2019/07/18

もう何年も外食でラーメンを食べていないような気がする。外食は栄養が偏りがちと云われるが、中でもラーメンは脂肪や塩分、糖質ばかりを摂取する一方で野菜がほとんど摂れず、健康という面では大いに問題のある食品という印象だった。
「……だから無意識のうちに避けてきたのかもしれない。値段のわりには汁ばっかりで、個人的には満足感の得られない食べ物だというのもあるし」
そんなことをつい独り言でつぶやきながら私は、ラーメンとは対照的に健康的な印象の食品である蕎麦屋に入ろうとしていた。
「蕎麦を食いに行く前にわざわざラーメンの悪口を云うなんて、ネットに増殖する下劣なナショナリストどもと同類でいらっしゃるようだ」
いかにも皮肉めいた口調でそう揶揄されたのを聞いて、私は思わず背後を振り返った。
どこの誰だか知らないが、個人的な意見にいちいち皮肉を云われる筋合いはない……そう云い返すつもりだったのだが、私はそのまま絶句してしまった。
そこにはまるでラーメンのどんぶりを中身が入ったままこちら向きに立てたとしか思えないような、大変珍しい顔の人間が仁王立ちしていたのである。
半分に切ったゆで卵にしか見えない両目や、チャーシューにしか見えない頬、メンマにしか見えない唇でできた顔が私を睨みつけていたのだ。
「しかしまあ、ラーメンのよさが理解できるのは真に心の豊かな人間だけなのでしょう。食そのものを楽しむ余裕に欠け、健康健康と乞食のように目を血走らせているあなた方のような人々には、少々ハードルが高すぎるのかもしれません」
そのように私に対する当てこすりは続いていたのだが、もはや私の耳にはろくにその言葉は入ってこなかった。
いったいこの人は、ラーメンを偏愛するあまりこんな奇妙な顔になってしまったのだろうか?
それともあまりにも自分の顔がラーメンそっくりなので、親しみがわいてラーメン好き人間になってしまったのか?
その点が気になって私は他のことが何も考えられなくなった。
あるいは、自分の顔がラーメンそっくりだということをまったく気づいておらず、そのこととは無関係にラーメンが大好きになり、こうして自主的にラーメン擁護の活動に精を出しているのかもしれない。
だとすれば、人間の心には思わぬ死角があるものだと云わざるを得ない。
他人には火を見るより明らかなことでも、本人だけはまるで霧に包まれたように知らずにいることがありうるのだ。