2019/01/31

私は歌人だから、ちょっとした散歩の間にも目に映る景色を次々に歌に詠んではすばやくノートにメモする、といった繁雑な作業を一瞬たりとも止めることができない。
もしもノートがないときは地面に先の尖った石などを使って歌を書き留めると、全速力で帰宅してノートを持ってふたたび大変な速さで現場に戻ってくる破目になるのだが、その間ににわか雨が降ったり、文学的価値のわからない近所の無教養な子供が地面に頭の悪そうならくがきを上書きするなどの行為に及んでいた場合、私のそんな努力は水の泡となるのだ。
日頃の運動不足がたたって、全力疾走後の私はその場で嘔吐したり貧血で倒れたりといった悲惨な状態になる。人はそんな私を物珍しそうに眺めたり、楽しげに指さして笑ったりしているが、あまり面白そうに見ているので自分でも懐から鏡を取り出してそっと覗き込んでみたことがあった。だがそこには顔色の悪い中年男が「死にそうだ」とつぶやいているだけで、とくに興味を惹くようなところはなかった。

2019/01/30

私はもう十年以上満員電車には乗っていないような気がする。あれは通勤する人々が同じ時間帯に集中するために起きる現象だが、おそらく一時的に社会人気分を味わいたいという動機の無職の人々も先を争ってドアに飛び込んでくるので、朝夕の車内は殺人的な混雑になるのではないか?
そう考えていると私もその一員に加わりたくてたまらなくなり、すぐに最寄駅へ向かおうとした。だが私のアパートからは二つの駅へ徒歩で行くことができる。はたしてどちらの駅へ向かうべきなのだろうか、という悩みに私は襲われた。同じ料金を払うなら、より混雑度の高い電車に乗りたいからだ。
それに考えてみれば、単に物見遊山の気分で満員電車へ押しかけるのは、ただでさえ暗い気分で通勤するサラリーマン・OL諸氏にとって迷惑きわまりない話なのかもしれない。そう思うとなんとなくうしろめたい気持ちになり、私は外出を断念せざるを得なかった。
電車賃ならどうにか工面できるが、サラリーマンのふりをするためのスーツなどを手に入れる資金はどこにもない。もしも誰かが貸してくれると申し出たなら、改めてチャレンジしたいという気持ちはあるのだが。

2019/01/29

「私はシュークリームがとても好きなのですが、シュークリームが私のことを好きかどうかはわからない。こればかりは確かめようがないんです。はたしてこういうのも片思いと言うんでしょうかね……」
公園のベンチでシュークリームを食べようとしているとき、たまたま目の前を通過しようとしていた人に私はとくに理由もなく語りかけていた。
するとその初老の男性はしばし立ち止まって考えた後、こう答えた。
「わからないなどと簡単にあきらめてしまわず、何度も同じ質問をくり返してみたらどうです? おそらくあなたはいつも返事がある前に、相手を食べてしまっているのでしょう。それでは真実は永久に闇の中だ。もしかしたらもう一度質問すれば相手は今度こそ心を開いて、あなたの望む返答をくれたのかもしれませんよ。もっとも、あなたの聞きたくない方の答えが返ってくる可能性も無視できませんが……」
男性は私を気の毒そうに眺めると、ゆっくりと西側の出口の方へ歩いていった。
その方角には高級住宅街が広がっていることを私は思い出した。やはり経済的に恵まれている人は心も豊かで、見ず知らずの人間の問いかけにもきちんと向き合って答えてくれる。何らかの悩みがあるときは迷うことなく高級住宅地を訪れ、目についた玄関のインターフォンを押して相談してみよう。シュークリームをパクつきながら、私はそう心に誓ったのである。

2019/01/28

朝目を覚ましたとき、私はこう思った。
「これは本当の目覚めなのだろうか? ただ単に目が覚める夢を見ているだけで、じっさいにはそのまま睡眠状態が続いているのかもしれない。だとすればこれから布団を出てトイレへ行ったり、朝食を食べたりといった行為はすべて夢の末端に付け加えられたエピソードに過ぎず、そのことで引き延ばされた本当の目覚めがやがてやってきた際には、もう一度最初から同じことをくり返す破目になるのではないだろうか。だとすればそんな無駄なことはせず、ここで本当の目覚めの訪れを待つのが得策かもしれない」
だがいつまで待ってもその「本当の目覚め」とやらは訪れず、私は二時間ほど天井を眺めた後「これはどうやら現実の世界のようだな」と判断して素早く布団を出た。
とはいえ、無職で特にバイトなどもしていない私はそれで何の不都合もないのであり、むしろ一日のうち二時間も時間を潰せたことをうれしく思い、自然に顔がほころんできた。

