2019/07/01

玄関のチャイムが鳴ったので咄嗟に身構え、そっと息をひそめてドアの裏側まで近づいた。
何の予告もなく訪問してチャイムを鳴らす人間は、集金や勧誘といったいずれも「私から金を毟り取っていくことが目的の連中」であることに変わりない。
ここで居留守を使ったり、応対したうえでどうにかしつこく食い下がる相手に帰ってもらったところで、また近いうちに再び訪問してくるに違いない。
そんなきりのないやりとりがくり返されることを思えば、いっそ今すぐすべてを終了させる行動に出たほうがすっきりして今後晴れやかな気分で生活できるような気がする。
といってもなにも命を奪おうという話ではない。そんな残酷な真似はしないが、捕らえて手足の自由を奪い、床下などに監禁すればその人は二度と私から金を奪いにチャイムを鳴らしにくる心配はなくなるのだ。
もちろん、貧困者から金を毟り取ろうという最低の相手にも一応人権はあるので、一日三回床下に食事を届けたり、ときにはデザートのフルーツを差し入れるなどの待遇は保証される。
それ以上のたとえばテレビを見たりネットを見たりといった娯楽は提供しかねるが、一種の罪人として拘束されている身だと思えばそれくらいは我慢してもらわなければならないだろう。
私は国家権力ほど無慈悲ではないが、人々から税金と称して金を巻き上げていない分予算に限りがあり、いろいろと至らないところも出てくるかもしれない。その点は時々世間話の相手になるなどしてちょっとした気晴らしや、床下だとつい疎くなりがちな世の動きを伝える役目が果たせたらな、と思っている。
だからべつに衝動的に怒りに任せて殴りかかるのではなく、拘束のため一時的にじっとしてもらうためにあらかじめ用意してあるバットを握りしめ、開錠したドアを私は一気に開けたのだ。
だが玄関先にはすでに誰もいなかった。
なんとも気の短い訪問者だな、と思いつつポストを見ると宅配便の不在票が投函されていた。
危ないところだった、と私は胸を撫でおろした。荷物を届けるために玄関のチャイムを鳴らす人々には、もちろん何の罪も見当たらないのである。
そんな人たちを監禁したりすれば、逆に私の方が警察に捕まってしまう。