2018/12/31

もう何年も渋谷へ行っていないような気がする。たまには渋谷へ行きたいな、と思いながら寝たら渋谷の夢を見た。その渋谷には大きな仏像がひとつだけ立っていて他には何もなかった。じゃあどうして渋谷だとわかったかというと、原宿の次が仏像で、仏像の次が恵比寿だったのである。

2018/12/30

部屋の窓から外を見ていたら、西瓜売りが通りかかった。
こんな季節に西瓜売りがいるのは変だと思い、よく見ればそれは灯油売りだった。
でも灯油売りを西瓜売りと見間違えるはずがないな、と思ってよく見たらそれはやはり西瓜売りだった。
西瓜売りはだんだんこちらに近づいてくる。
「甘くておいしい西瓜はいりませんか?」
そう西瓜売りの男は言った。
「いりませんね」
私は答えた。
「じゃあ、燃やすと暖かい灯油はいかがです?」
男は言った。
西瓜売りの男は、灯油売りの男でもあったのだ。
「いりません」
私は答えた。

2018/12/29

犬の散歩をさせている女性がいたので、呼び止めてインタビューを試みた。
だが話を聞いている途中で私は「この人へのインタビューは無意味なのでは?」と気がついてしまった。犬を飼っている人など世の中にありふれていて、とりたてて話を聞く価値などないことが判明したのである。
私はトイレに行くふりをして席を外すと、そのままインタビューを放棄して家に帰った。
あれから五年たった今日、 町で同じ女性が犬を散歩させているところに出くわした。おそらく五年前と同じ犬だと思うのだが、体長がなんと五メートルくらいに成長していたのだ。
今度こそ話を聞く価値があるぞ! そう興奮して女性にインタビューを申し込むと快く応じてくれた。だがインタビューが始まってみれば、あまりの話のつまらなさに急速に興味が失せてしまった。私はまたトイレに行くふりをして席を外すと、女性と犬を置き去りにしてそのまま家に帰ってきた。
みなさんも犬を飼っている人へのインタビューはやめたほうがいい。時間の無駄だから。

2018/12/28

私は年末というものをあまり快く思っておらず、いわば「アンチ年末」の立場である。
そのような人間がいることを、はたして世間の多数派の人々は本当に理解しているのか? 誰もがみな歳末の大売り出しに喜々として押しかけ、来るべき新年に期待を膨らませながら雑踏を足早に歩いていると思ったら大間違いだぞ。
そう叫びたい気持ちをこらえて家の中でベートーベンの交響曲を聞いていたら、突然演奏が止まってCDからベートーベンが話しかけてきた。
「たしかに自分たちを普通の側にいると信じている者たちは、少数派を取るに足らない例外とみなして無視するか、場合によっては異常な習慣を持った犯罪予備軍であるかのように攻撃を加えてくる。多数派であること自体がある種の権力なのだ、ということをなぜかれらは想像できないのだろう? 手に入れた力の自覚がないために、寛容になる契機も失っているのだとすればこんな不幸なことはない……」
私は大音楽家の理解を得られたことに満足し、年末のことはもはやどうでもよくなった。
だがベートーベンによる演説はまだ続いており、いっこうに演奏が再開されないことに嫌気がさした私はCDを叩き割ったのである。

