2019/07/02

不吉なニュースを知らせる旗のようなものが、とある家の玄関先に垂れ下がっていた。
「あんな旗を見るのは初めてのことだ。印象をそのまま素直に受け取れば、今から数日以内に誰もが顔を曇らせるような事件がこの辺りで起きることを知らせているとしか思えない」
私はごくりと唾を飲み込み、その旗がよく見えるような場所へと少しだけ移動した。
すると不吉な旗だとばかり思ったものが、旗のように見えるシャツを着て玄関先に立っている人がいるだけだとわかった。
ほっとして体の力が抜けるのを感じた私は、そのとき背後から吹き付けた風に押されるようにふらふらとその人の前に歩み出た。
まだ若い、三十歳前後の男性だろうか。若さゆえの無謀さによって、不吉な印象を与えるシャツを着たまま家から出てきてしまったのだと私は考えた。
むしろ積極的に、不吉な印象を振りまきたいという下心があった可能性もある。他人から注目を浴びたいというのは人間の性だが、若いうちは失うものがないせいか、その気持ちに歯止めが効かなくなる傾向があるのだ。
「負の印象を与えるデザインが、逆に魅力的だという価値観を否定するわけじゃありませんよ。本気でそう思うなら、堂々とそのシャツを着て町を歩けばいい。だけどあなたの様子を見ていると、どこか他人の視線に気後れしていることが感じられる。本当はそのシャツが『不吉な感じがして、着たくないな』と思っているのに、意地を張って玄関を出てきたんじゃありませんか? だとすれば今すぐ家の中に飛び込んで、本来着たかったシャツに着替えてはどうでしょうか。奇をてらうことなく自分らしさを表現することから、世界に居場所をつくる第一歩が刻まれるものです。いくらハッタリで注目を浴びても後が続かない。どんどん苦しくなるばかりで、それでも周囲から人が去るのが怖くて次々とハッタリをかまし続けなければならないのです。不吉なシャツの次は、もっと不吉なシャツ、その次はさらに不吉なシャツを着なければならず、それでも人は刺激に慣れていくものですから、やがてまわりから人々は去っていくでしょう。それからはもう『不吉なシャツの人』というレッテルを貼られ、可愛らしいシャツやかっこいいシャツを着ても首をかしげられるだけ。『また不吉なシャツ着てくださいよ』などと声をかけられ、不本意ながらひさしぶりに不吉なシャツを着て外出すると『まだあんなの着てるよ』と笑われるならいい方で、実際には空気のように無視されるのです。それはレッテル通りの姿をしているあなたの前を、人々は安心して素通りできるからです。人は注目するためにではなく、無視するためにレッテルを貼るのだということを忘れてはいけない。だから自分の内側からにじみ出るような服装をすることで、けっして単純な印象に還元できない、なんともいえないその人らしい雰囲気をかもし出すことが大事ではないでしょうか。もちろん、そんな生き方をすることを私が強制することはできませんが。私の言いなりになってロボットのように服を着替えても、それはとても自分らしい服装とは思えませんからね」
私はそう云って口を閉ざし、目の前の男性がどういう行動に出るかをじっと見守った。
すると男性はなぜか困惑したような表情を浮かべ、何か云いかけたかと思うと背を向けて家の中へ姿を消していった。
いったいどんなシャツに着替えてふたたび現れるのだろう? あの男性の「自分らしさ」が見られることにワクワクして待ったが、二時間ほど経っても現れないので私はその場を立ち去った。
自分の本当に着たい服を着る、というのは人によってはかえってハードルの高いものなのかもしれない。自分の本当の気持ちに出会うには、いったん魂が露出するまで裸になり、そこから一枚一枚服を選んでいく過程が必要なのだ。
それはほんの数時間で可能なことではないので、明日また来てみようと私は思った。