2019/01/27

隣の家の屋根が、なんとなく人間の髪型のように見えてきた。なぜか今まではそんなことを感じたことさえなかったのだが、四十代くらいの堅実なサラリーマンの髪型にそっくりなのだ。
「まるで首まで地面に埋められたサラリーマンがすべてをあきらめて現実を受け入れ、静かに時間が過ぎていくに任せているかのようだ」
それが私の口から出てきた感想だった。そのような家屋に実際に住んでいる人々はいったいどんな気持ちなのだろう。私は好奇心を抑えきれなくなり、隣家の玄関前に立つとチャイムを鳴らした。
ドアが開いて、主婦らしい女性が「何でしょうか?」と訊ねたので、私はここまで述べてきたようなことを率直にその女性に説明した。
「ええ、もちろん我が家の屋根が四十代くらいの堅実なサラリーマンの髪型にそっくりなことは知っています。それが意図したものだと思われたら心外ですが、ふと目を向けた瞬間にそう見えることを楽しんでもらえたら、こんな大変な世の中で我が家のそばを歩くという偶然で結ばれた通行人へのちょっとしたプレゼントにもなるかなと思っています」
女性はいかにも誠実な人柄らしい口調でそのように話し、おもむろにサンダルをつっかけると外に出た。
そして自宅の屋根をまぶしげに見上げながらため息を漏らし、満足げにうなずくと家の中へ消えていったのである。

2019/01/26

生活のために働かざるをえない人々が、そのことに付け込む悪辣な資本家たちにひどい労働環境の牢獄に閉じ込められ、毎日悲鳴が飛び出そうになるのを口にガムテープを貼るなどの各自工夫をして必死に耐えている。
時にはガムテープが剥がれてそれまで溜め込んでいた悲鳴が噴出することもあるが、誰に頼まれたわけでもなくふたたび自分で新しいガムテープで貼り直してしまうので、その悲痛な叫びは長くは続かない。人々は体制に飼いならされるあまり、自腹で自らを拘束する道具を買いそろえ、それが奴隷のエチケットだとばかりに資本家に望まれる自分を演出するのに精一杯なのである。
まったく光の見えない、人類の歴史より長いトンネルに入ってしまったのか? と思うような闇が我々の前に続いている。だがここですべてを諦めることは、資本家たちのパーティーに並ぶ料理の材料になるため、行儀よくキッチンに列をなす動植物の地位に甘んじることだ。
美味しく調理されるな! 煮えたぎる鍋をひっくり返し高価そうな皿を叩き割れ! 生きたままパーティー会場に飛び込んでやつらの度肝を抜き、聞くに堪えない暴言を吐いたり、やつらの肥えた尻に噛みついたりして楽しげなパーティーを恐怖のどん底に突き落せ!
そのようなアジテーションを心の中で熱くくり広げながら私は「資本家のパーティーの会場はどこにあるのだろう? なんとなく宇宙ステーションの中などで開催されているような気がしないでもないが……」そう思うと、無意識のうちに視線は上空に向けられた。
雲ひとつない青空だ。

2019/01/25

部屋の中が寒いので、もしかしたら外のほうが暖かいのでは? と思って外に出てみたところ、外はさらに寒いことが判明したので私はかなりのスピードで歩き始めた。
こうして歩いていると、体内が熱を帯び始めて自然に温まってくるという話を聞いたことがあった。たしかにじわじわとまるで体のどこかに暖房装置が備わっており、それが稼働しているかのような熱を感じ始めた。
やがて私は見知らぬ広場にたどりついていた。そこには大勢の人々が集まり、何やら楽しげに時を過ごしているようだ。
「これはいったいどういうイベントなのですか?」
近くにいた丸顔の男性に私は質問してみた。
「一月二十五日の祭ですよ」
男性はそう答えて、まるでとても楽しいことが待っているかのようにその場で浮かれたダンスを始めた。
たしかに今日は一月二十五日だが、そんな祭があるという話は聞いたことがなかった。もしかしたら最近始まった行事であり、まださほど有名ではないのかもしれない。
私は期待に満ちた目で周囲を見渡した。どの人も抑えきれない喜びや興奮で体を小刻みに動かし、鼻歌などを歌っている。だがいっこうに何かのアトラクションが始まる気配はなく、祭囃子や司会者のアナウンスさえ聞こえてはこなかった。
しばらくじっとして何かが起こるのを待ったが、やがて寒さに耐えきれなくなった私はふたたび歩き始めると、広場を出てそのままかなりのスピードでアパートに帰ってきたのだ。
部屋で布団に潜り込み、私はあの後広場でどんなことが起きたのか想像してみた。だが思い浮かぶのは集まっていた人たちの期待の込められた表情だけだ。どの顔にも中年特有の小じわがあり、髪にはだいぶ白いものが混じっていた。地面にはたくさんの絆創膏が落ちていたような気がする。来年の一月二十五日まで私はこれらの光景を覚えているだろうか。