2018/12/27

私の住んでいる部屋には時々幽霊が出ているような気がするが、私はそんな気がしたときは必死で顔をそむけたり、目を閉じたりして心霊現象を見ないように心がけているため、いまだ目撃したことはないし、実際のところここが呪われた部屋なのかどうか不明なままなのだ。
だが念のためお祓いをするに越したことはない。ある日そのことに気づいた私は部屋を出るとバス停に向かった。たいていの場所へは徒歩で行くため、ここからバスに乗るのは初めてのことだ。緊張して座席に腰かけると私はアナウンスに耳を澄ませた。どんな些細な停留所名もけっして聞き逃さず、少しでも悪霊を浄化する能力のある人物のいそうなバス停名が聞こえたら、すばやく降車ボタンを押す手はずだった。たとえば「霊能者自宅前」など。
だがどのバス停も平凡な住宅地らしい、単に耳に心地のいい響きの地名を告げるばかりでいっこうに私の期待に応えることはなく、やがて終点の植物園前に到着。
失望してバスを降りた私を待っていたのは、こんな季節にもかかわらず不自然なまでに咲き乱れる色とりどりの花だった。私にはそれらの花が、我が家に取りついている悪霊たちへ供えられた慰霊の花束のように思えてならなかった……。

2018/12/26

安定した生活を送りたいという気持ちが日に日に高まってきたので、おそらく一流企業などに就職すればいいのでは? という勘が働いた私はさっそく自転車に飛び乗ると街を走り回った。
徒歩なんて、そんなかったるいことはしていられない。 時代はスピードを求めているのだ。私は非常な速さでペダルをこいで近所の道路を走り抜けた。一流企業はどこにあるのか? 私の自転車はブレーキがきかないが、その点も現代のスピード感にふさわしく景色はまるでノートの罫線のように視界を流れていった。
まだ何も書かれていないまっさらなノートのページ。それがつまり、無職の私自身を象徴するイメージである。一流企業が喉から手が出るほど欲しがっている、まだ何色にも染められていない人材。いわばその人材を面接管の前へと送り届けるベルトコンベアがこの自転車なのだ。
やがて太陽が沈んで周囲が暗くなったので、私は充実した気分で帰途についた。
この自転車はライトが故障している。夜間の無灯火走行は大事故の原因となり、大変危険なのである。

2018/12/25

今日は家に食べ物がないので「無料で手に入る食べ物がありそうな場所はどこか?」と考えることに一日を費やした。朝目が覚めてから夜眠くなって目をつぶるまで布団の中でじっと考え続けたので、目が覚めた時点での空腹感が維持され、それ以上進行することなくやがてすべては夜の夢の中へと溶け込んでいった。
このように過ぎていく一日もまた、人生という対局相手のいない将棋盤のマス目のうちのひとつなのではないだろうか?

2018/12/24

空き家があったのでためしに住んでみたのだが、その家の二階からは富士山が見えた。私は富士山の見える部屋に住んだことはこれまでなかった。次の朝も目覚めて外を見ると、やはり富士山がある。三日目も富士山があった。これはもしかして……と胸がどきどきするのを感じながら四日目の朝、窓辺に立ってそっと目を開けると、やはり富士山が見えたのだ。
ある予感の中で五日目、六日目を迎えても、二階の窓から富士山が見え続けた。そして一週間目の今日、いささか緊張しながらカーテンを端に寄せた私の前に、雪を冠った我が国一の山が見事な威容を覗かせていた。
もはや疑うべくもない。ここはつねに二階の窓から富士山が見え続けている空き家なのだ。
私は心にぽっかり穴が開いたように感じて、呆然とその家を去った……。

2018/12/23

玄関のチャイムが鳴ったので、いったい何事だろうとそっとドアを開けてみると、見知らぬ男が立っていて「忘年会をやるので来ませんか?」と言った。
じっと目を覗き込んだが、どうやら男は正気のようだ。手には忘年会を開く証拠だといわんばかりに琥珀色の酒瓶を抱えている。私は今年はあいにく忘年会の予定がなかったため、返事を待たず歩き始めた男の後をふらふらとついていってしまった。
すると突然男の姿が消えたので、驚いて駆けよると地面に深い穴が開いていた。男は穴の底から「ここが会場ですよ」と手を振っている。たしかにすでに赤ら顔になった人々が穴の中で馬鹿騒ぎをしており、その様子は一般的な忘年会のイメージそのものだった。腹踊り、裸踊り、一気飲み、……会場が少々狭すぎる点を除けば。
「急だったので予約してなくて、ほかに店が空いてなかったんですよ」
男はすまなそうな口調で言うと、照れたように頭を掻いた。
そのとき横で高級そうなワインを飲んでいた女が男に耳打ちするのが見えた。
一瞬はっとした顔になった男は、次の瞬間これ以上ないくらい丁寧な口調でこう言った。
「申し訳ありません、すでに満席のようです。恐縮ですがお引き取り願えますか」
私の心に蛍の光のメロディが鳴り響いた。

