2019/02/09

近所に天才画家がいた。そんなことを私は今まで少しも知らなかった。我が家の周囲はありふれた住宅地で、ところどころ空き地もあって雑草が我が物顔で繁茂している。小さな郵便局や、いくつかの客の少ないコンビニもあった。そのような平凡な景色の町に天才画家が住んでいるなどと、普通なら考えないだろう。天才はもっと人目につかない山奥の土地や、逆に大量の情報であふれた都会に暮らしていると考えるのが常識というものだ。
その点、私もまた堅苦しい常識にとらわれ、自由な思考ができていなかったことを反省せねばならない。事実、我が家の近所に天才画家はいたのだ。遅ればせながらそのことに気づけただけでも、私は自分の愚かさを少しだけ許す気になれる。このまま天才の存在を見過ごし続け、この凡庸な住宅地に埋もれさせていたことを想像すると寒気がする。発見が遅すぎたのは確かだが、墓石に後から「天才画家ここに眠る」などと取ってつけたように書き足すよりいくらかましだろう。死んだ天才を称賛してみせることは、天才が浴びるべきだった光を図々しく横取りしているに等しい。やはり墓に入る前に「あなたは天才画家ですよ」という言葉を直接本人に伝えた後、いくばくかの金銭とお土産の菓子折りなどを手渡すべきなのだ。もちろん天才のつくり出す作品の価値は金に換えがたいが、ちょっとした募金をする小銭の一部を渡すことで、天才画家の食費の負担が軽減されるのである。
そう考えてみれば、身近な天才画家に目を向けることは単なる自己満足に終わらない、たしかな意味を持つものだと理解できる。 直接「あなたは天才画家ですよ」と声をかけるのが照れ臭ければ、手紙に書いて匿名で郵便受けに投函すればいい。もちろん、そこには小銭や未使用の切手、スーパーの割引券、日帰り温泉の回数券などを同封することを忘れないようにしたい。そのほうが相手には喜ばれるし、けっして冷やかしなどではない、誠意あるメッセージだということを伝えることもできるのだから。