2020/08/02

今日は私の誕生日である。五十二歳という一生で最も素晴らしい年齢になった記念に、朝早く起きた私は滞納している税金を納付するため近所のコンビニへと向かった。昨日役所からカラフルな封筒に「大至急開封」と印字されたものが届いたので、行政からのひと足早い誕生日プレゼントだろうか? と喜びを隠しきれぬ表情で開封してみたところ、「差押予告通知書」と書かれた味気ない紙が一枚収められていただけだったのだ。
一瞬表情を曇らせた私だったが、「誕生日という一年に一度しかない祝福されるべき日に、家賃や生活費などという下らないもののことは頭から一掃し、真っ先に税金を払うという心躍るような経験をひさしぶりに味わわせてあげたい」という行政からの真心のようなものに気づいた私は、今すぐ税金を納付したい気持ちをどうにか抑えて布団に入るとすやすやと眠った。
そして今朝、一年ぶりに税金を納めることで財布も心も羽毛のように軽くなった私はふと「この世には生活を切り詰めて税金を納付することの喜びに目覚めていない人が、まだまだ多いのかもしれない」という事実に気づいて愕然とした。たとえコロナウィルスの猛威によって収入が減少したり、先行きがまるで見通せない不安の中で体が震えていたとしても、なけなしの貯金を下ろし、なければ借金をするなどさまざまな工夫で現金を用意して気前よく税金を納付すれば、たちまち気分が高揚し、梅雨明けの空のようになんとも晴れやかな表情になれることを、私は道行く人に訴えるために次々と仁王立ちして行く手を遮り、対話をしようと試みた。だがソーシャルディスタンスが叫ばれる時節柄だろうか? 立ち止まって熱心に耳を傾けてくれる人はほとんどおらず、私の訴えは周囲の蝉の声と同じように無視されたのだ。
しかしながら人々の表情がマスクに覆われて窺い知れなかったことを思えば、素通りした人たちはみな最近税金を払ったばかりで、その喜びで満面の笑みを浮かべていた可能性もある。だとすれば、私の演説など無用の長物ということになり、かれらに無視されたことに対して何の恨みもないのだが。