた。牧場を訪れた者なら自然と抱くであろう感想を、そのままなにげなく口に出したのである。
だが何か気に入らないところがあったのか、牛たちが一斉に私を睨みつけた。
「いや、よく見れば体もでかいのだから、バランス的に顔がとくにでかいわけではない」
あわてて私がそう付け加えると、牛たちは一斉に視線をそらして今まで通り草を食べ始めた。
これはうかつなことが云えないな、と私は思った。
やはり人間に飼育されている動物は生き残るための知恵として、人間の話す言葉をよく聞き取って理解するようになるのだろう。
言葉の理解できない牛は餌を食べ損ねることが多かったりなどして餓死してしまい、結果的に淘汰されてきた結果なのかもしれない。
「だが、やっぱり正直なところ顔がでかいのはたしかだ」
私がまた無意識のうちにそうつぶやいたところ、牛たちはまた顔を上げて一斉に私を睨みつけてきた。
私が這う這うの体で牧場から逃げ出したのは云うまでもない。
独り言も自由に云えないようでは、都会を離れて牧場へやってきた意味など皆無なのだから。

2019/07/29

暑さに耐えられないような気分になった私は、森の中を散策してみることにした。
もちろん、近所は平凡な住宅地だから森と呼べるほど樹木の密集した土地は見あたらない。そんなものがあればとっくに切り倒されて宅地として開発されているだろう。
ちょっと遠出する必要がありそうだ。そう感じた私は、たまたま近くのバス停に停車中だったバスに駆け込んだ。
だがしばらくしてから、それは繁華街の方向へ向かうバスだと気づいてがっかりしてしまった。
繁華街には冷房の効いた建物がたくさんあり、たしかに涼しいはずだ。でもそれは自然の日陰を吹き渡るそよ風の涼しさとは似ても似つかない、いかにも健康に悪そうな涼しさなのである。
すっかり肩を落とす私に、近くの優先席に座る老婆が「どうかしましたか?」と話しかけてきた。
私はこれまでの経緯を語り、なんとか森にたどり着いて中を散策したいという思いを打ち明けた。
すると老婆は信号待ちの停車中に立ち上がり、運転手のところへ行くと何やら耳もとに語りかけていた。
運転手がうなずくのが見え、老婆は席にもどってきた。
「ちょっと路線を変更して、森の入口まで行ってくれるよう頼んでおきましたから」
そう微笑む老婆に対し、私は感激して何度も感謝の言葉を述べた。
やがてバスはいつものルートを外れると、しばらく激しく揺れる道を進んだのち、森の手前で停車した。
私はバスを降りると、窓から微笑む老婆に手を振った。
こんな場所の存在を知っているなんて、さすがに年齢を重ねてきた人というのは違うものだ。
今度からは自分で、気軽に運転手にルート変更を頼むことにしよう。

2019/07/28

橋の上を歩いていたら急に怖くなった。
「今この橋が突然落ちたら、私は次の瞬間には水中にいることになるな……」
そんなことはどうしても避けたいと思い、私は全速力で橋を駆け抜けた。
ようやく橋を渡りきったところでふりかえると、橋は依然としてその姿を変えていなかった。
「何だ、橋は落ちてないじゃないか。この糞暑いのに全速力で走ったりして損した気分だ……」
ちょうどそこへ顔見知りのちょっと変わった女が通りかかった。
その女のどこが変わっているかというと、頭の上に常にとぐろを巻いた蛇を乗せていたのだ。
だが今日の彼女は、なぜか頭の上に蛇を乗せていなかった。
これでは他の人たちと変わらない、とくに個性のない平凡な人物でしかない。
だが女の話では、今日も家を出るときはいつものように蛇を頭の上に乗せていたらしい。
ところがあまりの猛暑のせいかだんだん蛇は弱ってきて、つい先ほどとうとう死んでしまったそうだ。
悲しげな顔で彼女が開いてみせたバッグの中には、もう二度ととぐろを巻くこともない蛇が無造作に詰め込まれていた。
彼女は今日の暑さを憎んでいるそうだ。
一生忘れない、とも云っていた。
たしかにそうだろうな、と私も思った。べつに誰が悪いわけでもないが、こんな日もあるのだ。

2019/07/27

これから夏本番を迎えるにあたって、いったいどんな心構えが必要なのだろう?
私はこれまで数え切れないほどの夏を生きてきたにもかかわらず、そんな質問に対して咄嗟に的確な答えが用意できるとは云いがたい。つい考え込んでしまって、口ごもりながら「夏バテ防止のために、睡眠を十分にとって……」などとありきたりなことを語り出すくらいしかできないようだ。
だが心構えができていない人間にも容赦なく夏は訪れ、与えうるあらゆるものを与えるとともに、奪いうるあらゆるものを奪っていくのだ。
できるだけ過酷な夏との遭遇は避けたいものだ。涼しげな川原などに出向いて、バーベキューを楽しんだあとで花火大会を開催、といったスケジュールがもっとも理想的だ。
もちろん雨の場合は中止である。友人たちとの予定がその日しか合わないからといってむりやり決行すれば、にわかに増水した川に全員が流されるという悲劇が待っているのである。
涼しくてちょうどいいくらいだよ、などと軽口を叩いて雨の中で行われるバーベキューは、参加者たちのその後の人生を灰に変えてしまうのだ。
もちろん、台風が接近中の砂浜でバーベキューを行うことも絶対に避けなければならない。
ならばいっそのこと、あらゆるバーベキューを中止にしてしまってはどうか? ついそんな早急な結論を下しそうになるかもしれないが、夏の娯楽としてバーベキューほど時を忘れて楽しく過ごせるものは他にないのだ。誰もが持つ食欲という欲望を中心に据えて、それぞれが役割を果たすことでコミュニケーションを深め、ふと周囲に視線を向ければ非日常的な大自然が広がっている。
そんな経験は他ではかえられない貴重なものであり、天候の変化にさえ気をつければバーベキューじたいにとくに危険が大きいというわけではない。
家を出る前に天気予報をチェックするのはもちろんのこと、肉や野菜を焼いている最中も、ラジオをつけるなどしてつねに天気の情報に耳を澄ませておくのがいいだろう。
もちろん天気予報を聞くことに夢中になるあまり、網にのせたまま放置した肉が炭になってしまっては、本末転倒もいいところなのだが。

2019/07/26

悩みの多い青年が、その悩みの一部始終をつぶやいていた。私はたまたま喫茶店の隣のテーブルでその悩みに耳を傾けていたのだが、私には理解しがたいような複雑な感情のもつれが感じられる悩みばかりで、私にアドバイスをしてあげられる余地はないようだった。
青年は次々とべつな悩みをつぶやいていたが、やがて私にも解決方法が思いつく悩みをつぶやきはじめた。
早速アドバイスをしなくてはと思い、話しかけようとしたところ青年はすでにべつな悩みの告白に移っていた。
せっかく思いのままに悩みをつぶやくことに夢中になっているのに、腰を折っては悪いと思ってためらううちに、青年はさらに次々とべつな悩みをつぶやいていったのである。
「すみません、今つぶやいておられる悩みの七つ前の悩みについて、私は人生の先輩として良い解決方法をアドバイスしてあげられるのですが……」
そんなことをいきなり切り出したとして、はたして青年は「七つ前」というのがどの悩みなのか、咄嗟に思い出せるだろうか?
このような悩みの多い青年は、ひとつひとつの悩みに番号をつけているのでもないかぎり、自分の悩みのすべてを把握することなど不可能なはずだ。きっとただでさえ悩みでいっぱいの頭をさらに混乱に陥れてしまうだろう。
私は声をかけるのをあきらめると、手帳のページをちぎってそこにアドバイスすべき内容をペンでさらさらと書き込み、帰り際にさりげなく青年のテーブルに置いていった。
店を出る直前にちらっと振り返ると、青年はメモには目もくれぬまま悩みのつぶやきに没頭しているようだった。
あの分では、閉店時間まで悩みは尽きないのかもしれない。
その前に店員が空いたカップと一緒にメモを片付けてしまわなければいいが……。
私にはそれだけが気がかりだった。

