2019/02/19

やはり芸術家には創作の霊感をもたらすような、誰もがミューズと呼んできたような存在が絶対に必要なのかもしれない。
そんな貴重な存在に恵まれた者だけが確実に飛び抜けた成功をおさめ、歴史に残るような作品や業績を輝かせることができるのだということを、実際にそうした立場を手にした著名な人物が証明してみせることで、世の中にふたたびミューズの必要性についての認識が急速に高まっているのだという噂を耳にした。
この地上に肉体を持った存在として生まれてきた女神というべき奇跡の存在が、静かな陶酔と狂おしい情熱の逃れがたい嵐の訪れたような創作の荒野に降り立ち、その魅力と詩的な深い影響力で男たちの集団を翻弄し尽くしたのちに、その中の一人がそうした青春の日々をいまや成功の高みに上り詰めた地点から甘い傷みとともに振り返るとき、思わず口から漏れ出てしまう奇声。
それを耳にするたび私たちは、やはりミューズを崇めることでこそ到達できる稀有な地点というものが男たちにはあり、その地点から響いてくる男の奇声に耳をすませる機会などを数多く設ける必要があることを痛感する。
まだそれを実際に耳にした人の数は案外少なく、そのことがミューズの必要性について理解できない、いわば時代に取り残された層を生み出していることは否めないだろう。
ミューズを語る行為への拒否感は、男の奇声が先導していまや世界を覆いつつある新しい波に乗り遅れることを意味しており、めまぐるしく更新され続ける常識を無視して旧弊な倫理観にすがることで、心の安寧を得ようとしている人々をいかに目覚めさせて行くかは、今後の芸術的な課題になるはずだ。
そのためにも我々はことあるごとにミューズについて熱く語り、身の回りに大小さまざまな「私のミューズ」の姿を発見してSNSで嘘偽りない感情とともに報告するなどの活動を続けるべきだし、ミューズへのこらえきれない崇拝の念を胸の中にはぐくむたびに漏れ出てしまう奇声を、けっして恥ずかしがることなく、大勢の人の前でマイクなどを持って披露すべきなのだ。
……といった話をつい先ほど、たまたまバス停のベンチで横に座っていたご婦人から熱心に聞かされて私は非常に印象に残った。
まだまだ話の続きを聞きたいという切実な願いも虚しく、やがて目の前にバスが停車したのでそのご婦人は駅方面へと無言で運ばれていった。
私がぽつんとベンチに取り残されたのは、バス代を節約して歩いている途中に、ちょっと一休みしていただけだからである。