2019/02/28

昆虫と話ができるという女がいた。
会ってみると、どことなく昆虫に似た顔をしている。これなら昆虫側も親しみを覚え、思わず女に話しかけてくることもあるかもしれない。
そう思わせるくらい、女は昆虫に似ていたのだが、具体的にどの昆虫なのかを指摘しようとして私は言葉に詰まった。
カナブンやカブトムシではないし、カマキリでもハエでもない。それならカメムシか、それともシロアリかと言えばやはりどれも違うのだ。
だったら昆虫に似ているという感想が勘違いなのか? そう思って女の顔をまじまじと眺めたが、私の口からは無意識のうちに「昆虫に似てる……」という言葉が漏れたくらい、やはり見事な昆虫顔なのである。
なんとも不思議で謎に満ちた話だと私は感心してしまった。
女はその間、ずっと身の回りの昆虫たちと話し続けていたので、私が考え事に没頭していても特に不都合はなかった。
昆虫は室内外を問わずあらゆる場所に何かしら存在している。おかげで女はつねに話し相手に事欠かないようで、実に羨ましい話ではないだろうか。

2019/02/27

私は川上さんに会うために、川沿いの道路を歩いていった。
だが川上さんの家にはたどり着かなかった。
川上さんは川上に住んでいると誰もが思うだろう。
そこが盲点なのだと思い、あえて川上ではなく川下に向かって歩いていったのが敗因だった。
川下に川上さんの家はなかったのである。
だが川上さんの家から見て川下に住んでいるはずの私の苗字は、べつに川下ではないのだ。
私は今、そのことに不安を感じている。

2019/02/26

黒い屋根の家があった。その黒さにはとくに興味がわかなかったが、玄関のドアが茶色いところは気になった。
もしかしたら部屋のドアも茶色いのではないだろうか?
そう思うと居ても立ってもいられなくなり、その家の庭に忍び込むと窓から部屋を覗き見た。すると案の定、茶色いドアがあったので私はまんざらでもない気分だった。
ここでおとなしく帰ればよかったのだが、私はつい欲を出してしまった。
これはひょっとすると、トイレのドアも茶色いのではないだろうか? そんな考えが頭に浮かんだ途端、私は窓を開けてその家の中に侵入していた。
部屋のドアを開けて廊下に出ると、すぐにトイレのドアを発見した。
だがドアは茶色ではなかった。どういうわけか紫色だったのだ。
その色を見て私は近所の公園でよく見かける皺だらけの老婆の髪の色を連想した。
後日分かったことだが、私が侵入したのはその老婆の自宅だったのである。
なんとも不思議な話ではないか。

2019/02/25

今では世界から最後の希望が失われ、ひたすら闇に包まれていくだけのこの世で自分たちだけは光を浴びる権利がある、という主張のぶつかり合いだけが延々と続いている。
もちろん、どれだけ権利が固く約束されたところで、光のさしこまない世界ではそれは空手形に終わるだけだ。まずはこの闇の中で新たな小さな火をともすところから始めなければならないのだが、さまざまな属性により分断された人々が、そのために力を合わせることはもはや絶対に不可能なのだ。
むしろ互いがともしたろうそくの火をすかさず吹き消しあうことが、私たちの最大の生き甲斐になっているのではないだろうか?
そんな救いのない気持ちになった私は、本当にこのままではだめだと思い、自分にできることから今すぐ何か始めなければ気が狂ってしまうのではないか? とさえ思うのだが、一流大学を卒業したインテリではなく、そのような優秀な友人もいない私にはこの絶望の世界からの脱出方法を生み出すようなチャンスは初めから閉ざされているのかもしれない。
そんな最悪の結論に達した私は、力なく公園のベンチから立ち上がると近くのスーパーの総菜売り場へと歩いていった。
毎晩八時になるとすべての惣菜に半額シールが貼られるので、私はそこで時間調整していたのである。本日はタラの芽の天ぷらを購入した。季節の食材を調理した惣菜を半額で入手することは、私にとってこの上ない喜びのひとつだ。

