2018/11/30

今日は川を渡りたかったけど、渡し船に払うお金がなかった。だから歩いて川の中へ入っていくと、ほかにも金のない人たちが歩いて川を渡っていて、途中で溺れて流されていく人も後を絶たず、こうして金のない人間が不用意な行動により魚の餌になってしまえば金持ちは貧乏人の福祉のために金をとられる分が減るし、海や川の魚の数は増えるしでいいことずくめだということがわかったけれど、私もやはり溺れた。
私を食べた魚を食べた魚を食べた魚を……めぐりめぐって私が金持ちの食卓にのぼってその食欲を満たすとき、私が胃袋に唱えかけた呪詛に気づいて即座に悔い改めない限り、その金持ちには歴史上もっとも悲惨な苦痛に満ちた死がゆっくり時間をかけて訪れることになる。
この有料の川で溺死した貧乏人の肉がすべての魚、獣、植物に行きわたったとき、この世のすべての金持ちは悔い改めるか悲惨な死かの二択を迫られることだろう。
という夢から覚めてまわりを見ると、私は川原にからっぽのコンビニ袋のように打ち上げられていた。向こう岸は向こう岸のままで、私はなめくじのように道に痕をつけながら家に帰った。

2018/11/29

夜更けに廃屋で行われる短歌教室の講師として教壇に立ち、
「短歌というのは……」
と話しだそうとしたら床をムカデにそっくりなムカデ人間が駆け抜けていった。
ので思わず、
「ムカデ!」
と叫んでしまった。
おかげでこの教室に集う老若男女の脳裏には「短歌とはムカデである」という誤った情報が、新任講師の初日の第一声として永遠に刷り込まれた。
もう今さら何を云ったところで無駄だ。いくら訂正してもエレベーターが自動的に一階に戻ってくるように、意識が同じ言葉に立ち返り、うわごとのように繰り返しつぶやく生徒たちをどうすることもできない。
ムカデ人間もいつのまにか教室の最前列で熱心に授業を聞いている。やはり外見で人を判断してはいけないのだ。だが授業に集中するあまり、私は最前列でノートを取る彼女をうっかり踏みつぶしたことに気づかなかった。
帰り際にスリッパの裏に貼りつく死骸を見た時はさすがにショックだったが、よく見ればムカデ人間はただのムカデだったのでショックも半減である。

2018/11/28

ようするにこの社会は猿だらけだ。昨日まで私は毛並みのいい猿を一匹飼っていたけど、檻の掃除をしているすきに逃げられてしまった。でも猿は字が読めないから、箪笥の引き出しから預金通帳を盗むつもりで誤って母子手帳を持ち逃げした。もっとも、預金通帳を盗んだところで残高はゼロなので無意味なのだが。
とにかく金がまったくないので、玄関のポストの横にハンドメイドの募金箱を備え付けて急場をしのぐことにした。
材料はアマゾンの段ボールとガムテープ。夕方ふたを開けてみると、さっそく200円の収入があった。銀色に輝く硬貨を二枚握りしめた私は近所のコンビニへとまっしぐらに走った。売り場に並ぶ雑誌のページを手あたり次第コピーしていたらなぜか店員に止められた。
「あのねえ、私は立ち読みというのは好きではないんですよ。家に帰って座って読みたいわけです。立ち呑みとか、立ち食いとか、野良猫やカラスじゃあるまいし見苦しいじゃないですか!」
人間としての矜持について熱弁をふるう私を、海の向こうからやってきた店員は壁の染みを見るような目でみつめた。その染みはまるで人間の中年男性の顔のように見え、しかもじっと凝視し続けていると話しかけてくるように感じられるのだ。

2018/11/27

自分の年齢に三十六を足して七で割ってゼロを掛けると、その人の頭上に浮かんでいるちくわの数になるらしい。ぼくはゼロだった。さて、きみのちくわは?

2018/11/26

今日はさんまのかば焼きとうなぎのかば焼きを食べ較べした。同じかばでも焼き手が違うだけでどうしてあんなに味が違うのだろう。うなぎは料理の名人か?