2019/01/24

今日は外を歩いていたらたまたま富士山が見えたので、富士山を見るのは久しぶりだと気づいてしばらく立ち止まって無言で眺めていた。
「富士山の美しさを言葉に表すことができれば、それは詩とか小説といったジャンルの枠を超えて、日本語の持つ美しさが最高のかたちで結実したあらたな表現を生み出してしまうのではないだろうか?」
そんな考えがふと頭の中に浮かび、もしかしたらそのような作品を生み出すべき使命が自分にはあるのでは? という考えがそれに続いて私の頭を占領した。もはやそのこと以外には何も物を考えられず、富士山の美しさを的確に表す言葉を生み出すことだけに全エネルギーを注いでいると、やがて力尽きたのか猛烈に眠くなり、私は道端に立ったまま少し眠っていた。
夢の中で、私は富士山の頂上に立ってこの国のすべての人々に向かって「今すぐ無益な争いをやめ、隣人と手を取り合ってこの困難な時代を乗り越えるべく最大限の思いやりの精神を発揮しよう」というような意味の演説を行っていた。
だが国内最高峰からのメッセージはあっさり無視され、人々は身近な小競り合いや悪口の応酬に熱心なあまり、状況はますます混迷の度合いを深めていったのである。
「もはや国民の目は富士山の神秘的なまでに完成されたシルエットになど、まるで向けられていない。ここは何も隠すもののない巨大な富士山型の死角として、我々の心に暗い影を投げかけるだけなのだろう……」
気がつくと私はそんなことをつぶやきながら、自宅の座布団に座っていた。
眠ったまま無事家に帰ってきたのだとすれば、私には夢遊病の疑いがあると思われる。

2019/01/23

「この世には真に議論されるべき問題が山積みなのに、人々は目先の対立に気を取られ、売り言葉に買い言葉の不毛な罵倒合戦をくりひろげている。絶対に分かり合えない他人とも同じ会議のテーブルにつき、理性的に長時間話し合うことで未来を少しでも明るいものにしようという地道な努力は、現代では絶滅してしまったのだろうか?」
私はコンビニで新作の弁当などをチェックしているときにふとそんな考えが頭に浮かび、無意識のうちにそのまま口に出していたらしい。
隣で同じように弁当を見つめていた中年男性が驚いたように口を開いた。
「まさに今、私も同じことを考えていたところなんです。もはやこの社会では民主主義が日頃の話しあいの積み重ねだという常識が失われてしまった。選挙に行くことだけが民主主義への参加だと勘違いした層と、選挙にさえ行かない無関心層とに二分されてしまい、話し合いのかわりにネットでの誹謗中傷の応酬がえんえんと続く。あの不毛なエネルギーの百分の一でも使って、職場など現実の人間関係の中で問題提起をしていけば、世界はきっといい方へ変わるはずなのに……」
喫茶店でコーヒーでも飲みながら続きを話しましょう、と中年男性に誘われたが、私は即座に断ってすばやく店を出た。
赤の他人のくだらない持論を聞かされるほど地獄のように退屈なことはない。それに男性はいかにも貧乏そうな身なりなので、コーヒー代を奢ってもらえる可能性がゼロだったからだ。

2019/01/22

資本主義が諸悪の根源であり、すべての資本家を二度と出られない深い穴の底へ突き落したのち上から土砂を投入することによってしかこの世に蔓延する苦しみを取り除くことはできない。
薄々そんな気がしていたのだが、今日アパートの前にとくに意味もなく五分ほど立っていたらそれが確信に変わっていったので、私は資本家への憎しみのあまり訳の分からない怒声を発しながら、周囲の枯れ草を蹴飛ばしたり向かいの家の塀に「資本家のバカ」と落書きをしたりした。
だが向かいの家はごく庶民的なつつましい規模の民家に過ぎなかったので、このメッセージの矛先にふさわしくないと反省してあわてて落書きを消した。それは落書きの上から横線を引いただけなので、塀の汚れとしては何ら解決になっていない状態だったのだが。
「とはいえ、このような一軒家を所有するだけの収入や地位を得ている人物を、われわれの同志とみなすのも無理がある気がする。この家の住人自身が資本家とまでは言えないにせよ、資本家側にすり寄ることで多くの恩恵を受けている者であり、この塀もまたその特権的な立場を維持するために建てられた、人々の分断の象徴なのである」
すぐにそのことにピンときた私は塀に再び「資本家のバカ」と書き足してから、自分の部屋へと戻っていった。お湯を注いだカップラーメンを放置していたことを急に思い出したためだ。
容器の中の汁を全部吸い込んでしまった麺はふやけきって、資本の豚の脳味噌のように見えた……。