2019/02/24

パソコンはあらゆることを実現していく魔法の箱のようなものだが、まるで引き換えのようにこの社会に暮らす人の心は荒廃し続けている。
他人への思いやりの精神が失われていった結果、たとえばいかにも貧しそうな人々の住む通りに並ぶ無数の郵便受けの一つ一つに、封筒に入れた札束を無言で放り込んでいく。といった慈愛に満ちた行為を実行する資産家はまるで見当たらなくなってしまった。
私は毎朝起きると必ずアパートの郵便受けを確かめるのだが、そのような封筒が入っていた記憶はない。届いているのは企業のDMか税金などの督促状や差押さえの勧告ばかりで、ようするに他人の金を毟り取ろうとする卑しい精神が送り付けてきた郵便物ばかりなのだ。
今日などは郵便受けの蓋を開けた途端、何らかの生き物が勢いよく飛び出して私の顔を鋭い爪のようなもので引っ掻くと、そのままどこかへと去ってしまった。
しばらく呆然と立ち尽くしたのち、気を取り直して鏡に映してみたところ、私の顔の生々しい傷跡は「隣人愛」という文字に見えた。
一瞬だけ邂逅した未知の生物が、私に伝えたかったメッセージなのだろうか? その本当に意味するところをぜひ知りたいものだが、傷跡が癒えるまでのわずかな月日に、私は果たして答えを見つけられるのだろうか。

2019/02/23

階段があった。何の階段だろう? と興味を持ったが、どうせろくな階段ではない気がしたので私は前を素通りしたのだ。
ところが今日ふたたびその場所を通りかかると、何やら大きなバッグを抱えた人が階段を下りてくるのに出くわした。
聞けば、その人も階段に興味を持って実際に上ってみたらしい。すると上りきったところにそのバッグが置いてあり、
「札束が全部で十億円入っています。どうぞご自由にお持ち帰りください」
という立て札が設置されていたというのだ。
私は大変なショックを受けた。もしもあのとき素通りせず階段を上っていたら、私がその十億円を入手していたのではないだろうか? そう思うと後悔の念に押しつぶされそうになったのだ。
話を聞いたその人はいかにも気の毒だという表情になり、
「それならあなたにもお金の一部を受け取る権利があるはずだ。この中からせめて一億円をあなたに差し上げなければ、私の気持ちが収まりそうにありません」
そう言うとバッグを地面に置き、ファスナーを開け始めた。
期待に満ちた目で見つめていると、バッグの中からは札束ではなく新聞紙やチラシ、その他よくわからない紙屑などが大量に路上にあふれ出た。
私に一億円をくれるはずだった親切な人は、呆然とゴミの山を見下ろして無言になっている。
「もともと手に入れ損ねたお金ですから、一億円のことは気にしませんよ」
そう声を掛けようとして、寸前に私は思いとどまった。
その人自身がたった今、九億円を失ったところだという事実にふと思い至ったのだ。

2019/02/22

人生に必要なものは、まずは何よりも心から打ち解けられる親友の存在だ。
仕事上の失敗や、失恋の痛手、人間関係の悩み、金銭的なトラブルなどなかなか他人に言えないような個人の問題を、余さず打ち明けて受け取ってもらえる親友がいるなら、その人の人生はもはや何も心配のいらない状態にある。なぜなら、あらゆる問題は一人で胸に貯め込むことで事態を悪化させるのだし、誰よりも親身に相談に乗ってくれる存在が、必ず最良のアドバイスを与えて目の前に進むべき道を敷いてくれることになるからだ。
そんな内容の主張を大変聞き取りづらい早口で語っている男が、コンビニのイートインで隣の席に座っていた。
ガラ空きなのにわざわざ隣に座った男を初めは警戒していたのだが、すぐにそんな有益な情報が彼からもたらされていることに気づき、私は必死に聞き耳を立て、メモを取り続けた。
やがてすべての主張が終了したのか、男は沈黙に包まれた。あらためてその姿をよく見ると、目の前のカウンターには何の飲食物も置かれていない。つまり男はただ私に有益な情報をもたらすためだけにその席に座ったのだろう。
ならばこの男こそ、私の親友になるべき人物として神が用意して、タイミングを見計らって派遣してきた無二の存在なのでは? そう思った次の瞬間、男は立ち上がってすべてに興味をなくしたかのような表情で店を出ていってしまった。
その後を追うように、一匹の蠅が飛び回りながら一緒に外へ出ていくのが見えた。
もしかしたらあの蠅が、すでに男の親友だったのかもしれない。

2019/02/21

春が近づいているのだということを、最近はひしひしと感じている。
この「ひしひし」というのは春がこちらへ歩いてくる足音なのでは? という気がふとしたので、窓を開けて耳を澄ませてみたのだが、聞こえてきたのは近所の子供が発する無意味な叫び声と、遠くの線路を走る電車の音ばかり。
やはり春はとくに足音などは発せず、無音で近づいてくるのかもしれない。そう考えてややがっかりした気分で窓を閉めると、意外なことに室内から「ひしひし」という音が聞こえているのに気づいた。
これは盲点だった。外から来訪するとばかり思っていた客人は、すでに室内に招かれていたという可能性もあったのだ。そう思って急いで振り返ると、床に積まれた本の山が傾いて今にも崩れそうになっているのが目に入った。
数秒後にその山が崩れ落ちた途端、部屋から「ひしひし」という音もまた消え去っていた。
わが家に春は到着したのだろうか?