2018/12/22

今この瞬間もどこかで誰かが大金を拾っているような気がする。その大金は私が拾うかもしれなかった金だ。誰かが拾ったせいで私が拾う可能性が永遠に消えたのだ。
そう思うと気分が落ち込んで私は物を破壊したい衝動に襲われた。だが衝動に任せて部屋の窓ガラスを破壊すると、外の寒い空気が室内に入り込んでしまうだろう……。
そこで私は、大金を拾おうとした人が腰をかがめた途端、猛スピードで飛び込んできたトラックに大金ごと轢きつぶされるところを想像した。
路上に散らばる紙幣と、紙幣のように平べったくなった誰か。 ああよかった、私じゃなくて。大金を拾わなかったおかげで命拾いしたぞ! そう思うと自然と笑顔が浮かび、心にやさしい気持ちがあふれてきた。
こうして窓ガラスの破壊は未然に防がれた。

2018/12/21

自宅の裏に山があることに気づいたので、さっそく登ってみた。
登山口を見る限り家族連れで行くようなちょっとしたハイキング向けの山だと思ったが、実際歩いてみるとなかなかけわしい道だった。気が狂ったように飛びかかってくる猿などもいたので、私は近くにあった山小屋に逃げ込んだ。
すると山小屋には佐々木さんという先客がいた。子供向けの書道教室を開いているという彼は、やはり猿の攻撃を逃れてここに来たらしい。たまたま持ち歩いていた書道セットで佐々木さんが退屈しのぎに壁に書いたという字を眺めたけれど、私には一文字も読めなかった。
「猿が書いた字みたいですね」
正直に感想を述べたところ、顔を真っ赤にした佐々木さんがなぜか筆で殴りかかってきたので、私はあわてて山小屋を飛び出した。
もちろん猿には襲撃されたが、武器を持ってないだけ猿のほうがましなのだ。

2018/12/20

私は最近一万円札を見てないので、一万円札がどんなものだったかをぼんやりとしか思い出せない。何か人の顔のようなものが印刷されていた気がするが……。
だから道路に落ちている一万円札を運よく発見しても「なんだニセ札か」と勘違いしてみすみす素通りしてしまう可能性があると思うと不安でたまらず、ろくに町も歩けない。
という話をたまたま公園で隣のベンチに座ってコロコロコミックを読んでいる男性にしたところ、
「それはあなた、千円札と勘違いされてますよ。たしかに千円札には人間の顔が印刷されてますからね」
という貴重なアドバイスを受けたので感激して、
「じゃあ一万円札には何が印刷されてるんです?」
そう質問をぶつけると男性はなぜか言葉に詰まった。
「白くて丸い、湯気のたってる、割ると中からあんこの匂いがして……」
やがて彼はよだれを垂らしながらつぶやき始めた。
言われてみれば、そうだったような気がする。おそらくあんまんだろう。

2018/12/19

「生卵とかゆで卵って言うのに、焼き卵とは言わずに卵焼きでしょ? あれはどうしてなんでしょうねえ」
私は積年の疑問をコンビニのイートインでたまたま隣に座った人に投げかけると、メロンパンの袋を開けた。
もぐもぐと咀嚼しながらその人を横目で見たが、すっかりのびてしまっているカップ麺を前にしてじっと黙って考え込んでいるようだ。
二時間ほど待ってみたが答えがなかったので、
「難しい質問だったかもしれませんね……私も何十年も頭から離れなかったくらいの問題なんで、一度忘れてお食事を再開したほうがいいかもしれませんよ」
そう進言したが、返事がないのでよく見たらその人は人形だった。
はっとして店内を見回すと、弁当を物色する人やおでんを選ぶ人、レジに並ぶ人、レジの店員もみな二時間前と同じ姿勢を保っていた。
全員人形だった。どうやらここはそういう店らしいのだ。
では、私はどうやってメロンパンを買ったのだろう?