2019/07/25

オレンジ色に発光する飛行物体が、夜空を右から左へと通過していった。
いかにも夏めいた果実の色を思わせる光だったので、あれがもしUFOだとすればその乗組員たちの住む星はきっと常夏の星なのだろう……そんなふうに思いを馳せていると、私もまたその星に行きたくてたまらなくなった。
「だが地球にはそんな素敵な星へとみずから出かけていくための手段が、まだ誕生していないようだ。そう考えてみると、すでに膨大な歳月が流れていると思いがちな人類の歴史も、実はまだほんの赤ん坊の段階に過ぎないのかもしれないな」
私はそんな厳しい現実に直面して、思わずため息をついた。
思わずUFOに向かって手を振って、ヒッチハイクを試みようとしてすぐに思いとどまった。
「宇宙人に誘拐されてさまざまな人体実験の材料にされたり、何らかの機械のようなものを体に埋め込まれたりといった報告は後を絶たない。たとえ常夏の夢のような惑星の住人であっても、向こうから見ればこちらは観光客としてさえ歓迎対象ではない、ただのネズミやニワトリのような存在の可能性がある。うかつに接近を試みるのも考え物だ」
常夏の惑星のことは、今はただ心の中の夢の状態にとどめておくのが賢明なのかもしれない。
いつかこの地球がそんな理想的な惑星へと生まれ変わる日が来たなら、宇宙から見たこの星は青からオレンジ色にすっかり変化しているだろう。
その際は宇宙からたくさんの観光客が訪れることが予想されるが、けっしてむやみに人体実験などをしないことを、今から心がけておきたいものである。

2019/07/24

でかい棍棒を片手に通りをうろついている人間がいるというので、私は大変警戒しておちおち外を歩けないなと思っていた。
もちろん棍棒を持ち歩いている人間イコール、棍棒で通行人を襲撃する人間とは限らない。何か用途があって棍棒を運搬している途中なのかもしれないのだ。
その場合はむしろ、重い棍棒を運ぶのを手伝ってあげるのが親切というものではないか?
そのことに気づいてハッとした私はあわててサンダルをつっかけると外へ飛び出した。
するとちょうど通りを向こうから歩いてくる男と出くわしたのである。
男は噂どおり棍棒を手にしているが、ちょっとした岩石のような筋肉で腕や肩が隆起していたので「これは手伝いは不要だな」とがっかりした私はそそくさとアパートへ帰ろうとした。
だがその直前に目に入ったのは、男の頭に巻かれた包帯だった。
「どうやら彼は頭部に怪我をしているらしい。立派な筋肉ばかりに目がいって、肝心な部分を見落とすところだった」
私はそう反省しながらふたたび男へと近づいていった。
ところが近くで見ると男の頭部を覆っているのは包帯ではなく、単に白っぽいバンダナだということが判明したのである。
すっかり騙されたと思って憤慨した私は早足で部屋に戻ると、壁の時計を確認した。
するとさっき部屋を出てから十五分ほどが経過していた。
「この時間を有効に使えば、これからの人生に必要になってくる知恵や知識が得られる格言などが、数十個ほど読めたかもしれない。痛恨のミスと云うべきだ……」
貴重な人生の時間は、まるで砂時計の砂のように減り続けていることを忘れてはならないだろう。
この砂時計そのものを反転させることは、どんなに筋骨たくましい人間にも不可能なのだから。

2019/07/23

青空にぽっかりと浮かんでいるものと云えば、雲かUFOと考えるのが普通だろう。
ついさっき窓から外を眺めたとき、空に浮かぶ白いものを見て私が連想したのもその二つだった。
次の瞬間から、そのどちらが正解なのだろうという推論が私の脳内で開始される。
私のよく知る、つまり映画などでよく見るUFOの形状とはまるで似ていないようだ。では雲なのかというと、それにしては輪郭がくっきりし過ぎていて、質感も異なるように思える。
じゃあいったい何なんだ! 私は苛々してきて、持っていた鉛筆を空に向かって投げつけた。
だが窓が閉まったままだったので、ガラスに跳ね返された鉛筆は私のほうへ飛んできて、そのまま眉間の辺りに突き刺さった。
そのとき、偶然私の脳神経に加えられた刺激がスイッチのような役目を果たしたのだろうか?
にわかに鮮明になった思考が、まるで専用のコンピューターから吐き出された答えのように私にひとつの回答を示したような気がしたのだ。
「あれは豆腐だ、おそらく絹ごし豆腐」
青空を背景に浮遊する巨大な絹ごし豆腐は、今では私の部屋の窓枠から外れて死角へと消えていこうとしていた。
ほんのわずかな時間ではあったが、これまで見たことのないような形で豆腐を見つめることになった私は、たぶんそのせいでにわかに豆腐が食べたくなっていた。
「この暑さならやはり冷奴で食べるのが正解だろう。むだなガス代などを使わなくて済むところもきわめて経済的だ」
そうつぶやきながら私は冷蔵庫へと向かった。何日か前に買ったはずの豆腐が、いまだ消費期限内であることを願いながら。

2019/07/22

私は北海道に行ったことがない。北海道は日本で最も北に位置しており、夏も大変涼しいという噂である。
これからの蒸し暑い季節を迎えるにあたり、北海道はうってつけの場所だと思われるのだ。
ぜひ休暇を取って北海道旅行に出かけ、そのまま休暇を延長してひと夏を北海道で過ごしたいものだ。
だが関東地方がすっかり涼しくなった頃にようやく帰ってくると、当然のようにバイトはクビになっており、長期間の宿泊代などはすべて借金や違法な手段で得た金などで支払われたため、今後の人生を思うと目の前が真っ暗だということになりかねない。
だったらいっそ北海道から帰ってくることなくそのまま滞在を続け、とくに心の準備もなく北国の冬を迎えることで、まるで無謀な雪山登山を試みた初心者に訪れる運命のように、北の大地で凍死してしまったほうが幸せなのかもしれない。
だが雄大な自然をバックにカチカチに凍りついている自分の姿を想像するとハッと我に返り、
「蒸し暑い日々を過ごすのはもちろん嫌だが、体が完全に凍結してしまうまでの寒さを実際に体験するのも相当嫌だぞ」
と気づいてしまったので、今回の北海道旅行は延期となった。
またいつか、凍死以外の結末を信じられるような境遇のときに実現したいものだ。

2019/07/21

ビル屋上のビアガーデンですっかり納涼気分を味わっていると、かつてこの屋上から飛び降りてこの世を去った上司のことがふいに思い出された。
「けっして悪い人ではなかったが、ちょっと神経質でつき合いづらい人ではあったな。取引先の担当社員が自分の命を狙っていると思い込み、いつもカバンに出刃包丁をしのばせて出かけていったものだ。怒らせると何をしでかすかわからないので、みんな腫れ物にさわるように接していたが、意外と親切で誰かが床に物を落とすと率先して拾ってくれたし、出張先からのお土産を課の全員に手渡しで配るような律義さも持ち合わせていた」
そんな上司が命を絶った理由は、もう忘れてしまった。なにしろかなり昔の話なので、今さら思い出話をするような相手もないし、当時の同僚たちとはもう年賀状のやりとりさえ途絶えているのだ。
「この屋上にも、しばらくのあいだ上司の幽霊が出るという噂が広まっていたような気がする。だが人は死んだら無に返るだけなので、そんな幽霊は酔っ払いたちの見たよくある幻覚にすぎないはず。幽霊を見たなどと無責任に騒ぐ連中には全員アルコール検査を強制すべきだ!」
そう叫んだ私の主張に賛成だからだろうか? 小雨の降るビアガーデンのまばらな客たちはみんな私に視線を向けているような気がしてならなかった。
だが私は別に演説がしたくてここに来たわけではない。ただゆっくりビールを飲みながら今日の選挙の結果によって、この国が本来そうあるべき正しい方角へ舵を切ることを想像してわくわくした気分になるのを味わうために、わざわざエレベーターに乗って屋上までやってきて、ビールと枝豆代を支払ったのだ。
残念ながら私自身はどうしても投票所にたどり着くことができず、何度も同じ神社の境内に出てしまうので、しかたなく最も素晴らしいと思われる候補者の名前を書いた紙を賽銭箱に入れて手を合わせたところ、無事神社から抜け出すことができた。
今まで知らなかったが、どうやら投票所になぜかたどり着けないときはかわりにそうすればいいものらしい。ネットで調べたところ同じことが書かれているページを見つけたので、私の白昼夢ではなかったのだ。
なのでみなさんにもいざというときの参考になればと思い、親切心からここに書き残しておいたという次第である。

