2019/09/03

世の人々がみずからドブ川に身を投げるような真似を止めないのは、まったく気の毒なことだと云わざるを得ない。
そこがまるで清潔なプールであるかのようにすいすいと気持ちよさそうに泳いでみたり、ファミレスのドリンクバーのような気安さでドブの水をがぶ飲みしている者までいる始末。
だが「そんな不潔なドブで泳いだり、水を飲んだら病気になりますよ」などとうっかり忠告すれば、思いがけない反応が返ってくるはずだ。
「おれたちのプールをドブ呼ばわりするのか!?」
「ドリンクバーの魅力がわからないなんて、なんて気の毒な人なんだろうね……」
違うんです、それはプールでもドリンクバーでもなくただのドブなんですよと必死に訴えても、かれらの神経を逆撫でするばかりであり、いっそう意固地にドブに浸かり続けようとするのは明白なのだ。
もし相手が動物ならむりやり首輪をつけて鎖につなぐなど、少々強引な手段に訴えても一部の過激な動物愛護団体以外は見て見ぬふりをしてくれるだろう。
だが相手が人間である以上、いくら善意に基づくものであれ、当人の合意を得ないまま首輪などで自由を拘束するのは、どんな穏健派の人権団体でも見逃さない最悪の犯罪行為だ。
「やはりどんなに遠回りに思えても、地道に話し合いを重ねて説得する以外に道はないのだ。言葉が通じないことをもどかしく感じたら、一緒にスポーツをして汗を流すとか、河川敷などで大鍋でカレーをつくり、青空の下でともに味わうなどの交流を通じて少しずつ心を通わせていく中で、まるでテレパシーのように真意が伝わる瞬間に賭けるしかない」
私がそう思うと同時に、ふとどこからか旨そうなカレーの匂いが流れてきた。
「よし! 今夜の我が家のメニューは野菜のたっぷり入った栄養満点のカレーライスだぞ!」
そう叫んだ私は、たまたま視界に入ったスーパーの入口へと飛び込んでいった。

2019/09/02

家の前の道路は、どこまでも南へ向かって続いていた。もちろん北へも伸びているのだが、北はすぐに行き止まりになって、このあたりの地主の家が覗く塀へと突き当たる。その家や塀をじっと見つめるのが目的なら話は別だが、そうでない場合は南へ向かって歩き出すことになるのだ。
南というのは、北半球に住む我々にとっては太陽が輝く方角を意味している。なんとなく心が浮かれてくるような魅力的な方角だ。つい足取りも軽くなり、まるで靴など履いていないかのように無音で、地面から数センチ浮いているかのような歩みを続けてしまう。
「このまま勢いが衰えずに南に突き進んだら、いずれ赤道を通り越して南半球に達してしまうぞ。そうなると太陽は北へ居場所を移し、私はいつのまにか日差しに背を向けてだんだんと寒くなっていく道を進んで行くことになるのだが、今さら方向転換は不可能だ……」
そして行き着く先は、南極の氷に覆われた極寒の世界だ。そう思うと私はすっかり暗い気分になり、できるだけそのことを考えないようにするため頭の中で「きれいな声で鳴く緑色の美しい鳥」の姿を思い浮かべた。
その夢のような歌声に聞き惚れていると、ふと鳴き声が止んだので不審に思って目を向けると、鳥は地面に横たわってぴくりとも動かなかった。
やはり南極のとびきりの冷気で凍りついてしまったのだろうか。
そう思うと私もそろそろ覚悟を決めなければと思い、おもむろにシャツの襟を合わせたのだった。

2019/09/01

九月になった。九月は苦月だという連想が働くせいだろうか? なんとなくこれからは人生に苦しみだけがとぎれることなく延々と続き、顔はひたすら苦悶の表情だけを浮かべていくことになるという予感がしてならなかった。
あいにく手元に鏡がなかったため、映して確かめることはできなかったが、手で触ってみるとたしかに非常に険しい、まるで重い岩のようなものを担がされている人の表情のようなものが感じられた。
実際に肩には何も担いでなどいないので、これは心が岩に該当するような何らかの重荷を負っていることの証拠だろう。だが、それは一体何なのか? 人生が苦悩と絶望に彩られた悪夢のようなものだというのは今さら指摘するまでもないが、そんな常識に属することをわざわざ再確認して顔を歪ませる理由など、果たして存在するのだろうか?
思えば、夏が終わってこれからしだいに冬へと近づいていく日々が続くことが、まるで人生の比喩のように感じられて私の心を暗い影で覆うのかもしれない。
だが冬の後には春が来て、ふたたび夏が訪れるのだということを思い出すべきなのだ。たとえこのまま何もいいことのない人生が冬の雪の下に埋もれてしまっても、そこからまた生まれ変わって別の人生が始まり、その新たな人生の春から夏にかけては素晴らしいことが次々に実現し、冬に備えて立派な暖炉のある暖かい家などに住むことも可能かもしれないのだ。
そう気がついた私は思わずガッツポーズを取った。
この次の人生は最高のシーズンにするぞ! そう口に出すと表情もすっかり幸福そうな笑顔に変わったことが、手で触れてみたらすぐにわかった。