2018/12/18

やぎが紙を食べるので面白がってどんどん食べさせていたら、
「それ、やぎじゃなくてシュレッダーですよ」
通りかかった親切な人がそう耳打ちしてくれた。
その人はとても親切だったので尊敬のあまり私はその人のまねをして、てっぺんにかざぐるまのついたジャイアンツの帽子をかぶり、ネクタイをラーメンの汁に入れながら両耳から無数のしゃぼん玉を出して大声で「シュレッダー大好き!」と叫んだ。
するとたちまち周囲から人が去ってしまったが、遠くから何人かにスマホで撮影されているのがわかるくらい、私も尊敬されたようだ。
シュレッダーは地面に丸い糞を残してどこかにいなくなっていた。

2018/12/17

「人間狩り」と称して自宅の窓からライフルで通行人を撃ってる人がいたから注意した。そしたら素直に謝ってくれたので、悪い人じゃないんだと思う。
反省して真面目に働き始めたその人からさっきひさしぶりに手紙が届いていた。今は青森のリンゴ農家に嫁いで毎日大変な忙しさだけど充実してるし、夫も夫の両親も素朴ないい人たちだから幸せな毎日ですと書いてある。
「時々昔のことを思い出すとまるで自分のことじゃないみたいで、何かそういうアクション映画でも見た記憶と混同してるのかな? と思うこともあるけど、夢枕に自分が撃った人たちが恨めしそうな顔で立ってもはや人間界の言葉ではないものを陰気につぶやき続けているのを見ると、やっぱり現実だったんだなーって思ってちょっぴり憂鬱になります」
そうピンクの便箋に綴っていた彼女はストレス解消のため最近、ホットヨガ教室に通い始めたそうだ。

2018/12/16

今日は先日とは別のUFO研究家に会った。
その人の主張によるとUFOは「宇宙の雰囲気のおかげ」の略であり、地球で現在のような問題の多い文明を維持している人類というちっぽけで有害な存在が許されているのは、その背後に神秘に満ちて何ら声高に語ろうとしない宇宙がその雰囲気をたもって見守っているおかげなのだ、ということを無言で知らせる飛行物体がUFOなのである。
そのようなことを、研究家は無言のままテレパシーのようなもので伝えてきた。
だが何週間も風呂に入ってないという情報も研究家は臭いのようなもので伝えてきたので、「これで銭湯でも行ってください」とお礼の小銭を渡したところ、研究家がさっそくコンビニへ行ってカップ酒を購入するところが目撃された。
テレパシーに行き違いがあったようなのだ。

2018/12/15

買い物をすると金が減っていくが、減った分はどうやって補うのだろう? 他人に質問してみてもいまひとつはっきりしない。自分で金をつくると罰せられる、ということは何人もの人に指摘された。手作りの家具や手作りの食品などはもてはやされるのに、それらを買うための金が手作りだと牢屋に入れられるというのは矛盾した話だ。
という話をいつか誰かと交わしたことがある気がする。でも会話した相手の顔を思い浮かべようとすると、その顔が急速に空気を注入された風船のように巨大化してたちまち割れてしまうので、誰なのかをたしかめることはできなかった。
私の昔の知り合いというのはそんな人たちばかりだ。今は会うことも連絡を取ることもできない、遠い人影の群れ。