2019/02/20

スーパーの野菜売り場を見ていたら、半額のシールを貼られたキャベツが売られていた。
「売れ残ったから半額にしたのだろうか? それならわざわざシールを貼る手間などを掛けず、最初から半額で売れば飛ぶように売れるような気がするのだが」
私は素人考えながら、そんなアイデアが心に浮かぶと同時に口からも発していた。
すると近くで商品の補充をしていた初老の男性がはっとした表情になり、私に近づいてくるとうやうやしく名刺を差し出した。
「私は店長の小林という者です。たった今お客様が述べられたご意見ですが、何か非常に参考になる視点を提供して下さっているような気がします。ぜひ採用を検討したいのですが、許可をいただけないでしょうか? もちろん無償ということはありえません。その結果もたらされた利益の半分をお客様の口座に振り込む、という条件をこちらとしては考えています」
店長という高い地位にある人からのそんな申し出に私は恐縮し、むろんその場で快諾したのだった。
それからひと月ほどでなぜか突然そのスーパーは潰れ、私はアイデア料を受け取れずじまいになっている。
だが一ヶ月の間店内のすべての商品がもれなく半額だったことは、今でも思い出すたびに幸福感に包まれて優しい笑顔になれる思い出として、私の胸に残っているのである。

2019/02/19

やはり芸術家には創作の霊感をもたらすような、誰もがミューズと呼んできたような存在が絶対に必要なのかもしれない。
そんな貴重な存在に恵まれた者だけが確実に飛び抜けた成功をおさめ、歴史に残るような作品や業績を輝かせることができるのだということを、実際にそうした立場を手にした著名な人物が証明してみせることで、世の中にふたたびミューズの必要性についての認識が急速に高まっているのだという噂を耳にした。
この地上に肉体を持った存在として生まれてきた女神というべき奇跡の存在が、静かな陶酔と狂おしい情熱の逃れがたい嵐の訪れたような創作の荒野に降り立ち、その魅力と詩的な深い影響力で男たちの集団を翻弄し尽くしたのちに、その中の一人がそうした青春の日々をいまや成功の高みに上り詰めた地点から甘い傷みとともに振り返るとき、思わず口から漏れ出てしまう奇声。
それを耳にするたび私たちは、やはりミューズを崇めることでこそ到達できる稀有な地点というものが男たちにはあり、その地点から響いてくる男の奇声に耳をすませる機会などを数多く設ける必要があることを痛感する。
まだそれを実際に耳にした人の数は案外少なく、そのことがミューズの必要性について理解できない、いわば時代に取り残された層を生み出していることは否めないだろう。
ミューズを語る行為への拒否感は、男の奇声が先導していまや世界を覆いつつある新しい波に乗り遅れることを意味しており、めまぐるしく更新され続ける常識を無視して旧弊な倫理観にすがることで、心の安寧を得ようとしている人々をいかに目覚めさせて行くかは、今後の芸術的な課題になるはずだ。
そのためにも我々はことあるごとにミューズについて熱く語り、身の回りに大小さまざまな「私のミューズ」の姿を発見してSNSで嘘偽りない感情とともに報告するなどの活動を続けるべきだし、ミューズへのこらえきれない崇拝の念を胸の中にはぐくむたびに漏れ出てしまう奇声を、けっして恥ずかしがることなく、大勢の人の前でマイクなどを持って披露すべきなのだ。
……といった話をつい先ほど、たまたまバス停のベンチで横に座っていたご婦人から熱心に聞かされて私は非常に印象に残った。
まだまだ話の続きを聞きたいという切実な願いも虚しく、やがて目の前にバスが停車したのでそのご婦人は駅方面へと無言で運ばれていった。
私がぽつんとベンチに取り残されたのは、バス代を節約して歩いている途中に、ちょっと一休みしていただけだからである。