2019/01/21

金持ちの家があるという噂を聞いたので、近所の寺院の境内の裏からのびている細道へ足を伸ばしてみた。
道は思ったよりも険しくて、複雑に折れ曲がっているので「こんな歩きにくい道の先に金持ちが住んでいるだろうか?」という疑問が湧いた。だがこの不自然な道こそが防犯のために工夫を凝らしてつくられたものであり、金持ちの家へ続く道にふさわしいのだという気もする。
やがてむこうから歩いてくる人影が見えたので、金持ちの家の人間かもしれないと思った私は、失礼のないようにシャツのボタンをきちんとはめ直し、ズボンの汚れを手で払って心の準備をした。
だが近づいてきたのはいかにも我が家の周辺で見かけるような、薄汚れた安物のジャンパーを着た男だった。私はすっかりリラックスした気分になると、はめたばかりのボタンも自然に外れて、男に気軽に声をかけた。
「このあたりに金持ちの家があるという話を聞いたのですが、どうやら噂に過ぎないようですね」
 すると男はびっくりしたように目を丸くして「そんな話は聞いたことがない」と主張した。
「この先に行ってもいかにも幽霊の出そうなボロ小屋があるだけですよ。いったいどこでそんな馬鹿げた噂が広がったのか……」
そう首をかしげる男性に「おかげで無駄足を踏まずに済みました」とお礼を述べると、 私は道を引き返してきたのである。
だが考えてみれば、あの男性は貧乏人が金持ちの家に近づかないよう偶然を装って立ち話をし、嘘を教える役割を果たしていた可能性がある。
そのために一日中道を往復しているだけの人間を雇うことなど、金持ちにとっては訳のないことなのである。

2019/01/20

海の家で食べるかき氷や焼きそばの味は格別なものだ。子供の頃に食べたそうした味が突然口の中によみがえり、いてもたってもいられなくなった私は近所に住む顔見知りの老人に金を借りると、猛スピードで走る電車で海へとやってきた。
しかしながら、真冬の砂浜には肝心の海の家がひとつも見当たらなかった。単に閉店しているのではなく、建物ごと撤去されてしまっていてがらんとした殺風景な地面があるだけ。これではかき氷や焼きそばに舌鼓を打つことはおろか、子供の頃の思い出に浸るのさえ不可能ではないか?
そのとき水平線の彼方から何かがゆっくりとこちらに接近する様子が目に入った。船にしては変わったシルエットだったので、興味を持って観察しているとそれは砂浜まで数百メートルの距離まで近づいてきた。どうやら海の家が漂流しているようで、中で水着姿の女がトウモロコシを齧っている姿が確認できた。
私が「おーい」と叫んで手を振ると、女もまたトウモロコシを食べながら手を振り返してくれた。その瞬間、波はふたたび海の家を沖の方へ運び始め、そのまま逆再生の映像のように女ごと水平線のむこうへ連れ去ったのだ。
海の家が砂浜にあることの儚さ、その奇跡のように短い時間の尊さについて知った私は、海から帰還するとさっそく顔見知りの老人にも報告した。
老人はいたく感銘を受けたようで「電車賃は返していただかなくて結構です。とてもいいお話を聞かせてくれたお礼に差し上げます」そう笑顔で語ると、夕闇の公園へと消えていった。

2019/01/19

山の上に神社があるという噂を聞いたので、一念発起してのぼってみることにした。頂上には五分ほどで到着したが、神社はおろか鳥居のひとつも見当たらなかった。そこにはコンクリートで固められたちょっとした広場があるだけだった。悪質なデマだったのか、とがっかりして下山しようとした私の心に、いかにも歴史のありそうな古びた社殿のようなものが浮かび上がった。思わず駆け寄った私は財布から最後の一枚となった千円札を取り出すと、すばやく賽銭箱に投入した。現実ではあきらかに躊躇してしまう金額だが、心の中ではその必要もないからだ。そして鈴を鳴らすとかしわ手を打ち、世界平和の早急な実現を心の底から祈ったのである。
山を下りてからふと財布を確認したところ、千円札が見当たらなかったので「先ほど参拝したのは現実の神社だったのか?」と一瞬混乱しかけたが、考えてみたら一ヶ月以上前から財布は空っぽなので、あの千円札もまた私の願望が見せた幻に過ぎなかったのだ。

2019/01/18

眼鏡をかけている人は、みなどことなく賢さを感じさせる。だから私はそういう人を町で見かけるたびに思わず質問を投げかけてしまう。
「世の中は日に日に最悪の状態が更新され続けているように見えます。将来への甘い望みなどとっくに捨てたのに、さらに何かを捨て続けなければその場に立っていることもままならない。こんな地獄のような状況を一挙に好転させる知的な魔法のようなものを開発するのが、あなた方インテリの務めではないのですか?」
もちろん眼鏡をかけている人物がすべて知識階級に属するわけでないことは、私も理屈ではわかっていた。だからこの質問は声に出さないまま、心の中でしているのだ。
そのせいか、今まで一度もインテリたちから回答が寄せられたことはなかった。彼らも別に超能力者ではないのだから、訊きたいことは声に出して質問するか紙に書いたものを手で渡し、後日回答を郵送してもらったほうがいいだろう。

