2018/12/10

安全のためにはシートベルトがことのほか重要らしい。法律がシートベルトの装着にうるさく目を光らせているのは、べつに学校の服装検査のように支配者が自らの権力を見せつけようと被支配者に難癖をつけるためではなく、かつてこの社会はシートベルトによって本来救えたはずの命をみすみす散らしてきたという苦い経験を噛みしめたうえでの賢明な判断なのである。
だから私も面倒くさがったり、斜に構えてシートベルトの装着を怠るような真似をやめて、これからは心を入れ替えて安全重視の暮らしをしたい。そう考えて自分の左右を探ったのだが、両手は床に並んだペットボトルやカップ麺の容器を倒すばかりでそこにあるべきシートベルトを掴むことはなかった。
われわれの生活にはいまだ十分なシートベルトが行き渡っていないという現実に、そのとき気がついた。自動車や飛行機の利用者にさえ義務付けておけば仕事は果たしたといわんばかりの官僚的発想が、私がシートベルトを装着する機会を私の周囲から奪っているのだ。
貧困のため自動車免許を持たず、飛行機を利用する余裕も理由もない人間に、シートベルトによって生命と健康を守られる権利はないのか? この国を覆う聞こえばかりよくて実際は空疎な「安全、安全」というお題目の合唱を超えて、国際社会レベルの真の安全意識が人々に根付くことを願ってやまない。
(東京都 無職 50歳)