2019/02/18

空腹をおぼえたとき、人は冷蔵庫のドアを開けて「何かすぐに食べられるものはないかな?」という表情で中を覗き込むものだ。
そのとき買い置きしていたプリンなどがあれば、さっそく取り出して小腹を満たすことになるのだが、そう上手くいくときばかりとは限らない。
冷蔵庫が空っぽだったり、生肉や生魚など、面倒な調理を経たうえでなければ口に運べない食材が、庫内を占領しているかもしれないのだ。
その際は「せっかくだが今は調理をする気分ではないのだ……」という沈んだ表情に変わり、そのまま空腹に耐えるか、外出して何らかの食品を入手するかの選択を迫られることになる。
玄関から外へ飛び出した場合、そのまま近所のスーパーまでの道のりで空腹のため判断ミスを犯し、道に迷ったり、うっかり全力で走って途中でエネルギー切れとなり、店までたどり着けないという事態が予想される。
そのかわりに、今まで気づかなかったような小さな商店が目の前に現れ、そこではスーパーよりも家庭的な味の惣菜などが、安価に販売されているかもしれないのだ。
そのときは「買い食いなど意地汚い」などという貴族的な意見はすばやく頭から振り払い、購入した肉じゃがなどの惣菜をその場で手づかみで食べることで、無事空腹を満たすことに成功。行きとは見違えるような颯爽とした足取りで帰途に就くところが、今から目に浮かぶようなのだ。

2019/02/17

とくに何も起きない日は、かわりに心の中で様々な劇的な場面、楽しい出来事や悲惨な事件、心を洗われるようなエピソードなどを想像すると、まるで魔法のように充実した一日になることをご存じだろうか?
私は今日、心の中で巨大な噴水とその向こうにひろがる青空を眺めていた。それだけでは物足りないと感じたので、噴水池から訳の分からないことを叫びながら飛び出してくる老婆を想像したところ、その老婆が右手にぎらりと光る刃物を持っていたので大変なことに。噴水の周囲で日向ぼっこをしていた人々はたちまちパニックに陥り、蜘蛛の子を散らすように逃げていったのだ。
だがよく見れば老婆は、左手にサンマのような魚をぶら下げていた。当然のようにその場でサンマをさばき始め、見事に三枚におろしてみせたのである。
逃げた人たちはとんだ早とちりだったわけだ。老婆は恐らく、噴水池で泳ぐサンマ(のような魚)をすばやく見つけ、飛び込んで捕獲したところだったのだろう。
一人だけ物陰から一部始終を眺めていた、小学校低学年くらいの女の子がいた。老婆の包丁さばきに感銘を受け、拍手しながら近づいていったのだ。すると老婆はさばいた魚の身をそのへんに放り捨てると、刃物を振り上げて女の子の頭部に突き立てた。
びっくりした顔で立ち尽くしている女の子。私もびっくりである。まさかこんなことになるとは誰にも予想もできなかったのではないか? 人間の心は紙風船のようにからっぽで、ちょっとした風向きでどこへでも転がるものだという教訓が、この事件から得られたような気がする。

2019/02/16

たいていの人が一度は犬を飼ったことがあるのではないだろうか? 犬はただかわいいとか賢いというだけでなく、動物の中で最も人間の伴侶にふさわしい、いわば親友のような存在だ。
犬のいる暮らしへの憧れが、私たちの心の半分を常に占めているのはそのためだ。もちろん現実には、アパートやマンションなどで犬と暮らすことは困難であり、泣く泣く犬のヌイグルミや剥製などを家に置き、まるで生きた犬のように話しかけることで気を紛らわせている人も多い。
毎日のようにそうしていれば、ふとした拍子に剥製の犬がしっぽを振りながら甘えてくる、ような気がする瞬間が訪れるかもしれない。それはちょっとした錯覚のようなものかもしれないし、もっと深刻な、何らかの疾患が見せている幻覚の可能性もあるが、犬を飼うという最上の喜びから見放されてきた者にとって、そんなことはどうでもいい話だ。
さっそく首輪にリードを取り付け、近所を散歩へ行くのもいいだろう。初めは周囲の人の目が気になるかもしれないが、こちらから元気に挨拶などして愛犬の自慢話などを始めれば、相手も心を開いて次回からは優しく見守ってくれるだろう。
誰もが犬を見れば笑顔にならずにいられない以上、何ら心配などいらないような気がする。

2019/02/15

道路の横の森から誰かが飛び出してきたので、私は心臓が止まりそうになった。
よく見れば近所の鈴木さんだ。
私はどうにか心を落ち着かせながら「森で何をしていたのですか?」と鈴木さんに訊ねた。
すると彼は不思議な形の帽子をかぶり直し、小さく咳をしてから言った。
「この森の奥に、動物図鑑などに載っていない謎の生物が生息しているという噂をご存知ですか?」
額の汗をタオルで拭きながら、そんな驚くべきことを鈴木さんは述べた。
「このあたりでは最近UFOの目撃情報が相次いでいます。だから森の中にいるのは恐らく未知の宇宙生物だと思うんですよね」
それを聞いて私は再び心臓が止まりそうになった。
「私はその、宇宙生物を捕獲して一儲けしようとたくらんでいるのですよ」
そんな告白が続いたので、私は胸を押さえてその場に座り込んだ。
「それで、宇宙生物は発見できたのですか?」
声を振り絞ってようやくそう訊ねると、私は鈴木さんを見上げた。
「だめでした。そのかわり素敵な帽子が落ちていたので、かわりに拾ってきたのです。一獲千金の夢は消えましたが、こんな素敵な帽子にはなかなか出会えるものじゃない。たまには森の中を散歩するのも悪くありません、思いがけない発見がありますからね」
そう答える鈴木さんの声がだんだん聞き取りにくくなったのは、帽子が鈴木さんの頭部をすっぽり包み込んでいたからだ。
帽子はそのままひろがって、今では鈴木さんの肩を飲み込もうとしている。
おかげで最早鈴木さんとは会話が成り立たなくなっており、興味を失った私はその場を立ち去った。
トイレットペーパーを買いに行く途中だったのを思い出したのだ。

