2019/07/29

暑さに耐えられないような気分になった私は、森の中を散策してみることにした。
もちろん、近所は平凡な住宅地だから森と呼べるほど樹木の密集した土地は見あたらない。そんなものがあればとっくに切り倒されて宅地として開発されているだろう。
ちょっと遠出する必要がありそうだ。そう感じた私は、たまたま近くのバス停に停車中だったバスに駆け込んだ。
だがしばらくしてから、それは繁華街の方向へ向かうバスだと気づいてがっかりしてしまった。
繁華街には冷房の効いた建物がたくさんあり、たしかに涼しいはずだ。でもそれは自然の日陰を吹き渡るそよ風の涼しさとは似ても似つかない、いかにも健康に悪そうな涼しさなのである。
すっかり肩を落とす私に、近くの優先席に座る老婆が「どうかしましたか?」と話しかけてきた。
私はこれまでの経緯を語り、なんとか森にたどり着いて中を散策したいという思いを打ち明けた。
すると老婆は信号待ちの停車中に立ち上がり、運転手のところへ行くと何やら耳もとに語りかけていた。
運転手がうなずくのが見え、老婆は席にもどってきた。
「ちょっと路線を変更して、森の入口まで行ってくれるよう頼んでおきましたから」
そう微笑む老婆に対し、私は感激して何度も感謝の言葉を述べた。
やがてバスはいつものルートを外れると、しばらく激しく揺れる道を進んだのち、森の手前で停車した。
私はバスを降りると、窓から微笑む老婆に手を振った。
こんな場所の存在を知っているなんて、さすがに年齢を重ねてきた人というのは違うものだ。
今度からは自分で、気軽に運転手にルート変更を頼むことにしよう。