2019/07/16

何の前触れもなく凶暴化した犬が飼い主を襲い、絶命させたのちその肉を貪り食う。
それもいかにも猛獣めいた大型犬ばかりではなく、室内をちょこちょこと駆け回るような小型犬が人間を貪り食うのだから、常識では考えられないほどの「凶暴化」だということが理解できるだろう。
もちろん飼い主の側でも、こんな可愛らしい小さな生き物が自分に牙をむくなどありえない、という油断があったことは否定できまい。
云いかえれば、どんなに従順でしつけの行き届いた大型犬であっても、それが大型犬と云うだけで飼い主の無意識には「いつかこいつが牙をむいて私に襲い掛かり、食い殺されることになるのでは?」という不安と警戒心が渦巻いているのだ、ということを証明している。
そんな恐怖を心の底に抱えながら、しかしその猛獣めいた生き物があくまで自分への忠誠心を示すことに満足し、誇りにさえ思うというのが大型犬の飼い主たちの心理だ。そこには歪んだ権力意識というべきものが垣間見え、現代社会を生きるにふさわしい市民のあり方を示しているかはいささか疑問に思えるのだ。
では小型犬を飼う者たちはそんな歪んだところのない、きわめて健康的な市民なのかというと、そんな単純な話ではない。むしろ彼らのさらに肥大した権力意識の歪みこそが、犬をヌイグルミのように小型化させているのだと云えるだろう。
だから昨今、我が家の近所で多発している飼い犬による飼い主への襲撃・食い殺し事件の多発は、現代を象徴する側面があるというのが私の見立てなのである。
令和初の国政選挙も間近に迫った現在、そのような病的な権力意識に囚われた者たちが我々と同じ一票という重い権利を行使することに、耐えがたい不安を感じている人は多いはずだ。だが「愛犬家からは選挙権を取り上げよう」などと主張したなら、良識ある人々からたちまち差別主義者というレッテルを貼られ、議論の入口にさえたどり着けないのがオチだ。
そこで人々の声なき声に代わって、当の飼い犬たちが自ら愛犬家たちをその鋭い牙で食い殺し、投票所へ赴くことを阻止するという行動に出始めた。これは選挙などという微温的なガス抜き行動ではけっして実現することのない本質的な改革を、彼らが動物という特殊な立場を利用して着々と実現しつつあることを示しているのだ。
「しかしこの世に愛犬家の数は大変多い。彼らが全員食い殺されてしまったら、有権者の数があまりにも急激に減って国が大混乱に陥るのでは?」
そんなもっともな疑問が、あなたの口から発せられるかもしれない。
だが心配はいらない。この世から急にいなくなった愛犬家たちに代わって、そんな英雄的な行動に打って出た犬たちに新たに選挙権を与えればいいだけの話なのだ。
いずれは我が国にも初の犬の総理大臣が誕生する日が来るのは、そう遠い日ではないのかも知れない。