2019/01/24

今日は外を歩いていたらたまたま富士山が見えたので、富士山を見るのは久しぶりだと気づいてしばらく立ち止まって無言で眺めていた。
「富士山の美しさを言葉に表すことができれば、それは詩とか小説といったジャンルの枠を超えて、日本語の持つ美しさが最高のかたちで結実したあらたな表現を生み出してしまうのではないだろうか?」
そんな考えがふと頭の中に浮かび、もしかしたらそのような作品を生み出すべき使命が自分にはあるのでは? という考えがそれに続いて私の頭を占領した。もはやそのこと以外には何も物を考えられず、富士山の美しさを的確に表す言葉を生み出すことだけに全エネルギーを注いでいると、やがて力尽きたのか猛烈に眠くなり、私は道端に立ったまま少し眠っていた。
夢の中で、私は富士山の頂上に立ってこの国のすべての人々に向かって「今すぐ無益な争いをやめ、隣人と手を取り合ってこの困難な時代を乗り越えるべく最大限の思いやりの精神を発揮しよう」というような意味の演説を行っていた。
だが国内最高峰からのメッセージはあっさり無視され、人々は身近な小競り合いや悪口の応酬に熱心なあまり、状況はますます混迷の度合いを深めていったのである。
「もはや国民の目は富士山の神秘的なまでに完成されたシルエットになど、まるで向けられていない。ここは何も隠すもののない巨大な富士山型の死角として、我々の心に暗い影を投げかけるだけなのだろう……」
気がつくと私はそんなことをつぶやきながら、自宅の座布団に座っていた。
眠ったまま無事家に帰ってきたのだとすれば、私には夢遊病の疑いがあると思われる。