2019/02/14

よく考えてみれば、この町はなかなか住み心地がよく快適な環境であり、見ず知らずの他人にもお勧めしたくなるような魅力あふれる郊外の土地なのかもしれない。
理由はさっぱりわからないが、なぜかそんな気持ちがあふれてきてどうにも抑えられなくなった私は、どうにかして我が町を日本一の人気タウンに推薦したいという気持ちを誰かに伝えずにいられなくなった。
こうした場合、同じ町に住む人間どうしで語り合うのももちろん悪くないが、それだけでは町の魅力はただ閉じた輪の中をぐるぐる回るだけで終わってしまう。ここはやはり、この町とは縁もゆかりもない人と夜通し語り合う際などに、さりげなくこの町独自の魅力をアピールしてその人の潜在意識にこの町への招待状を送り届けるのがいいのではないか?
そんな語らいの場を何度か設けた後、実際にその人を車の助手席などに乗せ、この町へとスピーディーに運んでくるのだ。免許がない場合は電車でも構わない。
ただ、素直に招待に応じてくれない場合は、少々手荒な真似をしなければならない可能性もある。数人がかりでその人を地面に押さえつけ、ロープなどで手足の自由を奪ったうえで強引に荷台に乗せてトラックを飛ばす。
そんな犯罪スレスレの行為をしても現実にこの町を目にしたとき、拉致されたことへの怒りなどはその人の心からすっかり消え失せて感謝の気持ちでいっぱいになっているのである。
「私の臆病な心を無視して狭い世界から無理やり引っ張り出してくれてありがとう。何とも快適で魅力をたたえた町だと認めざるを得ないね。私もこの町が日本一の人気タウンになれるよう、及ばずながら協力させてもらうよ」
そんな嘘偽りのない言葉を耳にすることが、私たちの何よりの生き甲斐なのである。

2019/02/13

わが家の周囲はつい最近まで住宅地だったはずだが、今朝気がついたらほとんどが墓地になっていた。
「これは住人が死亡したので手間を省いてそのまま家を墓地に転用したのだろうか? それとももっと複雑な過程を経て、まったく無関係な人々の墓がなぜか住宅の跡地へと引っ越してきたのかもしれない」
私はたいそう好奇心を刺激され、つい早口でそのようなことをまくしたてた。だがそんな無遠慮な独り言を耳に入れるようなご近所さんも、今では存在しない。そう思うとなんとなく寂しいような、薄気味悪いような不思議な感情が胸に沸き起こってきた。
「こんなめったにない気持ちに襲われている今こそ、何かふさわしい歌を咄嗟に詠まなければならないような気がする……」
私は歌人という名の「言葉のアーティスト」なので、当然のようにそう考えると窓辺に立ってしばらく外の景色を眺めつづけた。
そうして数十分にわたって外を凝視していると、まるで霧が晴れたかのように陰気な墓地が目の前から消え去り、見慣れた平凡な住宅地が姿を現した。
「やれやれ、非常に稀有な事件が巻き起こったのだとばかり思っていたのだが。単なる目の錯覚だったのか」
私はがっかりしてそう吐き捨てると、腹いせにそのへんに落ちていた何らかの家電のリモコンを拾い上げて、思い切り窓に投げつけた。
すると運悪く窓をリモコンが突き破り、音をたててガラスが割れてしまった。おかげて寒風が常時吹き込んでくるとても寒い部屋になってしまったことを、今では大変残念に思っているのである。

2019/02/12

「ひさしぶりに、クワガタが捕りたくてたまらない気分だ」
私は自分のそうつぶやく声で目を覚ました。
さっそく壁に掛かったカレンダーに視線を向けたところ、そこには当然のように「二月」の寒々しい文字が示されていた。
「残念ながら、クワガタ捕りのシーズン到来はまだまだ遠い話のようだ……」
私の声に無念が滲んでいることが自分でもわかった。
「今から近所の雑木林に出かけたとしても、恐らく夏までその場でじっと待たねばならないだろう。そんな手持無沙汰な事態に陥ることを思えば、このまま布団の中にいたほうが余程有意義な時間が過ごせるのではないか? 夏まで待たなくても、夢の中で大量のクワガタが捕れるかもしれないのだし」
そうつぶやくと、私はふたたび眠りに落ちていった。

