2019/07/10

山奥の家にはテレビなどがなく、ネットも繋がらないのでいまだに元号が変わったことさえ知らずに暮らしている人たちが、意外とたくさんいるのかもしれない。
そんなことに気づいた私は、その人たちに新元号を教えるために早速山奥へと向かった。
途中で道がなくなったのでしかたなく自転車を降りると、草木の生い茂る斜面を懸命に登っていった。やがて見たこともないようなボロ家ばかりの集落にたどり着き、汗をぬぐっていたら近くの家の玄関のドアが開いた。
見ればサラリーマン風の男がちらっとこちらに視線を向けたが、とくに関心を向けることなく道をむこうへ歩いていこうとする。
こんな山奥の、麓と道も通じていないような場所にサラリーマンが存在するとは予想外で、私は声をかけるのも忘れてその男の背中を目で追った。
だが、どこがどうと具体的に指摘はできないのだが、男はどうもサラリーマンとは云いきれないような雰囲気を持っている。量販店で売っていそうなスーツを着て、無難なネクタイを締め革靴を履いているが、それでもどこかサラリーマンとは違うものを眺めているのだという気分にさせられた。
「周囲の環境がそう見せるのだろうか? やはり満員電車の滑り込むホームや、ガード下の飲み屋などの背景が伴わないとサラリーマンという存在は成立しないのかもしれない」
こんな山奥で思わぬ真理を発見したことにすっかり満足した私は、日が暮れる前に帰宅しようとあわてて集落を後にした。
今にして思えば、あのサラリーマンによく似た存在が一体どこへ向かって歩いていたのかしっかりこの目で確認すればよかったと後悔している。
会社に似た何かや、上司に似た何かが見られた可能性は一概に否定できないのだから。