2019/07/20

夜中に急にアイスクリームが食べたくなり、
「こんなときのためにコンビニという便利なものがあるのだ。ぜひとも利用しよう!」
そう思った次の瞬間には私は玄関の外にいて、最寄りのコンビニを目指して歩きはじめていた。
家の近所にはコンビニが二軒あるが、そのどちらへ行くべきか定まらないまま歩いていたせいだろうか? 私はどちらの店に接近するというのでもなく、ただ夜道を意味もなく歩く時間だけが過ぎていくようだった。
そのとき突然頭上から声が聞こえた。
「どちらのコンビニに行くべきか決められないのですか? ならば私が決めてあげましょう」
驚いて見上げた私の視界に飛び込んできたのは、まるで巨大な紙をぐしゃぐゃに丸めたような何とも形容のしようのない物体だった。
「私は二者択一の不得意な人たちのかわりに、二者択一を肩代わりしてあげるために存在しているものです。とくに名前はないのですが……」
その物体はビルでいえば三階くらいの高さから、そのように深みのある中年女性のような声で述べた。
「では恐縮ですが、最寄りの二軒のうちどちらのコンビニへ行くべきか教えていただけませんか」
私がそう質問すると、空中の巨大な物体は返事をするかわりにがさがさと音を立てはじめた。
そして紙を丸めたような形状から変化して、夜空をバックにした一枚の巨大なメモ用紙のようなものになった。
「セブンイレブン」
そのメモ用紙のようなものの表面にはたしかにそう書かれていたのである。
私はていねいに感謝の言葉を述べると、早速セブンイレブンへと向かった。
だが途中でふと足を止め、
「あれって考えてみたら、最初からセブンイレブンって書かれたものが丸められてただけなのでは? あたかも親切を装っていたけれど、単に新手のセブンイレブンの広告なのかもしれないな」
そんな気がして白けた気分になってきた私は踵を返すと、あてつけのようにファミリーマートへ入店してアイスを購入した。
やはり消費者の一人一人が今よりも格段に賢くならなければ、このグローバル資本主義の世界では巨大企業が誰にも気づかれずに人々の自由の幅を狭めることなど、赤子の手をひねるように簡単にできてしまう。
しかしながら、このグローバリズムの迷宮には中心というものがなく、我々は決して正解にたどり着くことができないのも確かなのだ。
さっきの謎の物体が示した親切の正体が広告だと私は見破ったが、じつはそこまで消費者の行動として事前に計算され尽くしていて、実際にはファミリーマートがあの〈広告〉を逆に仕掛けた可能性も否定しきれないのである。
そして、この件についての答え合わせはおそらく永久に不可能だ。当の企業や広告代理店にさえ、個別の事例の正解をいちいち知る者が存在するのか極めて疑わしいのだから……。
このような重要な考察に私が夢中になっていたため、アイスは食べる前にすっかり融けていつのまにか路上の白い水たまりと化していた。
とはいえ、アイスを食べてから考察したのではあまりに遅すぎる。
今や資本のスピードは、ニューロンの情報伝達速度をはるかに超えているのだ。

2019/07/19

周囲に家のない場所にぽつんと物置小屋のようなものがある。しかもあまり見ないデザインの小屋で、私には旅行用の大型のバッグのようにも見えたが、もちろん大きさや材質はそれとはまるで違うのだ。
近くまで来てみたものの、私は扉に手をかけるべきか迷った。勝手に中を覗いていいものかという良心の咎めがあったのである。
「べつに泥棒に入るつもりじゃないんだろう? 中をちょっと覗くくらいいいじゃないか」
そのとき、たまたま散歩に連れて来ていた愛犬のリリーがそう語りかけてきた。
なるほどそれもそうだと思い、私は謎の小屋の扉を思いきって開けてみた。
窓がないせいか、中は暗くて目が慣れるまで時間がかかった。どうやらごちゃごちゃと物が詰め込まれた内部は埃もたまっていて、めったに人が出入りしていないのは明白だった。
とにかくただの物置小屋に過ぎないようだから、これ以上観察しても無意味だ。そう思って扉を閉じてその場を立ち去ろうとしたところ、リリーがぐいぐいと小屋の後ろのほうへ引っ張っていく。
「ちょっと待って、どこへ行くんだよ?」
私がそう訊ねたところ愛犬は元気よく「ワン!」と声を上げた。
「おいどうしたっていうんだ、さっきはちゃんと日本語を話したじゃないか? 今さら言葉を忘れたふりをするのか!?」
そう問い詰める私を無視してリリーは小屋の裏側へ回るといきなり地面を掘りはじめた。
しばらく様子を見ていると、やがて何かきらっと光るものが地中から現れたらしい。
喜々としてくわえてきたそれを犬から受け取ると、どうやらガラスでできたレーニン像のようだ。
「いったいこんなものを掘り出してどうするつもりだ? 今さら共産主義の復活に望みを託すつもりなのか?」
だがそんな私の真摯な問いかけにもリリーはただ「ワン!」と答えただけだった。
どうやら本当に言葉を忘れてしまったらしい。

2019/07/18

もう何年も外食でラーメンを食べていないような気がする。外食は栄養が偏りがちと云われるが、中でもラーメンは脂肪や塩分、糖質ばかりを摂取する一方で野菜がほとんど摂れず、健康という面では大いに問題のある食品という印象だった。
「……だから無意識のうちに避けてきたのかもしれない。値段のわりには汁ばっかりで、個人的には満足感の得られない食べ物だというのもあるし」
そんなことをつい独り言でつぶやきながら私は、ラーメンとは対照的に健康的な印象の食品である蕎麦屋に入ろうとしていた。
「蕎麦を食いに行く前にわざわざラーメンの悪口を云うなんて、ネットに増殖する下劣なナショナリストどもと同類でいらっしゃるようだ」
いかにも皮肉めいた口調でそう揶揄されたのを聞いて、私は思わず背後を振り返った。
どこの誰だか知らないが、個人的な意見にいちいち皮肉を云われる筋合いはない……そう云い返すつもりだったのだが、私はそのまま絶句してしまった。
そこにはまるでラーメンのどんぶりを中身が入ったままこちら向きに立てたとしか思えないような、大変珍しい顔の人間が仁王立ちしていたのである。
半分に切ったゆで卵にしか見えない両目や、チャーシューにしか見えない頬、メンマにしか見えない唇でできた顔が私を睨みつけていたのだ。
「しかしまあ、ラーメンのよさが理解できるのは真に心の豊かな人間だけなのでしょう。食そのものを楽しむ余裕に欠け、健康健康と乞食のように目を血走らせているあなた方のような人々には、少々ハードルが高すぎるのかもしれません」
そのように私に対する当てこすりは続いていたのだが、もはや私の耳にはろくにその言葉は入ってこなかった。
いったいこの人は、ラーメンを偏愛するあまりこんな奇妙な顔になってしまったのだろうか?
それともあまりにも自分の顔がラーメンそっくりなので、親しみがわいてラーメン好き人間になってしまったのか?
その点が気になって私は他のことが何も考えられなくなった。
あるいは、自分の顔がラーメンそっくりだということをまったく気づいておらず、そのこととは無関係にラーメンが大好きになり、こうして自主的にラーメン擁護の活動に精を出しているのかもしれない。
だとすれば、人間の心には思わぬ死角があるものだと云わざるを得ない。
他人には火を見るより明らかなことでも、本人だけはまるで霧に包まれたように知らずにいることがありうるのだ。