2019/02/11

この世の中を自由に駆け巡って人々に幸福を配るサンタクロースのようなものであるべき金銭が、一部の特権階級の人々に独占され、ただかれらの広大な面積を誇る金庫の隙間を埋めるためだけに使用されているという噂を耳にした。
私は大変な怒りを覚え、それらの強欲な資本家たちにこの世の大半を覆う貧困の現実を知らせ、改心して金庫の金を貧しい人々にプレゼントするサンタクロースになってみてはどうか? という提案をするために(昼食のラーメンを食べている途中だったが)あわてて家を飛び出すと、丘の上に続く坂道へ向かって駆けだした。
だが坂の半ばほどに達した頃だろうか? 私の体力はついに限界に達し、それ以上は一歩も進めないという状態に陥ってしまったのである。
「こんな急な上り坂は、具のないラーメンを毎日のように食べている軟弱な人間に上りきることは不可能なのだ。やはり分厚いステーキが必ず食卓に登場するような富裕層だけが歩いて行ける場所に、かれらの住む町は広がっているのかもしれない」
私の心にそうした考えが浮かぶと同時に、たどり着けなかった幻の高級住宅地への憧れのようなものが胸にふわふわと生じたため「いつかそんな町を心ゆくまで散歩してみたい」という当面の目標が独り言の形で口から漏れてきたのだった。

2019/02/10

夕方外を散歩していたら、見知らぬ男性が地上から五メートルほどの空中に浮かんでいた。元は白いジャージのようだが、当然のように夕日に染まってオレンジ色になっている。
私は感心して男性に声をかけてみることにした。
「こんにちは。いったいどうしたら空中に浮いたりできるのですか?」
そう訊ねてみたところ、男性は困ったような顔で言った。
「逆に訊きたいんですけどね、どうしたら浮かずに地面に立っていられるんです?」
私は驚いて自分の足元を見おろした。履き古したスニーカーはぴたりと道路に貼りついて、もちろん一ミリも浮かんではいない。
「どうって、別に何もしてませんよ。自然に立ってるだけです」
すると男性はうなずいてからため息まじりにこう言った。
「私もですよ、別に何もしてないのに自然に浮かぶんです」
実際のところ、彼は両手を羽ばたかせたりなどの努力は一切していないように見受けられた。
我々はしばらく無言で互いを眺めていたような気がする。
やがて私は空腹を覚えたので「そろそろ夕ご飯を食べよう」と思ってその場を去ったが、男性はそのまま同じ場所に浮かんでいたと思う。
どうやら移動することはできないらしい。食事などはどうしているのだろうか?

2019/02/09

近所に天才画家がいた。そんなことを私は今まで少しも知らなかった。我が家の周囲はありふれた住宅地で、ところどころ空き地もあって雑草が我が物顔で繁茂している。小さな郵便局や、いくつかの客の少ないコンビニもあった。そのような平凡な景色の町に天才画家が住んでいるなどと、普通なら考えないだろう。天才はもっと人目につかない山奥の土地や、逆に大量の情報であふれた都会に暮らしていると考えるのが常識というものだ。
その点、私もまた堅苦しい常識にとらわれ、自由な思考ができていなかったことを反省せねばならない。事実、我が家の近所に天才画家はいたのだ。遅ればせながらそのことに気づけただけでも、私は自分の愚かさを少しだけ許す気になれる。このまま天才の存在を見過ごし続け、この凡庸な住宅地に埋もれさせていたことを想像すると寒気がする。発見が遅すぎたのは確かだが、墓石に後から「天才画家ここに眠る」などと取ってつけたように書き足すよりいくらかましだろう。死んだ天才を称賛してみせることは、天才が浴びるべきだった光を図々しく横取りしているに等しい。やはり墓に入る前に「あなたは天才画家ですよ」という言葉を直接本人に伝えた後、いくばくかの金銭とお土産の菓子折りなどを手渡すべきなのだ。もちろん天才のつくり出す作品の価値は金に換えがたいが、ちょっとした募金をする小銭の一部を渡すことで、天才画家の食費の負担が軽減されるのである。
そう考えてみれば、身近な天才画家に目を向けることは単なる自己満足に終わらない、たしかな意味を持つものだと理解できる。 直接「あなたは天才画家ですよ」と声をかけるのが照れ臭ければ、手紙に書いて匿名で郵便受けに投函すればいい。もちろん、そこには小銭や未使用の切手、スーパーの割引券、日帰り温泉の回数券などを同封することを忘れないようにしたい。そのほうが相手には喜ばれるし、けっして冷やかしなどではない、誠意あるメッセージだということを伝えることもできるのだから。