2018/12/14

税金を何万年も滞納している人に会った。その人の膨大な滞納額が負担となっていくつもの国家、いや文明が滅亡していったそうだ。この点は曖昧にはぐらかされてしまったが、そもそもどうやら滅亡させた他の惑星から移住して来た人らしい。この人の存在は何か重要なヒントを我々に与えている気がする……。

2018/12/13

社長が町を歩いていたので、金や貴金属などを道に落としたりしないかな? と思って後をついていくと、社長はほら穴のようなところへ入っていった。
こんな照明もないなただの崖にあいた穴に入っていくなんて、本当は社長ではなくただの平社員なのでは? と疑ったが、念のため中を覗き込むと、社長は小さな懐中電灯で穴の壁を照らし、釘のようなもので何かを懸命に彫りつけている。
やがて社長が出ていったあとで侵入して壁に目を凝らすと、そこには大きな字で「社長室」と書かれていた。

2018/12/12

遠くのほうからトラックが近づいてきた。私はトラックを見ると何を運んでいるのか気になる方だ。
資材や土砂などにはあまり興味がないが、マネキン人形などが運搬されている場合、つい走って後を追いかけたくなってしまう。もちろん全力で走っても相手には追いつけないし、一瞬で通り過ぎるトラックの荷台にあるものがマネキンなのか、それとも本物の人間の死体なのかを見極めるのは困難だ。結局のところ、想像で補ってその想像を何度も心の中で反芻することになる。
写真に撮って後でゆっくり見よう、という判断をするにはいつもトラックはあまりに唐突に現れるのだし、たいていは資材や土砂、あるいは自転車や動物などが積載されているにすぎない。そういったものには興味がないのだ。うかつにそんな無用の荷台に近づいて、何かの拍子で脱走に成功した動物などに襲われたら命の危険があるのではないだろうか?
さまざまな思いや記憶が頭の中をよぎり、ふと気づいて顔を上げるとこちらに近づいているはずのトラックの姿は跡形もなかった。おそらくどこか手前の横道へ折れてしまったのだろう。期待したところでほとんどのトラックはそんなものなのだ。運ばれているマネキンの顔も皮肉な笑みを浮かべている。

2018/12/11

みんないい人ばかりだった。歩いているとお金をくれた。寝ていてもくれたし、隠れていても探し出してお金を置いていった。お金を持って遠くから走ってくる人もいた。
お金にはそれぞれ「2097円」とか「909088円」とか「193円」とか書いてあった。
訊きにくいことだが「どうしてこんな端数がついてるんです?」と口に出してみたところ、誰もそれには答えられなかった。
朝目が覚めたら枕元にお金があったので、貧乏人にでもあげようと思ってそのまま持ってきたそうです。

2018/12/10

安全のためにはシートベルトがことのほか重要らしい。法律がシートベルトの装着にうるさく目を光らせているのは、べつに学校の服装検査のように支配者が自らの権力を見せつけようと被支配者に難癖をつけるためではなく、かつてこの社会はシートベルトによって本来救えたはずの命をみすみす散らしてきたという苦い経験を噛みしめたうえでの賢明な判断なのである。
だから私も面倒くさがったり、斜に構えてシートベルトの装着を怠るような真似をやめて、これからは心を入れ替えて安全重視の暮らしをしたい。そう考えて自分の左右を探ったのだが、両手は床に並んだペットボトルやカップ麺の容器を倒すばかりでそこにあるべきシートベルトを掴むことはなかった。
われわれの生活にはいまだ十分なシートベルトが行き渡っていないという現実に、そのとき気がついた。自動車や飛行機の利用者にさえ義務付けておけば仕事は果たしたといわんばかりの官僚的発想が、私がシートベルトを装着する機会を私の周囲から奪っているのだ。
貧困のため自動車免許を持たず、飛行機を利用する余裕も理由もない人間に、シートベルトによって生命と健康を守られる権利はないのか? この国を覆う聞こえばかりよくて実際は空疎な「安全、安全」というお題目の合唱を超えて、国際社会レベルの真の安全意識が人々に根付くことを願ってやまない。
(東京都 無職 50歳)