2019/07/17

近所に住んでいることだけはなんとなく知っているが、とくに挨拶もしたことのない小男が急に我が家を訪ねてきた。
「相談があるのですが、五丁目の住人たちで同人誌をつくりませんか?」
小男はいかにも慣れない様子で礼儀正しさを装い、そう口を開いた。
「この辺りも近頃は住人の入れ替わりが激しく、ご近所さんといえどそのつきあいは一期一会の出会いという感があります。そこで、わずかな時間でも近隣で暮らした記念として、何か思い出の品を残したいと考えるに至ったのです。内容は漫画や小説、詩やイラストなどもりだくさん、何でもありのバラエティに富んだ誌面を予定しています。もし賛同していただけるなら、あなたにも何かご寄稿いただければと思いまして……」
たしかに私は五丁目の住人なので、この小男がつくろうとしている同人誌への参加資格があるというわけだ。
「それはいいですね、ぜひ参加しましょう! 私は趣味で短歌をつくっていますので、ぜひ短歌を掲載していただければと思います。とびきり腕を振るって、みなさんの作品に負けないものを詠みますよ! 実は昔、歌葉新人賞という短歌の賞で候補に残ったことがありましてね……」
小男は「詳細が決まったら連絡します」と云い残して去っていった。
だがその後彼からは何の連絡もなく、そればかりか道路で会ってもまるで赤の他人のように目も合わせず通り過ぎてしまうので、話しかけるきっかけも掴めないままだった。
小男の態度から察するに、恐らく同人誌の企画は立ち消えになってしまったのだ。
私以外に参加者が集まらなかったか、小男自身が多忙だったり、気が変わったりして発行の意欲を失ったのだろう。
そんなふうに想像しているうちにやがて小男の姿もまるで見かけなくなった。五丁目以外の土地に引っ越してしまったのかもしれない。
結局彼の住居がどこなのかも聞かずじまいだった。
まさに一期一会の出会いをまた一つ経験したようだ……。私はしばらくのあいだ感慨に耽った。

2019/07/16

何の前触れもなく凶暴化した犬が飼い主を襲い、絶命させたのちその肉を貪り食う。
それもいかにも猛獣めいた大型犬ばかりではなく、室内をちょこちょこと駆け回るような小型犬が人間を貪り食うのだから、常識では考えられないほどの「凶暴化」だということが理解できるだろう。
もちろん飼い主の側でも、こんな可愛らしい小さな生き物が自分に牙をむくなどありえない、という油断があったことは否定できまい。
云いかえれば、どんなに従順でしつけの行き届いた大型犬であっても、それが大型犬と云うだけで飼い主の無意識には「いつかこいつが牙をむいて私に襲い掛かり、食い殺されることになるのでは?」という不安と警戒心が渦巻いているのだ、ということを証明している。
そんな恐怖を心の底に抱えながら、しかしその猛獣めいた生き物があくまで自分への忠誠心を示すことに満足し、誇りにさえ思うというのが大型犬の飼い主たちの心理だ。そこには歪んだ権力意識というべきものが垣間見え、現代社会を生きるにふさわしい市民のあり方を示しているかはいささか疑問に思えるのだ。
では小型犬を飼う者たちはそんな歪んだところのない、きわめて健康的な市民なのかというと、そんな単純な話ではない。むしろ彼らのさらに肥大した権力意識の歪みこそが、犬をヌイグルミのように小型化させているのだと云えるだろう。
だから昨今、我が家の近所で多発している飼い犬による飼い主への襲撃・食い殺し事件の多発は、現代を象徴する側面があるというのが私の見立てなのである。
令和初の国政選挙も間近に迫った現在、そのような病的な権力意識に囚われた者たちが我々と同じ一票という重い権利を行使することに、耐えがたい不安を感じている人は多いはずだ。だが「愛犬家からは選挙権を取り上げよう」などと主張したなら、良識ある人々からたちまち差別主義者というレッテルを貼られ、議論の入口にさえたどり着けないのがオチだ。
そこで人々の声なき声に代わって、当の飼い犬たちが自ら愛犬家たちをその鋭い牙で食い殺し、投票所へ赴くことを阻止するという行動に出始めた。これは選挙などという微温的なガス抜き行動ではけっして実現することのない本質的な改革を、彼らが動物という特殊な立場を利用して着々と実現しつつあることを示しているのだ。
「しかしこの世に愛犬家の数は大変多い。彼らが全員食い殺されてしまったら、有権者の数があまりにも急激に減って国が大混乱に陥るのでは?」
そんなもっともな疑問が、あなたの口から発せられるかもしれない。
だが心配はいらない。この世から急にいなくなった愛犬家たちに代わって、そんな英雄的な行動に打って出た犬たちに新たに選挙権を与えればいいだけの話なのだ。
いずれは我が国にも初の犬の総理大臣が誕生する日が来るのは、そう遠い日ではないのかも知れない。

2019/07/15

ロボットを見かけた。最近はロボットが一人で外を出歩いているのか、大したもんだなと思いながら私が目で追うと、ロボットは橋の上で突然バランスを崩し、欄干を越えて真っ逆さまに落ちてしまった。
べつに人間ではないのだから助ける必要はないが、いちおう橋の上から覗き込むと案の定、ロボットは川底で大の字に動かなくなっていた。
水に沈んでいるロボットというのも涼しげでいいものだな。
そう思った私はしばらく眺めていたが、喉が渇いたので近くのコンビニへ行ってせっかくだから缶チューハイを買ってもどってきた。
川底でゆらゆらと光の反射の中にまどろむロボットを見ながら飲む酒は格別だ。これぞ納涼というものだという気分に浸っていたら、どうやらそう感じたのは私だけではないらしい。
つられたように手に手にビールやチューハイなどを持った人が集まり、みんな無言で川を見下ろしながら酒を飲み始めている。
川底で仰向けに横たわるロボットを眺めながら酒を飲む。そんなコンセプトのビアガーデンがこの夏は流行するのではないか?
ビジネスチャンスはこのような偶然の中から発見されるのをいつも待っているのである。
ビアガーデンだけではなくさまざまな飲食店に応用できるし、ロボットの沈んでいる涼しげな川をそうめんが流れてくる、といった新たな流しそうめんの可能性まで見えてくる。
もしこれから「川底に横たわるロボット」が日本の夏の代名詞になったなら、それは今日この場で起こったハプニングがすべてのスタート地点だったということをぜひ覚えておいてほしい。
もちろんこうした流行は思いのほか廃れるのが早いのもまた事実だ。
来年の夏にはもはや誰も覚えていないかもしれないと思うと、私は急に諸行無常を感じて、つい酒が進んでしまう。

