2019/01/11

私にはサラリーマン時代があったような気がする。だがあるのはぼんやりとした記憶だけで、スーツを着てネクタイを締め、満員電車に揺られている自分の写真などはアルバムに残っていない。だから記憶というものの本質的な不確かさを考慮すれば、私にサラリーマン時代があったと断言するのは到底無理な話なのだ。せいぜい、自分がサラリーマンだという設定の夢を見たことがある、という程度の前提でしか物を言うことはできない。
そう思えば、今でも時々そんな夢を見ることがある。夢の中で私は昔の同僚に再会し、同じ電車で会社に出勤し、社員食堂で得意先の美人OLの噂話に興じている。だが肝心の仕事の内容は今ひとつはっきりしなかった。何か不思議な形の積み木のようなものを床に積み上げて、そのまわりを順番に口まかせの歌のようなものをうたいつつ踊りながら一周するのだ。
とうとう私の番が巡ってきた。私は思い切って積み木を高く積み上げると、大声で吠えるように「やりがいのある仕事の歌」をうたいながら激しいダンスとともにそれを一周した。
どうやら私の仕事は大変な成果を上げたらしい。ダンスを終えるといつもは気難しい上司が目を潤ませて握手を求めてきたし、同僚たちは抱きついて口々に「おめでとう」と言ってくれた。まるで結婚披露宴のような会場で豪華な祝賀会が開かれ、社長から表彰状と記念品(社長自らデザインした特製ネクタイ)を手渡されたところで目が覚めた。
目の前には華やかな祝賀会とは対照的な、アパートの煤けた天井だけがある。その隅に垂れ下がった蜘蛛の巣を眺めながら私は「やりがいのある仕事の歌」を口ずさんでみた。
二番、三番、四番……どこまでも歌詞もメロディーも正確にうたい続けることができた。やはり私にはかつて、サラリーマンだった時代があるのかもしれない。