2018/12/09

行政から「滞納してる税金を払わないと殺す」ということが婉曲に書かれたお便りが届いたので、私は深くため息をついた。
そのとき最近庭にうんこをしていった猫のことが思い浮かんだ。
「猫からうんこ税を取って、それで税金を払えばいいのでは?」
さっそく庭で待ち伏せをすると猫が現れてうんこをし始めた。
「うんこするならうんこ税を払え! 払わないなら三味線にして売り飛ばすぞ」
そう脅したが猫は私を無視して淡々とうんこをし続けた。その姿を見て感銘を受けた私は「私も行政がどれだけ権力を誇示して脅したり差し押さえなどの嫌がらせをしてきても、無視して平然とうんこをし続け、最後はうんこを投げつけて抵抗しよう」そう心に決めたのだ。
とはいえ当面の生活費は必要なので、猫をバットで気絶させると三味線業者に電話した。

2018/12/08

「牛の写真集と豚の写真集のどっちが欲しいか?」
と訊かれたので、
「牛肉は豚肉よりも旨いのはたしかだが、栄養という点ではビタミン豊富な豚肉の方が上だな」
と悩んでいると、質問した人はいつのまにか私の前からいなくなっていた。今ではそれが誰だったのか、顔も思い出せないのである。

2018/12/07

今日は電車に乗りたかったが切符を買う金がなかった。
子供の頃、ランドセルを買う金のなかった我が家では、両親が段ボールを切り抜いてガムテープなどで貼ったランドセルのようなものを私たち兄弟に与え、学校に通わせたものだった。
教科書やノートも買えなかったのでやはり段ボールを切り抜いて似たようなものをつくり、それをランドセルのようなものに入れた。教師や同級生にいやがらせで机を隠されると、両親はやはり段ボールで机に似たものを作ってくれたし、教室を追い出されると学校裏の空き地に段ボールで教室のようなものをこしらえてくれた。もちろん教師や同級生に似たものも段ボールでつくってくれた。彼らは私たち兄弟をいじめないかわりに、授業中も休み時間もずっと無言だったが……。
そんな私だから、段ボールでつくった切符が自動改札に拒否されてもあわてることなく、段ボールで電車のようなものをつくってそれに乗り込んだのである。
さあ帰るぞ、段ボールの我が家へ。段ボールの妻子のもとへ。

2018/12/06

今日はとくに何も起きなかったので、階段を後ろ向きに上ってみた。すると誰かに衝突したが、うしろ向きだったので誰なのかはわからずじまいだった。なぜなら衝突の衝撃で私は階段を下まで転がり落ち、相手は上まで転がりあがってしまったのである。

2018/12/05

真面目に仕事をしている人を見ると、うしろから「わっ」と声をかけて驚かしたくなる。 今日は銀行で窓口の人がうしろを向いた瞬間に「わっ」と声をかけた。するとその行員は驚きのあまり気絶してしまった。見ればほかの行員も警備員も客も、みんな気絶して床に倒れていた。私の声があまりに大きすぎたのだろうか……。
つい出来心で目に入った大金をわしづかみにして私は外に飛び出た。だがすぐに良心の呵責にさいなまれ、銀行に引き返すと何事もなかったように営業が再開している窓口で、事情を説明して私は大金を返却した。行員からは大変感謝され、記念品として豚の貯金箱を贈呈された。
「資本主義の豚の手先め、これはいったい何の冗談のつもりだ?」
私はなぜか激昂して行員の顔に貯金箱をたたきつけた。貯金箱は粉々に割れたが行員はにっこりと柔和な笑顔のまま、だが目だけは無表情に私を眺めている。
その両目はどこか上等なマロングラッセを思わせるものがあり、食欲をそそられた。