2019/07/14

「私は秘密を愛する人間なものですから」
繁華街の雑踏を歩いているつもりだったが、いつのまにか私は妙に寂しい路地に入っていた。そこで誰かに話しかけられたので振り返ると、みすぼらしい身なりの老婆が立っていたのだ。
「秘密の中で暮らすことが生き甲斐とさえ云っていい。大きな秘密はそこで一日過ごしても退屈しないし、今ある秘密がまた新しい秘密を連れてきたりして、勝手に育ってさえいくものです。うっかりするとそこから出られなくなることもあるほどですよ」
話の内容は独り言としか思えないものだが、あきらかに私を見て語りかけているのだ。私はとまどいつつ興味をひかれ、老婆の話に聞き入った。
「うっかり電車で寝過ごして、知らない駅で目を覚ます。そんなことが誰にでもありますが、秘密も同じことです。秘密の中で生きていることを忘れ、気がついたらまるで知らない秘密を生きている自分を発見する……そんな経験があることを想像できますか? このときもはや秘密は私の秘密と云える根拠を失っている。誰のものとも見定めがたい秘密が私を抱え込み、ひたすら翻弄するばかりで出口など見つかるあてがないのです。でもそのことが不幸だと感じるのは秘密を愛したことがない人間です。私たちのような者は、もはや秘密の一部となってしまったわが身に恍惚となり、出口を探すふりをしながら心の中では、一生この彷徨が続けばいいと願っているのですよ。こんな境遇を望むばかりに、わざと『電車で寝過ごす』ことをくりかえす人もいるくらいですから」
老婆は云いたいことをすべて云い終えたのか、にっこり微笑むと無言になった。
その背後にはシャッターの下りた空き店舗らしい建物がある。シャッターには貼り紙が貼られていたのだが、そこには閉店のお知らせといった文言ではなく大きな筆文字で黒々と、
「平成→令和→平成」
とのみ書かれていた。
どういう意味なのだろう。これは老婆の口にした「秘密」と何か関係のあるものなのだろうか?
そのことを目の前で微笑む本人に訊ねてみたいところだったが、私はすぐに断念した。
老婆は恍惚とした表情で虚ろな目をして、そこに私の存在など映っていなかったのである。

2019/07/13

近所の寺院の裏手には墓地があり、昼でもどことなく陰気な場所という印象だった。
とくに目的もなくその墓地の前まで来てしまった私は、歩いてやや熱を発している身体を休めるのに墓地の陰気さがちょうどいいのではと感じたのだ。
そこで入口から先に進んでみると、道の左右にずらっと並ぶ墓石の群れが壮観で思わずため息が漏れた。
他人の墓しかない墓地など特に用がないと思い、前を素通りしがちなものだ。しかしこうして中を歩くとなかなか非日常的な雰囲気があって、ある種の癒し効果さえ感じ取れると思った。
これからは毎日のように墓地を訪れてみようか? そんなことを考えはじめたが、実際毎日来てしまっては単なる見慣れた景色になってしまい、「見も知らぬ他人の骨が多数収納されている施設」という本来の印象に逆戻りだ。やはりごくたまに思いついてふっと足を運ぶくらいの関係が、私と墓地の間には築かれるべきだろう。
そう思いながら奥へ進んでいくと、周囲の墓石とはまるでスケールの違う巨大な石が、ちょっとしたマンションほどの高さでそびえ立っているのに出くわした。
「驚いたな、こんなでかい墓があるとは思わなかった。いったい誰の墓なんだろう?」
気になって目を凝らすと、一文字が私の背丈ほどのサイズで名前が彫られていることがわかった。
「巨大天皇之墓、か……」
そんな名前の天皇が存在したことを、不勉強ながら私は今まで知らなかった。
「さすがに名前に恥じないだけの巨大な墓が建てられているんだな。本人はどれくらいの身長だったのだろう? まさか本当に巨大な天皇で、十メートル以上あったためこんなに大規模な墓が必要になったんだろうか? とはいえ、こんな一般人の眠る墓地の奥に埋葬されているのだから、かなり庶民的な天皇と云えるだろう」
私はこの国に生まれて暮らしていることにとくに感想を持たない人間だが、この天皇にはどこか親しみを感じてしまい、思わず墓に手を合わせた。
墓地内はなぜか圏外だったので外に出てから調べたのだが、ネット上の歴代天皇に関する情報には巨大天皇に関する記述が見つからなかった。
いくら検索しても出てこないので、私は深くため息をついた。
「やはりネット上の情報など素人の知識の寄せ集めで、きわめて不完全なものだ。真の知識にアクセスするためには大学図書館などへわざわざ足を運ぶ必要があるのかもしれない」
今後はネットに頼らず、疑問があれば電話帳で学者の家を調べて直接電話して訊いてみよう。そう私は心に誓ったのだった。

2019/07/12

新品のスニーカーを履いて外に出ると、ただ歩くだけではもったいないような、素敵なスニーカーを風がさらっていこうとするので、自分も一緒に運ばれていくような気分になってしまう。
気がつくと私はいつもの散歩コースを大幅に逸脱し、まるで見たことのない場所を駆け抜けているところだった。
風に飛ばされる綿毛のような気持ちとは裏腹に、周囲はどことなく気の滅入るような眺めが広がっていた。乱痴気騒ぎの宴会から一夜明けたテーブルを、そのまま街並みに置き換えたような風景。私の知らないうちに近所で暴動でも起きたのか? と思うほどの惨状だったが、私の足は止まらずどんどん先へと進んでしまう。
やがて街並みは少しずつ変化を見せ、目の前で惨状から徐々に復興を遂げていくさまを観察しているようだった。
「もしかしてこのスニーカーはただの軽い履き心地のスニーカーではなく、時空を超えて見えるはずのない光景を見てしまうような、そんな隠れた機能を持つスニーカーとして私の元へやってきたのではないだろうか」
あんなに気分が落ち込むほどひどい眺めがみるみる立ち直っていくのを見ていると、そんな非常識な考えが頭の中に生まれてしまう。
そして周囲の景色が完璧に修復されて日頃の平穏な姿を取りもどしたところで、私は田中ビルの前に到着していた。
田中ビルと云えば、我が家から歩いて数分の場所にある平凡なビルだ。だが今日の散歩はどんなに少なく見積もっても二時間ほどは歩いていたはず。
この齟齬に、私が迷い込んでいたこの世の未知の領域というべき道のりが隠されているのだろう。
新しいスニーカーを履くことで、誰もがこんな人生のエアポケットのような旅ができるのかもしれない。
もちろんそのためには、履き心地の快適な良質なスニーカーが欠かせない。
ぴったりサイズのものを手に入れるにはネットではなく、実際に店に足を運んでプロの店員さんのアドバイスを受けるのが、とくに大事なところだ。

2019/07/11

隣町の神社の境内にある大銀杏の木は、裏へ回ると幹に扉があって中に入れるようになっている。
私がそのことに気づいたのはほんの偶然だった。散歩に連れていった犬のリードをうっかり手放してしまい、元気よく駆け出した犬を追いかけていったらその扉の前に行きついたのである。
犬は扉に向かって「おすわり」の姿勢で激しく尻尾を振り、早く開けて中へ入れてくれと云わんばかりだ。
「こんなものが銀杏の木に取り付けられているのはあきらかに怪しいが、動物には人間にはない野生の本能によって、危険を察知する能力がある気がする。こんなに喜々として中に入りたがっているということは、危険どころか何か素晴らしいもの(財宝など)が隠されているという意味かもしれない」
私はそのような結論に達したところでドアノブを握り、恐る恐る扉を引いてみた。
するとあっさり開いて目の前に現れたのは、蛍光灯の青白い光に照らし出された便器と、水洗タンク、トイレットペーパーホルダー。これは公園などで見かける、かなり年季の入った公衆トイレではないか? 私は何か恐ろしいものを見てしまったかのように後ずさった。
犬もすっかり興味を失ったように銀杏の木から離れると「散歩の続きに行こうぜ」とばかりに私に視線で促している。
ぼんやりした頭のまま犬に引っ張られるように散歩を再開したが、やはりどうにも気になってしまって散歩どころではない気がした。自分の見たものが妄想の産物のような気がして、どこか正気を疑うような気持ちが拭えなかったのだろう。
私は先へ進みたがる犬を説得して、ふたたび神社の境内にもどってきた。大銀杏の裏に回るとやはり扉は存在していた。白昼夢ではなかったんだ……そうため息をつきながらドアノブに手をかけるが、なぜか今度は開かない。
そんな馬鹿な、と驚いて私がガチャガチャとノブを回そうとしていると、扉の向こうからゴホンという咳のような音が聞こえてきた。
我に返ってよく見れば、ドアノブの上のところに小さな赤い表示が出ていた。さっきはその部分はたしか青かったはずだ。
なんと、そのトイレは使用中だったのである。