2019/02/08

天気のいい日は屋上など高い所にのぼり、心に浮かんだ名前を気ままに叫んでみたくなる。
私が名前を叫んだとき、通行人の誰かが振り向いたとしよう。その人こそまさにたまたま私が呼んだのと同じ名前の人なのだ。そんな偶然の出会いがこの世にあるのだと確認できたら、人生にひとつの珍しい彩りが添えられ、自然に笑顔が浮かんでくるに違いない。
自分が呼ばれたと思い込んだ人は、当然のように怪訝な顔で近づいてきて、何の用があるのかと私に訊ねるだろう。
もちろんこちらはその人に何の用事もないし、とくに会話がしたいわけでもない。だから簡潔に事情を説明して、すぐにどこかへ立ち去ってもらうことになる。
中にはしつこい性格の人もいて、執拗にねちねちと抗議してきたり、動物のように怒りをあらわにするかもしれない。その際はさっさと対応を打ち切ってひたすら無視するに限る。
何しろこちらは高い所にいるので、何を言われてもあまり気にならない。正直な話、よく聞こえないのである。

2019/02/07

この部屋の真上はそろばん教室なので、昼夜問わず頭上からパチパチとそろばんをはじく音が聞こえてくる。おかげで私は慢性的な寝不足に悩まされ、散歩の途中でうっかり居眠りをしてトラックに轢かれそうになる始末。
このままでは身が持たないと思い、さっそく騒音の元へ抗議に行ったところ、経営者らしい禿げ頭の老人が玄関先に現れた。
私のクレームを黙って聞いていた老人は、やがて沈痛な口調でこう言った。
「ご承知のとおり、現代社会は年中無休の二十四時間営業で動いています。『夜は眠る時間だ』『週に二日は休みたい』などと正論を述べていたのでは、国や自治体が要求する過酷な納税を果たすことはもはや不可能な状態です。睡眠不足は大変お気の毒ですが、こんなちっぽけなそろばん教室でも生徒のさまざまなライフスタイルに合わせて終夜営業しなければ、たちまちライバルに出し抜かれ潰れるのは時間の問題なのです。私ももう一ヶ月ほど全く眠っていません。何卒こうした事情にご理解を賜りたい……」
理路整然とした老人の話に納得して、私は自分の部屋に戻ってきた。
早朝や深夜にパチパチやる音が止まないのは困ったものだが、この音が途切れれば「生徒数が激減して税金が家賃が払えなくなるのでは?」と心配になり、やはり眠れなくなるのも確実なのだ。

2019/02/06

床を見ると小さな豆のようなものが落ちていた。
「節分の日に撒いた豆だろうか?」
そう思って拾い上げようとした私はふとその手を止めた。
「いや、今年は豆撒きなどしていない。これは何者かが無断で侵入し、節分の豆に見せかけた盗聴器を仕掛けていったのかもしれない」
私はそう考えて震えあがり、そっと豆から後ずさりしていった。
「だがよく考えてみれば、私は去年の節分から一度も部屋の掃除をしていないはずだ。これは単に去年撒いた豆の名残りなのだろう」
そう気づいてほっと胸をなでおろした私は、ふたたび豆に近づいていった。
「いや待てよ、去年も私は豆撒きなどした覚えがない。ということは、これはやはり豆に見せかけられた盗聴器なのだ」
あわてて飛び退いた私はうっかり壁に頭を強打して、その場に倒れ込んだ。
「だが考えてみれば、その前の一年間も私は部屋の掃除など一度もしていないはずだ」
おととしの節分に私は豆撒きをしただろうか?
頭を強打したせいだろうか? その点に関する記憶が戻ってくることはついになかったのである。