2018/12/04

マカロニとまちがえてマカロンを茹でちゃったよ、という話を小耳にはさんだ。結果オーライで意外な味わいがあり、新鮮な触感が味わえたのでこれから世界中にマカロンの新しい食べ方として提案していきたいという話だった。
そこまで聞いてから私は声の主の姿をさがした。だが真夜中の河川敷は冷たい風が闇を吹き抜けるばかりで、猫の子一匹見当たらない。
そのかわり草むらの上にホームレスの死体があることに気づいた私は、110番に通報すると、駆けつけた警官にさっそくマカロンの新しい食べ方を伝授してあげた。
「マカロンって何ですか? ホカロンじゃなくって?」
警官は焦点の定まらない目でそう言うと、びっくりするほど大きなくしゃみを一つした。
見れば彼は制帽以外の何も身につけていないではないか。そんな最低の変態警官の彼も、今日からマカロン好きなセレブ生活の仲間入りである。

2018/12/03

今日はUFO研究家のB氏にコンタクトを取った。
「どうも世間では勘違いされている人が多いのですが」
B氏は未来的な幾何学模様のシャツの胸をそらして、いかにも専門家らしい重々しい口調でこう述べた。
「UFOというのは、〈ウサギの糞やおしっこ〉の略なのです。つまり空中をあの耳の長い哺乳類の糞尿がありえないスビードで飛行しているところが多くの人に目撃されている。これは宇宙からの侵略者などという子供だましの仮説とは比較にならない、じつに奇妙でロマンチック、かつ高い信憑性を持つ学説なのですよ」
しだいに熱のこもった声で語るB氏の口の端から、よだれとも髄液ともつかないものが垂れ始めた。
それを見つめながら私は「B氏のBは馬鹿の略なのだな……」と思ったが、黙っていた。

2018/12/02

目の前をおじいさんが歩いていたので「あ、おじいさんだ!」と声に出したところ、「失敬な! わしはまだまだ若いのじゃぞ」と顔を真っ赤にしたおじいさんが杖を振り回して追いかけてきた。
私はあわてて信号の点滅しはじめた横断歩道を駆け抜けた。ふりかえるとおじいさんがまだ追ってくるが、腰は曲がっているし足元はおぼつかなく、息をゼイゼイいわせて道路の真ん中で電池切れのように動かなくなってしまった。
そこへ信号が変わって飛び込んできたトラックがおじいさんに激突。宙高く跳ね飛ばされたおじいさんは、近所のミッション系大学のキャンパス内へと消えていった。
そっと中を覗いてみると、きらびやかな飾りつけをされた巨大なモミの木のてっぺんに、モズの早贄のように突き刺さって手足をばたつかせているおじいさんの姿があった。
とても信心深そうな学生がそれを見上げて十字を切り、
「主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた……」
そっとつぶやくのを、私はけっして聞き逃さなかったのである。

2018/12/01

家賃を振り込んだら口座と財布が空になり、掃除中の鳥かごから誤って小鳥を逃がしたような寂しさに私は襲われた。
なので金銭のかわりにきれいな貝殻や、きれいなガムの包み紙などをATMから入金しようとしたところ係員が飛んできて注意を受けた。
「自分の口座に何を入れようとおれの勝手だろうが!」
私が正当な権利の主張をしていると「どうしたのかね」と品のいい紳士が奥のほうから現れた。差し出された名刺に「支店長」と書かれていた彼は話の分かる男で「お客様の仰ることももっともだ。今すぐATMを改造して貝殻でも蜜柑の皮でも入金できるようにしなさい」と命令が下されたのだが、支店長の権限ではそこまでできないことが数分後に判明。うちひしがれる彼に向かって「今日はその気持ちだけしっかりと受け取っておくよ」そう声をかけた私は、いずれ金融界に革命を起こすだろう男と固い握手を交わすと、クリスマスイルミネーションの灯り始めた繁華街へと消えていった。