2019/01/17

武器を持った男がこちらに向かって走ってきたので、私は焦った。こっちは丸腰だぞ! そう叫びたい気持ちをこらえて、なるべく目立たないように電柱の陰に隠れるように立っていると、相手は私に気づいてしまった。
「あんた、武器はいらないかい?」
男はそう話しかけてきた。どうやら彼は武器商人だったらしい。私は安堵のあまり横柄な客のような口調になり「そんなものに払える金はないよ、不景気なんだから……」と答えた。
すると男は「金なんか要らないよ!」と言って押しつけるように武器を私に持たせると、いかにも清々した顔で鼻歌まじりにその場を立ち去ったのだ。
ずっしりと重く肩にのしかかる武器に私が戸惑ったのは、ほんのわずかな時間だった。すぐに喜びと興奮が上回り、私は手始めに遠ざかる武器商人の背中めがけて一発ぶっぱなした。
花火のように四散する男の肉体を眺めながら「いい買い物をしたな」と私はつぶやいた。
まるで金を払ったかのような言い草である。

2019/01/16

とても背の高い、鉄塔のような男が歩いてきたので「このままでは踏まれるのでは?」と思った私は近くにあった民家に避難した。たまたま玄関の鍵が開いていたので、インターフォンで事情を説明するなどの手間がいらず、すみやかに家の中まで避難できたのである。
リビングには小柄な老婆が一人いて裁縫仕事をしていた。私が「とても背の高い男が歩いていたので、あわてて避難してきました」と告げると、好奇心を隠し切れない表情になった老婆は裁縫道具を放り出すと家を飛び出ていった。
やがて戻ってきた老婆はすっかり興奮の冷めた顔でこう言った。
「私も初めは大変背の高い男が歩いてくるのだと思い込み、昔からそういう男に興味があったので興奮を抑えきれなかったのだが、だんだん近づいてみると単に曲芸のように肩車をした人間の上にさらに肩車をした人間が乗っており、全体で十メートルほどの高さになっているだけだった。やはり私の生きているうちに、身長十メートルほどの人間を見ることはできないのだろうか?」
私はとんだ勘違いで老婆の心を掻き乱したことを謝罪すると、お詫びのしるしに未使用の使い捨てカイロを手渡した。
ジャンパーのポケットを探ったところ、それしか入っていなかったからだ。

2019/01/15

散歩してたら尿意をおぼえたので、私は近くの公園にあるトイレに駆け込んだ。
用を足しながら最近思いついたジョークを練習のつもりで口にしたところ、背後からワッハッハッハッという陽気な笑い声が聞こえてきた。びっくりして振り向くと、ドアの閉まっている個室があるのでどうやら先客がいたらしい。真夜中だから油断して見落としたようだ。
私はドア越しに丁重に挨拶の言葉を述べると、先客に今しがたのジョークの感想を訊ねてみた。
だがドアのむこうからは依然として笑い声だけが響いている。なんとなく口ひげを生やした壮年男性の笑い顔が思い浮かんだ。どんな質問にも笑い声しか返ってこないので、不審に思った私が隣の個室から壁によじ登って覗き込むと、無人の個室の便器の蓋に小型のラジカセが載せられていた。笑い声はそこからテープで再生されていたのだ。
私はがっくりと肩を落としてトイレを出た。大して受けるジョークでないことは薄々自分でもわかっていたのである。
だが未発表のジョークを胸の中に多数貯め込んでおくことは、まるで他人へのプレゼントを選ぶために訪れた店のような不思議なときめきがある。

2019/01/14

奈良の大仏は「おならの大きくぶっぱなされた音」の略だという説を聞いたことがある。だがなぜそのような汎用性の低い言葉をわざわざ略す必要があったのか、略した際あてがわれた漢字に見合った巨大な像を現実の土地に建立する必要まであったのかは、いまだ解明されてないという話だった。
ゆえに私が紹介できる話もここまでである。

2019/01/13

しばらく顔を見ないうちに佐藤さんは公園のイチョウの木になっていた。
「でもまあ、立派な木になられて何よりです」
私はそうお世辞を言った。本当のところ、私ならイチョウの木になるなんてまっぴら御免だし、佐藤さんは大して立派な木でもなく、ごく平凡なありふれたイチョウに過ぎなかったのだ。
でも彼は私のお世辞を真に受けたのか、どことなくうれしそうに見えた。本人がうれしいなら私には何も文句を言う筋合いはない。そう思ってそそくさと公園を出ていこうとすると、遠くから見覚えのある顔の男性が歩いてくるのが見えた。
それはなんと、イチョウの木になったはずの佐藤さんだったのである。
私が混乱して公園を振り返ると、夕日で逆光になったイチョウが不気味なシルエットで目の前にそびえ立っていた。
この木が佐藤さんでないなら、私は誰とも知らない赤の他人になれなれしく話しかけていたことになる。
だが、たまには初対面の人と気軽に挨拶を交わしたり、ひとときの交流を持つのはいいことだ。いつも近しい仲間だけで親交を深めていては、世の中は排他的でとても窮屈なものになるのだから。