2019/02/05

「仕事がないので店でも始めたいのだが、何を売ればいいだろうか?」
「焼き芋がいいんじゃないですかね」
「ほほう、それはどうして?」
「焼き芋はとてもおいしいでしょう? おまけに手に持ったりポケットに入れると温かくてカイロ代わりにもなります。現代の消費者は何かそういった付加価値のあるものを求めて町をさまよっているのですから、焼き芋の表面に役に立つことわざなどを一つ一つ書いておけば、さらに価値が上がって飛ぶように売れるはずですよ」
「ありがとう、大変ためになったよ。ぜひ実現させようと思う」
「では、コンサルタント料として500円いただきます」
「さっきも言ったように、仕事がなくて今は金が全然ないんだよ。そこで相談だが、焼き芋の売上げの10パーセントをきみに払うというのではどうかね?  年間1000万の売り上げなら、きみには100万が振り込まれる。悪くない話だと思うのだが」
私は彼の提案を受け入れ、100万円が振り込まれるのを楽しみに待ち続けた。
だが二年、三年と経っても口座には一円も振り込まれた様子がないので、不思議に思いさきほど調べてみたところ、彼は三年前に火事で死亡していることがわかった。
大量のサツマイモをたき火で焼こうとしたら衣服に火が燃え移り、そのまま隣接する木造アパートもろとも全焼したのである。
もちろん大量の芋はどこか近所の畑から盗まれたものだった。だから悪質な芋泥棒の彼には、正当な天罰が下されたのかもしれない。

2019/02/04

「金の亡者どもめ!」
どちらを向いてもマネーゲームに明け暮れる資本主義社会を眺めていたら、突然激しい怒りがこみあげてきて私はそう叫んだ。
「薄汚い金の亡者どもめ、とっとと成仏しやがれ!!」
すると通行人が何人か振り返ってこちらを見た。どの顔もいかにも金の亡者らしい、あさましさの滲み出た面構えばかりである。
「薄汚い金の亡者どもめ……」
私は今度は蚊の鳴くような小声でつぶやいていた。
亡者に祟られるのが急に恐ろしくなったからだ。

2019/02/03

納豆は納豆菌という微生物がつくり出すのだという話を、先日どこかで小耳にはさんだような気がする。
「もしそれが事実なら、ちくわはちくわ菌、ハンバーグはハンバーグ菌という未知の生物がつくり出しているという仮説を立てることも可能かもしれない。このことは今後じっくりと研究してみる価値があるのではないだろうか」
ちょうど目の前に大学生風の集団が立っていたので、私はそのように独り言のふりをして語りかけてみた。複数の大学生がいた場合、中には理系の学生が混じっている可能性がある。私はこの興味深い研究を将来のある学生にそっと託したいと願ったのだ。
すると学生の一人が「わかりました、その興味深い謎は私が責任もって解明いたしましょう」という目でこちらを見たような気がしたので、私は安心してその場を立ち去った。やはり専門分野のことは専門家に任せるべきなのである。

2019/02/02

「世の中の人々は、ただ愚かなだけではありません」
いかにも知的な雰囲気を持った紳士が吊革につかまりながら、前の座席に座る私に突然話しかけてきた。
「かれらは賢い人間を憎んでさえいる。世の中を真に正しい方角へ導くべき、教養と誠実さを兼ね備えた人間の意見をないがしろにし、これみよがしに踏みつけることに快感をおぼえているのです。だから教壇のような高い場所からいくら訴えても逆効果でしかない。こちらからかれらと同じ高さの地面に歩み寄り、ともに汗を流したりといった交流を深め、少しずつ世界の真実についてメッセージを送っていくという地道な努力が必要なのです。それができる者だけが、知識階級としてのつとめを現代においてまっとうできる稀有な人材ということになるのでしょう。プライドばかり高くては単に自己満足に陥るしかない。知性は世の中を照らす光となって初めて、その人自身をも輝かせるのですよ……」
見ず知らずの紳士ではあるが、その人柄を感じさせる言葉に私は感銘を受けていた。いっけん品のいいこの男性が下半身に何も身につけずに電車に揺られている理由が、その話を聞いて理解できたような気がしたのだ。
私の心の内を見透かしたように、紳士が無言のままうなずいた。
その隣ではやはり、吊革につかまった知的な雰囲気の中年女性が下半身に何も身につけずにこちらに微笑みかけている。
おそらく夫婦なのだろう。

2019/02/01

帽子に鳥のとまっている男が通りを歩いていた。
「帽子に鳥がとまっていますよ」
私は親切にそう教えてあげた。
「どんな鳥です?」
男が訊ねた。
「黒くて大きいから、たぶんカラスじゃないですかね」
私はそう答えた。
「なら、いいんですよ」
男は言った。
「カラスは飾りなんですよ」
そう言いながら男は帽子を脱いだ。
なるほど、男が手にした帽子には黒い大きな鳥が身じろぎもせずにとまったままだ。
「カラス以外がとまってたときは、教えてください」
男はそう付け加えながら帽子をかぶり直した。
「その場合は、追い払わねばなりませんので」
どうしてカラス以外は追い払うのか? 一羽も二羽も大して変わらないんじゃないのか?
そんな疑問を私は口にすることができなかった。男はすでに道の彼方へ遠ざかっており、まもなく曲がり角のむこうへ消えていくのである。