2019/07/10

山奥の家にはテレビなどがなく、ネットも繋がらないのでいまだに元号が変わったことさえ知らずに暮らしている人たちが、意外とたくさんいるのかもしれない。
そんなことに気づいた私は、その人たちに新元号を教えるために早速山奥へと向かった。
途中で道がなくなったのでしかたなく自転車を降りると、草木の生い茂る斜面を懸命に登っていった。やがて見たこともないようなボロ家ばかりの集落にたどり着き、汗をぬぐっていたら近くの家の玄関のドアが開いた。
見ればサラリーマン風の男がちらっとこちらに視線を向けたが、とくに関心を向けることなく道をむこうへ歩いていこうとする。
こんな山奥の、麓と道も通じていないような場所にサラリーマンが存在するとは予想外で、私は声をかけるのも忘れてその男の背中を目で追った。
だが、どこがどうと具体的に指摘はできないのだが、男はどうもサラリーマンとは云いきれないような雰囲気を持っている。量販店で売っていそうなスーツを着て、無難なネクタイを締め革靴を履いているが、それでもどこかサラリーマンとは違うものを眺めているのだという気分にさせられた。
「周囲の環境がそう見せるのだろうか? やはり満員電車の滑り込むホームや、ガード下の飲み屋などの背景が伴わないとサラリーマンという存在は成立しないのかもしれない」
こんな山奥で思わぬ真理を発見したことにすっかり満足した私は、日が暮れる前に帰宅しようとあわてて集落を後にした。
今にして思えば、あのサラリーマンによく似た存在が一体どこへ向かって歩いていたのかしっかりこの目で確認すればよかったと後悔している。
会社に似た何かや、上司に似た何かが見られた可能性は一概に否定できないのだから。

2019/07/09

午前二時四十五分頃、近所の田中ビルから女の人の叫び声が聞こえた。
田中ビルはべつに廃墟というわけではないが、上の方の階はテナント募集の看板が窓辺にずっと掲げられたままになっている。おそらく夜中は内部に誰もいないであろう。
不審に思って様子を見にいくと、最上階の窓に明かりが灯っているのが見えた。
どうやら人がいるのは確かなようで、殺された女の幽霊の叫び声のようなものを聞いてしまったわけではないらしい。ほっとして私がアパートに戻ろうとしていると、ふたたび叫び声が聞こえてきた。
「幽霊じゃないならべつに放っておいてもいいような気がするが、こんな深夜に近所迷惑ではあるし、寝ているご近所さんが目を覚ましたら気の毒だから注意しに行くか」
そう思って私はビルの階段を上って最上階へと向かった。
階段はまるで豆腐を重ねてつくったにせものみたいで、一歩ごとに崩れそうになって私はあわてて手すりにしがみついた。
だが手すりもまた豆腐のように不自然に柔らかいため、私は二階にさえ到着することができないまま上ることを断念したのである。
「そういえば夕ご飯の途中でお腹がいっぱいになり、食べかけの冷奴を冷蔵庫に保管してあるはず。思わぬ運動をして小腹が空いたことだし、夜食にあれを食べよう」
そう突然考えた私はすばやくビルを出るとアパートにもどって冷蔵庫のドアを開けた。
だが冷蔵庫には食べかけの冷奴などは存在せず、 ただ無意味に冷たい風が顔面に吹き付けてきただけだった。
おそらく冷奴を食べ残したのは夢の中での出来事だったのだ。夢の中のエピソードを現実と取り違えてしまって、失敗することは時々あった。先日は夢の中で採用されたハンバーガー屋に元気良く挨拶をして出勤してしまい、思わぬ恥をかかされたものだ。
そんなことが起きないよう、目覚めの一杯のコーヒーを習慣づけてみてはいかがだろうか? カフェインの力で頭の中の靄を晴らしていきながら、夢の世界を隅のほうに片付けて今日一日を頑張るための心構えをつくる。
そんな稀有な役割が、一杯のコーヒーにはあると思うのである。

2019/07/08

梅雨の間はおもに雨に警戒しなければならない。私はそう自分に何度も云い聞かせた。
ほかのことは、たとえば気温の高さや低さ、隣人が突然金属バットなどを持って我が家に殴り込んでくることなどについては、考えなくていい。可能性がゼロになっているという意味ではなく、優先順位があまりに低いから、無視しなければ人生のコマが先に進まないのだ。
梅雨は雨ばかり降ってじめじめして、さまざまなものにカビが生えることは有名だろう。私はそのことが我慢ならず、 カビの生えた物は片っ端から捨ててしまう。すると家の中から物が減って大変すっきりし、見通しが良くなったので「これは素晴らしいぞ!」とガッツポーズを取った。
だがすぐに、物が減りすぎることはとても不便であることを痛感し、反省のあまり物を捨てることを一切やめてしまった。
するとどうだろう、今度は家の中に物が溜まりすぎてラッシュの電車内のように窮屈になり、部屋からトイレに向かうのさえ一苦労という有り様だった。
しかもそれらの物にはたいたいカビが生えているから、窮屈さの中を無理に移動すると私の衣服や顔などにカビが付着してしまう。これはものすごく不快であり、あきらかに健康にも悪い。
早く梅雨が終わらないものか……そんな気持ちで欝々と過ごしていたら田舎のおばあちゃんから手紙が届いた。
「毎日じめじめした天気が続いて部屋の中がカビだらけになっていないかい? ちょっとした晴れ間にすかさず窓を開けて換気をしたり、こまめにアルコールで消毒するなどしてカビ防止に努めたほうがいいよ。食べかけのおやつをその辺に放置したりしないで、 残ったものは冷蔵庫に保管するかすぐに捨てなさい。そして何よりも毎日の掃除を欠かさないようにね、部屋の床に物を直接積み上げるのは掃除をしない口実になりがちだから、絶対におやめなさい」
そのような優しい言葉が綴られていたのだが、考えてみれば祖母は何十年も前にとっくに死んでいる。
だからこの手紙は死後の世界から届いたか、そうでなければ祖母を名乗るニセモノが書いたものだ。
そうとわかると不気味さに震えるあまり、私はカビのことなど最早どうでもよくなっていた。

2019/07/07

なんとなく遠くに見える山のかたちをじっと眺めてしまい、時間が過ぎていくのも忘れていることがあるものだ。
どんな都会でも、ビルのすき間などに目を凝らせば山の稜線の一つや二つは目に入ってくる。それらは電車やバスなどを乗り継げば麓までたどり着けるはずだが、たいていはそんな気を起こすこともなく、ただ日々の暮らしの背景としてなんとなく見過ごされてしまう。
たまに無意識のうちに目を向けると、意外なほどの近さに迫ってくるように感じられ、これからちょっと足をのばして頂上を目指してみようかな? という気まぐれな心がうずく場合もあるだろう。
だが都会の近郊にある山であっても、素人が何の装備もなく気軽に登れるような山は限られている。たいていは見た目よりも遠くにあり、つまりそれだけ巨大で自然の神秘を抱え込んだ山だということなのだ。
「この年齢になるまで、山についてほとんど何も知らずに生きてきたのはもったいなかったような気がする。もっと若いうちに関心を向ければ、その有り余る体力を武器にさまざまな山に足を向けることができ、いっぱしの登山家気取りで年を重ねるという人生もありえたのかもしれない」
私は住宅街の果てにそびえる名も知らぬ山を見つめながら、そんな心の声を口からこぼれさせていた。
「だが今からでも遅くはない、むしろ今がラストチャンスであり、この瞬間に電車に飛び乗ってあの見事な稜線に向かって直進すれば自分にも『山とともにある人生』が開けるという、その最後の舞台に今立っているのではないか?」
そう感じた私は我慢できずに駅に向かって駆けだすと、ちょうどホームにすべり込んできた電車に迷わず乗り込んだ。
まもなく走り出した電車の窓から私は先ほどの山を発見した。やはり見事なシルエットであり、最初に登るべき山としてふさわしい雰囲気の姿に思えた。しだいに山が近づいてくることに胸は高鳴り、興奮で私は何度も窓を猿のように拳で殴りつけては、車掌に注意されたほどだった。
だがそのうち山のシルエットは接近することをやめて、なぜか次第に遠ざかり始めた。
「おい待てよ! 山はそっちじゃないだろ!? よく前を見て走れよ!」
とまどいのあまり運転席に向かって大声で叫ぶ私をあっさり無視した電車は、やがて終点の海辺の駅へと到着したのである。
「馬鹿な……。どこでボタンを掛け違ってしまったのか?」
がっくりと肩を落とす私の鼻に、どこからともなく入り込んだ潮の香がつんとした刺激を与えた。
それはまるでこの人生でついに山と出会い損ねた私の悲しみが、涙になろうとする兆しのように感じられた。