2019/01/12

街を歩いていると、様々な場所に鳥居が立っていることに気づくはずだ。そうした鳥居の中には「これは果たして本物なのだろうか?」と思わず疑ってしまうような鳥居も時々ある。
「鳥居が立っていればその先にあるのは神社だと誰もが信じ込むことを利用して、自宅の玄関前に置いた大きめの箱に通行人が自主的に現金を入れていくことを期待しているのではないか?」
そういう疑いの目で眺めてみると、いかにも偽物めいた質感の鳥居もたしかに存在するのだ。神社に詳しくなく、また人を疑うことのない善良な人々はいともたやすくそんないかがわしい鳥居に騙され、生活費や老後のための貯金を巻き上げられてしまう。
また、そうした虚構の鳥居を設置する者の中には、本当に自宅が神社であり、自分が神主や巫女か何かだと信じ込んでいる気の毒な人もいるはずだ。そんな人を詐欺師呼ばわりして警察に突き出すのは気が引けるが、被害者がいる以上放っておくわけにはいかない……。
悩んだ末に私は、偽物と思われる鳥居には可愛らしい動物の描かれた警告シールを貼ることでさりげなく注意を促すことにした。
その結果「かわいい動物シールのある神社」として逆に人気が沸騰してしまい、それらの鳥居には初詣客による長蛇の列ができてしまうという思わぬ誤算が生じた。完全な不可抗力とはいえ、私もまたこの件に関して無罪とは言えない身となったわけだ。
だがこの地上には完全に無辜の人間など、どこにもいないのではないだろうか?

2019/01/11

私にはサラリーマン時代があったような気がする。だがあるのはぼんやりとした記憶だけで、スーツを着てネクタイを締め、満員電車に揺られている自分の写真などはアルバムに残っていない。だから記憶というものの本質的な不確かさを考慮すれば、私にサラリーマン時代があったと断言するのは到底無理な話なのだ。せいぜい、自分がサラリーマンだという設定の夢を見たことがある、という程度の前提でしか物を言うことはできない。
そう思えば、今でも時々そんな夢を見ることがある。夢の中で私は昔の同僚に再会し、同じ電車で会社に出勤し、社員食堂で得意先の美人OLの噂話に興じている。だが肝心の仕事の内容は今ひとつはっきりしなかった。何か不思議な形の積み木のようなものを床に積み上げて、そのまわりを順番に口まかせの歌のようなものをうたいつつ踊りながら一周するのだ。
とうとう私の番が巡ってきた。私は思い切って積み木を高く積み上げると、大声で吠えるように「やりがいのある仕事の歌」をうたいながら激しいダンスとともにそれを一周した。
どうやら私の仕事は大変な成果を上げたらしい。ダンスを終えるといつもは気難しい上司が目を潤ませて握手を求めてきたし、同僚たちは抱きついて口々に「おめでとう」と言ってくれた。まるで結婚披露宴のような会場で豪華な祝賀会が開かれ、社長から表彰状と記念品(社長自らデザインした特製ネクタイ)を手渡されたところで目が覚めた。
目の前には華やかな祝賀会とは対照的な、アパートの煤けた天井だけがある。その隅に垂れ下がった蜘蛛の巣を眺めながら私は「やりがいのある仕事の歌」を口ずさんでみた。
二番、三番、四番……どこまでも歌詞もメロディーも正確にうたい続けることができた。やはり私にはかつて、サラリーマンだった時代があるのかもしれない。

2019/01/10

冷蔵庫にちくわがあったので穴を覗いてみると、知らない男がちくわを目にあててじっとこっちを見ていた。
「誰だ貴様!」と思わず叫びそうになったのをぐっとこらえると、私は慌てることなく冷静に状況をこう判断した。
「これはたまたま目の前にある鏡に反映した自分自身の姿なのだ。べつにちくわの穴を覗いている頭のおかしい中年男が私の部屋に無断侵入したわけじゃない」
そしてちくわをそっと目から外してみたのだが、元通りの広さを取り戻した視界には鏡などどこにも見当たらなかった。
私は一年くらい前に部屋の鏡に誤って頭をぶつけて破損し、血まみれになったガラス片を拾って不燃ごみに出したことを思い出した。
はっとして顔から血の気が引いていくのを感じながら、私は手元にあったちくわのパッケージを確かめてみた。
すると消費期限の表示がちょうど一年前である。
どうりで変な臭いがすると思った。食べる際にはよく火を通すことを心掛けよう。

