2019/07/06

近所の小高い丘の上に何か商業施設らしいものができている。
そこへ到るには急な坂道を上らねばならず、気が進まないので先送りにしているうちにずいぶん時間が経ってしまった。最初にその建物を発見してから数年経っているかもしれない。
坂の入口までは行くことがあっても、いつもそこで引き返してきてしまうのだ。
道の両側には竹藪があり、竹藪を抜けた先には墓地もあるようだ。だがべつに施設が墓地に囲まれているとか、墓地の一部だというわけではない。
今日こそはあれが何の施設なのか確かめよう、という気持ちだけを抱えて私は雨の中を外出したのだ。
傘を叩く雨の音を聞いていると、なぜか小学生の頃の通学風景を思い出してしまう。
「集団登校で列をなして歩道を歩いているとき、前を歩く子の傘と私の傘がぶつかったときの音や感覚が、奇妙にはっきりと蘇るのはなぜだろう」
そんな感傷的な気分で頭がいっぱいになっていたせいか、私はあっさりと急な坂道を上りきって施設の前に立っていた。
だがあきらかにスーパーマーケットだとわかる建物の入口にはシャッターが下りていて、そこには閉店を知らせる貼紙が一枚寂しく貼られていたのである。
貼紙の日付は今日だった。つまりなんともタイミングが悪いことに、閉店当日に初めて店を訪れてしまったらしい。
見れば周囲には私と同じように閉店を知らずに訪れてしまったらしい人々が、ちょっとした人だかりをつくっていた。
勇気を出して話しかけてみたところ、私同様にずっと気になってはいたものの、今日初めて足を運んだという人たちばかり。
その偶然に驚きつつ、これも何かの縁だからとその場でお互いの住所を交換した。雨の中で長話をするのは、傘を差しているとはいえ風邪を引く恐れがある。残りは文通でもして言葉をかわして交流を深めましょうというわけだ。
さっそく何人かと同時に文通を開始したが、三か月、半年と経つうちに次第に返事も滞り始め、一年後には私の手紙に返事をくれる人は誰もいなくなっていた。
それでも一年の間に受け取った言葉の数々は、私にとって大切な宝物のようなものとして机の引き出しにしまわれている。
時々取り出して読み返すことがあるが、季節のあいさつやちょっとした世間話の合間に、その人の性格が垣間見られるような筆致を見いだしては微笑んでしまう。
そんな細やかな色彩のある日々を送る人たちが近所に暮らしているのだと思うと、とくに顔を合わせることがなくとも、何か温かい気持ちになるのが抑えられない。