2019/07/06

近所の小高い丘の上に何か商業施設らしいものができている。
そこへ到るには急な坂道を上らねばならず、気が進まないので先送りにしているうちにずいぶん時間が経ってしまった。最初にその建物を発見してから数年経っているかもしれない。
坂の入口までは行くことがあっても、いつもそこで引き返してきてしまうのだ。
道の両側には竹藪があり、竹藪を抜けた先には墓地もあるようだ。だがべつに施設が墓地に囲まれているとか、墓地の一部だというわけではない。
今日こそはあれが何の施設なのか確かめよう、という気持ちだけを抱えて私は雨の中を外出したのだ。
傘を叩く雨の音を聞いていると、なぜか小学生の頃の通学風景を思い出してしまう。
「集団登校で列をなして歩道を歩いているとき、前を歩く子の傘と私の傘がぶつかったときの音や感覚が、奇妙にはっきりと蘇るのはなぜだろう」
そんな感傷的な気分で頭がいっぱいになっていたせいか、私はあっさりと急な坂道を上りきって施設の前に立っていた。
だがあきらかにスーパーマーケットだとわかる建物の入口にはシャッターが下りていて、そこには閉店を知らせる貼紙が一枚寂しく貼られていたのである。
貼紙の日付は今日だった。つまりなんともタイミングが悪いことに、閉店当日に初めて店を訪れてしまったらしい。
見れば周囲には私と同じように閉店を知らずに訪れてしまったらしい人々が、ちょっとした人だかりをつくっていた。
勇気を出して話しかけてみたところ、私同様にずっと気になってはいたものの、今日初めて足を運んだという人たちばかり。
その偶然に驚きつつ、これも何かの縁だからとその場でお互いの住所を交換した。雨の中で長話をするのは、傘を差しているとはいえ風邪を引く恐れがある。残りは文通でもして言葉をかわして交流を深めましょうというわけだ。
さっそく何人かと同時に文通を開始したが、三か月、半年と経つうちに次第に返事も滞り始め、一年後には私の手紙に返事をくれる人は誰もいなくなっていた。
それでも一年の間に受け取った言葉の数々は、私にとって大切な宝物のようなものとして机の引き出しにしまわれている。
時々取り出して読み返すことがあるが、季節のあいさつやちょっとした世間話の合間に、その人の性格が垣間見られるような筆致を見いだしては微笑んでしまう。
そんな細やかな色彩のある日々を送る人たちが近所に暮らしているのだと思うと、とくに顔を合わせることがなくとも、何か温かい気持ちになるのが抑えられない。

2019/07/05

私は川村の家に行ったが、川村は留守だった。
そのかわり川村の家には高山がいた。
「どうして高山が?」
思わずそう声に出してしまった。
だが高山はそれには答えず、家の奥を指さした。
そこではうさぎと猫と猿を混ぜ合わせたような不思議な動物が、楽しげにダンスのような動きを見せていた。
私はもはや川村のことも高山のこともどうでもよくなり、その奇妙な動物の姿に見入った。
それからどれくらい時間が経ったのだろうか。
ふと私の心に「どうして高山が川村の家にいるのだろう?」という当初の疑問がよみがえった。
高山のほうを見ると、動物に夢中になっていて私の視線に気づいていないらしい。
たしかに夢中になってしまうのは仕方ないと思えるほど、なんとも不思議な動物なのだ。
私はそう思いながら動物に視線を戻した。
たちまち高山のことなどどうでもよくなり、動物の楽しげなダンスのような動きに見入ってしまう。
「どうしてまおえらがおれの家にいるんだ」
そう声がしたので振り返ると、川村が玄関先に呆然とした表情で立っていた。
私と高山はそれには答えず、黙って家の奥を指さした。
すると川村も動物の存在に気づいたようで目を見開き、じっとその動きに見入っている。
もはや私たちのことなどどうでもよくなっていることが、その表情から見て取れた。

2019/07/04

数軒隣の家で飼われている犬が、時折はげしく吠えていることがある。
その家には確か非常に腰の曲がった老婆が住んでいるはずだ。 他にも同居家族はいるが、全員外出して老婆だけが留守番をしている際、ふだんは従順なペットのふりをしている飼い犬が本性をあらわし、無力な老婆に襲い掛かっているのではないか?
私はそんな想像が頭を占めてしまって落ち着かない気分になるのだ。
日ごとに体力が衰え、弱弱しくなっていく飼い主の様子に動物的な勘で気づいた犬が、
「これならおれでも勝てるんじゃないか?」
そう思ってしまったとしても不思議ではない。
だが犬は大変賢い生き物であり、人間の最良の友人というべき存在だから、そんな残虐行為をはたらくはずがないという気持ちもまた捨てきれなかった。
今すぐあの家に駆けつけて老婆の無事を確認したいところだが、万が一飼い犬に食い散らかされた死体など目撃した場合、犬という生き物への根本的な信頼が崩されてしまうようで恐ろしくて見にいけないのだ。
どれだけ賢くとも所詮は動物だから、やはりちょっと小腹が空いたときなどに目の前に自分より弱い生き物がいれば、ガブリとやりたくなるのが本能というものだろう。
たとえペットであってもその野性の本能の存在を否定するべきではない。完全に人間と同じように扱うことは一種の虐待であり、あくまで大自然からちょっとだけお借りしてますよ、という態度で動物たちには接するべきなのである。
まるで人間のようにおしゃれな衣服を着せられ、美容院で整えられた毛並みが輝くばかりであっても、その中身には古代からの大草原やジャングルが混沌として広がっているのだ。
そんな神秘的な存在である飼い犬の胃袋に納まることは、どのみち後が長くない老人にとってはむしろ幸福なことなのかもしれない。
もちろん本人に確認しなければわからないが、すでに胃袋の中にいる場合、それもかなわぬ相談だ。