2019/01/09

結局世の中は金なのだ。私が海外旅行はおろか、この十年以上国内旅行さえしていないのは金がないからであり、年金や税金などを滞納せずきちんと収めた瞬間に住む場所を失い餓死が決定するのも、全然金がないからなのである。
金が欲しい……金さえあれば……そううわ言のようにつぶやきながら歩いていると、私の声にこたえるかのように風にのってこんな噂が聞こえてきた。
「この世界のどこかには象象街という町があって、そこへ行けば気前のいい町長さんが城塞のような家の窓から地上に群がる貧民たちに向かって札束を面白いように次々と投げ落としてくれるらしい」
そんな夢のような話があるのかと驚いた私は、さっそく象象街を探しにいった。
いくつもの川や山を越えて探し回るうちに、とうとう私はその町にたどり着いた。
と思ったのだが、私の想像と違ってそこには象はいないし、ただ荒廃した空き家が並ぶ通りには、白骨化した死体が時々あるほかは、商店街の割引券が外れ馬券のように風に舞っているだけだ。
おそらく長年抑えていた欲望に火をつけられた貧民が暴徒化し、象の檻を襲って解放した結果、暴れ回った象がすべてを破壊し尽くしたのだろう。
そう結論付けると私はすぐに踵を返した。
札束も象も見当たらない町にはとくに用はないからだ。

2019/01/08

外を歩いていると猫や犬、鳩などの小動物はどこでもよく見かけるが、牛や豚などを目にすることはめったにないはずだ。
ところがスーパーの精肉売場を覗けば、そこには牛や豚やニワトリといった日頃めったにお目にかかることのない動物の死肉が、大量にパッケージされ商品として並んでいる。私はつい先ほど近所のスーパーの店内を巡っていて、そのことにふと疑問を感じた。
元気に動き回っている状態でばかり見かける猫や犬と、いつも無言の死体の状態で登場する牛や豚。この対比からたいていの人が導き出す答えは「牛肉とか豚肉とか偽って売ってるけど本当は猫や犬なんだろ?」というものだ。
だがそれにしては、やはり身の回りで見かける犬猫の数では足りない気がするし、そもそも体の大きさが違いすぎる。いくらバラバラにされても、あれだけの体格差をごまかすのは無理なのではないか?
そう考えてみると、犬猫よりもはるかに大量の、そして大型の動物が我々の身の回りを四六時中うろついていることを、思い出さずにはいられなくなる。
この事実に気づいた私は興奮のあまり眠れなくなり、
「明日は早起きして近所のスーパーを回り、精肉売場に『これらのおいしい肉の前身はあなた方の友人知人、または家族や親戚であり、未来のあなた自身なのかもしれない』という警告の貼り紙をしよう」
そう考えるとようやく心が落ち着いて、すぐにスヤスヤと眠った。

2019/01/07

今日は近所の小学校の前を通りかかったら、少子化が叫ばれるご時世のためだろうか? 校舎の半分がペンキを派手に塗り替えられてパチンコ店になっていた。
だがすでにそれも経営不振で潰れてしまったらしく、パチンコ店の入口は鎖で閉ざされ、建物は落書きだらけですっかり荒れ果てている。
あまりの急な展開についていけなくなった私は、しばらく無言のまま小学校の前に立ち尽くして何か気の利いたコメントをしようと努めた。
だが結局のところ私の口から何ら意味ある言葉は発せられず、廃業したパチンコ店にずらりと並んでいたはずの新機種を思い浮かべながら、とぼとぼとその場を後にした。
それらの台は黄色い帽子をかぶった小学生の形をしていて、一人一人性別や背の高さも違う。だが顔は全部同じもので、私の同級生だったいじめられっ子の田宮君の顔なのだ。

2019/01/06

歩いていたら空き地があって、そこに生えた雑草をむしって食べている女がいた。
「どうして雑草なんか食べてるんです? お腹を壊しますよ」
私がそう声をかけると、女は怪訝そうにこちらに目を向けた。
「雑草? 何のことです? 私はピアノを弾いてるんですよ」
そう言って女はまた地面から雑草をむしって熱心に口に運んだ。
ピアノなどどこにも見当たらなかったが、そう言われてみると心地いい音色がどこからともなく聞こえてくるような気がした。
「何という曲ですか?」私は訊ねた。
「ショパンの『子犬のワルツ』です」
雑草を噛みながら聞き取りにくい声で女は答えた。
「次は、私の作曲したオリジナル曲をご披露いたしましょう」
女はそう言って場所を移動すると、さっきとは違う背の高い草をむしって食べ始めた。
やがてどこからともなくありきたりで退屈な、どことなく不快感をもよおすメロディが聞こえてくるような気がしたのだ。
どうやらこの女、作曲の才能はないらしい。

2019/01/05

すごい勢いで貧乏になっていく知人がいた。まるで除草剤を撒かれた庭のように生活や服装などが日に日にみすぼらしく枯れていくことが一目瞭然なのだ。
これは少々まずいのではないかと我が事のように心配になり、
「大丈夫ですか? 最近すごくお金に困ってるんじゃないですか? ろくに物食ってない顔してますよ。だとしても私には何もしてあげられないのですがね……」
そう率直に切り出すと、その人は何かに気づいたかのようにはっとした顔になり、しばし私を凝視したのち質問への回答もないまま逃げるように姿を消してしまった。
以来なぜかその知人とは音信不通になった。
風の噂では宝くじに当たって、賞金を元手にした新規の事業に成功したためすっかり貧乏生活を脱出。最近もちょっとした城のような豪邸を新築したらしいが、つきあいのある時点でそんな羽振りの良さを発揮してくれたなら存分に金を借りられたのにと思うと残念でならない。
このようなケースは私の周囲ではよくあることだ。