2019/07/03

「悩みに悩み抜いた末に、とうとう自分らしい服装にたどり着いたあの男性が颯爽とその姿を披露してくれるかもしれない」
そんな期待がこらえきれなくなった私は、無意識のうちに昨日の家の前に立っていた。
だがそこは昨日と同じ家とは思えないほど、どこか荒廃した雰囲気が漂っており、よく見れば窓ガラスも割れてまるで暴徒に襲撃された家のようだ。
「昨日もそれほど仔細に観察したわけではないが、たぶん窓ガラスは無事だったはず。いったい何が起こったというのだろうか……」
ガラスの割れた部分から覗き込むと、部屋の床にはカップ麺の容器やペットボトルなどが無造作に散らばっていた。それは襲撃された結果というより、そこで生活していた人間の内面の荒んだ様を現しているような気がした。
「するとガラスが割れているのは、昨日の男性が部屋から衝動的に飛び出していった痕なのかもしれない」
私が過度に「自分らしさ」の表現を求めてしまった結果、追い詰められて自暴自棄になった彼は夜中に「何か珍しい野生動物でも迷い込んだのか?」と近所の人が思うような奇声を上げながら部屋から飛び出し、そのまますごい勢いで夜の闇に紛れてしまったのだろうか。
だとすれば、私は少し責任を感じざるを得なかった。とくに親しい間柄でもないのに、むやみにプレッシャーをかけたことは素直に反省すべきところだ。
だが、あの男性は本当にこの窓から飛び出していったのだろうか? もしそうでないなら、せっかく真面目に反省したところですべて無駄になってしまう。私はまず在宅の確認をしようと玄関前に立った。
インターフォンを押しても反応がないので、ドアをノックした。それでも反応がないので今度は大声で名前を呼んでみることにした。
だが苗字を知らないことに気づき、表札を探したのだが見当たらない。玄関まわりの、いかにも表札がありそうな場所はすべて空白だったのだ。
「名前を呼ぶことのできない人間など、私にとっては存在しないのと同じことだ。私は極度に記憶力が悪く、とくに人の顔はまったく憶えられないと云ってもいいい。脳内で人間の顔はだいたい三種類くらいに分類され、誰かを思い出そうとするとその中の一種類が思い浮かぶだけだ。それは生身の人間というより、登場人物の限定された四コマ漫画のキャラクターのようなものだ。昨日ここに立っていたあの男性も、三種類中のタイプBに分類されることしかわからない。それは陰気でおどおどしたタイプで、世間を逆恨みしていそうなあまり関わり合いになりたくないタイプだ。そんな人たちにも実際には隠れた別な側面があり、優しいマイホームパパだったり、才能ある売れっ子イラストレーターだったりするのかもしれない。そんなことをつい想像しないこともないが、他人の私生活に深入りするのは下衆な行為だと思う。現実に生きている人間は、私の想像の中で遊ばせるための人形ではないのだから」

2019/07/02

不吉なニュースを知らせる旗のようなものが、とある家の玄関先に垂れ下がっていた。
「あんな旗を見るのは初めてのことだ。印象をそのまま素直に受け取れば、今から数日以内に誰もが顔を曇らせるような事件がこの辺りで起きることを知らせているとしか思えない」
私はごくりと唾を飲み込み、その旗がよく見えるような場所へと少しだけ移動した。
すると不吉な旗だとばかり思ったものが、旗のように見えるシャツを着て玄関先に立っている人がいるだけだとわかった。
ほっとして体の力が抜けるのを感じた私は、そのとき背後から吹き付けた風に押されるようにふらふらとその人の前に歩み出た。
まだ若い、三十歳前後の男性だろうか。若さゆえの無謀さによって、不吉な印象を与えるシャツを着たまま家から出てきてしまったのだと私は考えた。
むしろ積極的に、不吉な印象を振りまきたいという下心があった可能性もある。他人から注目を浴びたいというのは人間の性だが、若いうちは失うものがないせいか、その気持ちに歯止めが効かなくなる傾向があるのだ。
「負の印象を与えるデザインが、逆に魅力的だという価値観を否定するわけじゃありませんよ。本気でそう思うなら、堂々とそのシャツを着て町を歩けばいい。だけどあなたの様子を見ていると、どこか他人の視線に気後れしていることが感じられる。本当はそのシャツが『不吉な感じがして、着たくないな』と思っているのに、意地を張って玄関を出てきたんじゃありませんか? だとすれば今すぐ家の中に飛び込んで、本来着たかったシャツに着替えてはどうでしょうか。奇をてらうことなく自分らしさを表現することから、世界に居場所をつくる第一歩が刻まれるものです。いくらハッタリで注目を浴びても後が続かない。どんどん苦しくなるばかりで、それでも周囲から人が去るのが怖くて次々とハッタリをかまし続けなければならないのです。不吉なシャツの次は、もっと不吉なシャツ、その次はさらに不吉なシャツを着なければならず、それでも人は刺激に慣れていくものですから、やがてまわりから人々は去っていくでしょう。それからはもう『不吉なシャツの人』というレッテルを貼られ、可愛らしいシャツやかっこいいシャツを着ても首をかしげられるだけ。『また不吉なシャツ着てくださいよ』などと声をかけられ、不本意ながらひさしぶりに不吉なシャツを着て外出すると『まだあんなの着てるよ』と笑われるならいい方で、実際には空気のように無視されるのです。それはレッテル通りの姿をしているあなたの前を、人々は安心して素通りできるからです。人は注目するためにではなく、無視するためにレッテルを貼るのだということを忘れてはいけない。だから自分の内側からにじみ出るような服装をすることで、けっして単純な印象に還元できない、なんともいえないその人らしい雰囲気をかもし出すことが大事ではないでしょうか。もちろん、そんな生き方をすることを私が強制することはできませんが。私の言いなりになってロボットのように服を着替えても、それはとても自分らしい服装とは思えませんからね」
私はそう云って口を閉ざし、目の前の男性がどういう行動に出るかをじっと見守った。
すると男性はなぜか困惑したような表情を浮かべ、何か云いかけたかと思うと背を向けて家の中へ姿を消していった。
いったいどんなシャツに着替えてふたたび現れるのだろう? あの男性の「自分らしさ」が見られることにワクワクして待ったが、二時間ほど経っても現れないので私はその場を立ち去った。
自分の本当に着たい服を着る、というのは人によってはかえってハードルの高いものなのかもしれない。自分の本当の気持ちに出会うには、いったん魂が露出するまで裸になり、そこから一枚一枚服を選んでいく過程が必要なのだ。
それはほんの数時間で可能なことではないので、明日また来てみようと私は思った。

2019/07/01

玄関のチャイムが鳴ったので咄嗟に身構え、そっと息をひそめてドアの裏側まで近づいた。
何の予告もなく訪問してチャイムを鳴らす人間は、集金や勧誘といったいずれも「私から金を毟り取っていくことが目的の連中」であることに変わりない。
ここで居留守を使ったり、応対したうえでどうにかしつこく食い下がる相手に帰ってもらったところで、また近いうちに再び訪問してくるに違いない。
そんなきりのないやりとりがくり返されることを思えば、いっそ今すぐすべてを終了させる行動に出たほうがすっきりして今後晴れやかな気分で生活できるような気がする。
といってもなにも命を奪おうという話ではない。そんな残酷な真似はしないが、捕らえて手足の自由を奪い、床下などに監禁すればその人は二度と私から金を奪いにチャイムを鳴らしにくる心配はなくなるのだ。
もちろん、貧困者から金を毟り取ろうという最低の相手にも一応人権はあるので、一日三回床下に食事を届けたり、ときにはデザートのフルーツを差し入れるなどの待遇は保証される。
それ以上のたとえばテレビを見たりネットを見たりといった娯楽は提供しかねるが、一種の罪人として拘束されている身だと思えばそれくらいは我慢してもらわなければならないだろう。
私は国家権力ほど無慈悲ではないが、人々から税金と称して金を巻き上げていない分予算に限りがあり、いろいろと至らないところも出てくるかもしれない。その点は時々世間話の相手になるなどしてちょっとした気晴らしや、床下だとつい疎くなりがちな世の動きを伝える役目が果たせたらな、と思っている。
だからべつに衝動的に怒りに任せて殴りかかるのではなく、拘束のため一時的にじっとしてもらうためにあらかじめ用意してあるバットを握りしめ、開錠したドアを私は一気に開けたのだ。
だが玄関先にはすでに誰もいなかった。
なんとも気の短い訪問者だな、と思いつつポストを見ると宅配便の不在票が投函されていた。
危ないところだった、と私は胸を撫でおろした。荷物を届けるために玄関のチャイムを鳴らす人々には、もちろん何の罪も見当たらないのである。
そんな人たちを監禁したりすれば、逆に私の方が警察に捕まってしまう。