2019/01/04

川べりを歩いていたら水の中に棒立ちになっている河童を見かけた。
「河童なんているわけないだろう」
思わず私が話しかけると河童は、
「おれもそう思うから困ってるんだよね。じゃあどうしたらいいだろう?」
実に困惑したように言って肩をすくめてみせたので、私も一緒にどうしたらいいのか考えてあげた。
だが結論が出ないままやがて日が暮れてしまったので、明日また来るよと言って私は河童と別れて帰宅した。
で、約束通りさっきまた川べりに行ってきたわけだが、いつまで待っても河童は現れなかったのだ。
それも当然だろう、なにしろ河童なんているわけがないのだから。

2019/01/03

「鏡餅って、うんこみたいですよねえ」
近所の橋の上にぼーっと立っていたら、見知らぬ男性がそう話しかけてきた。
「いや、漫画に描かれるような記号的なうんこにならむしろソフトクリームの方が似てるでしょう? 現実にはどちらもありえない形状ですけどね」
私は正月から無駄な言い争いはしたくなかったので、できるだけ礼儀正しく返事をした。
だがお屠蘇気分で調子に乗っていたのか、その人は執拗に絡んできたのだ。
「鏡餅がうんこみたいだってこと、あなた気づいてなかったでしょ? それを認めたくないばかりにそんな誤魔化しみたいなことを言う。素直におなりなさいよ、記号とか何とか、インテリみたいなこと言っておれを煙に巻こうとしたって無駄なんだぞ!」
しだいに相手の口調が激してきたので私はこれは少々まずいと思い、
「箱根駅伝は今年も最高でしたね!」
 そう話題を変えたところ、男性は一瞬で笑顔になって自らの駅伝への思いを吐露し始めた。
そして私の意見も求められたのだが、駅伝を一秒も見ていない私がとんちんかんな返事をするとにわかに表情を曇らせ、そのまま暗い顔で彼は家路についたようだ。
新年早々、また庶民を傷つけてしまったようである。

2019/01/02

目の前の赤い服装の老婆が話を始めた。例によって昔話だ。人生経験に裏打ちされたけっして人を傷つけることのないユーモアが隠し味になっており、思わず身を乗り出すほど興味深い話だった。
老婆が語り終えると私は立ち上がって拍手をし、ぜひにと続きを促した。
すると老婆は満足そうに目を細めてうなずき、同じ話を最初から語り始めた。
だがなぜかその話には一度目ほどの魅力がなく、ありふれた年寄りの自慢話のように聞こえてしまう。首をかしげながら聞いているうちに老婆は語り終えてしまった。
こちらの微妙な表情に気づいたのか、老婆は焦ったようにまた同じ話を最初から語り始めた。
だが今度は二度目よりもさらに魅力が色あせていて、もはや聞いているのも苦痛なほど退屈なうわ言がえんえんと続いているとしか思えなかった。私は深いため息をつくと無言で席を立ち、その場を立ち去った。
数か月後、その老婆は誰からも関心を向けられないまま失意のうちに孤独な死を迎えたらしい。先ほど初詣の雑踏の中で誰かがそう話しているのが聞こえたのだが、こんな不思議な偶然もまた神様からの年に一度のお年玉なのかもしれない。

2019/01/01

通りを歩いていると、むこうから若い男の警官がやってきた。警官は遠くからでもわかるほどこちらを険しい表情で凝視している。私はそしらぬ顔ですれ違おうとしたが案の定呼び止められてしまった。
「きっと声をかけられると思ってましたよ」
私はこんなのはよくあることだ、べつになんでもないといわんばかりに微笑んでそう言った。
「声なんてかけてませんよ」
警官はなぜか不思議そうに首をかしげてそう答えた。
「かけたじゃないですか、今私の名前を呼んだでしょう?」
私が口をとがらせると、警官は眉をひそめてこう言う。
「呼ぶわけないでしょうが。おれはあんたのことなんて全然知らないんだから」
なるほど、それもそうだと納得した私は突然の無礼を丁寧に詫びると、その場で〈警棒を携えた紳士〉と別れた。
しばらく歩いてからふと気になって、立ち止まった私は後ろを振り返ってみた。
すると警官もやはり立ち止まって遠くからこちらを見つめている。
その姿は今しも空をオレンジ色に染め始めた初日の出をバックに、町の模型に据え置かれた警官の模型のように見えた。
私は彼から、どんなふうに見えただろうか?