2019/08/31

昼ご飯をお腹いっぱい食べたために、私は急速に眠気を感じ始めていた。
もちろん昼ご飯をお腹いっぱい食べたことだけが、眠気を感じている原因だとは限らない。それどころか昼食と眠気には何も因果関係がない可能性さえあるのだ。
ご飯を腹いっぱい食べたら必ず眠くなるのだとすれば、昼休み後の午後のオフィスはすやすやという寝息や、グーグーといういびきの音に包まれた仮眠室のような空間に変わり果ててしまう。
そんな空間はもはやオフィスとしての機能を喪失している。上司や同僚がむにゃむにゃと寝言をつぶやいている横では、誰もまともに労働する気力など湧かないだろう。
長く停滞し今後も浮上する見込みのない日本経済が、そんな真昼間から寝静まった呑気なオフィスに居場所を与えてくれるとは、到底思えないのだ。
だからそんなオフィスがもし実在していたとしても、とっくにこの世から抹消されていることが予想される。
つまりきわめて現実味の薄い与太話に過ぎず、こんな話は即刻打ち切って本題に返らなければなるまい。
だが私の眠気はすでに限界の域に達しており、この先を書き綴ることはもはや困難になりつつあった。
眠たさの原因は昼ご飯をお腹いっぱい食べたことなのだが、もちろんそれだけが眠気の原因であるとは限らない。
人はとくにこれといった理由もなく睡魔に襲われることがあるのだ。

2019/08/30

わが家の近くには小さなトンネルがある。抜けるのに三十秒もかからないほどの短さだが、そのトンネルをくぐった後は映画を一本見てきたかのような充実感が味わえた。
べつにトンネルの壁に映像が投影されていたり、ラスコー洞窟のように壁画などが描かれているわけではない。ただの薄暗い、長時間滞在したら気が滅入ることが確実な空間にすぎない。
にもかかわらず、私は通り抜けるたびに様々な感情とその変化を経験し、しかもその都度経験される感情の内容が異なっているのだ。
だからトンネルを抜けるたびに映画を一本見た気分になるだけでなく、その映画は毎回新作で、以前と同じ映画が一本もないのである。
だが、文系のインテリである私に云えるのはここまでだ。この先の真相究明には理系の知性の協力が不可欠だと感じた私は、近所の理系の大学に通う学生らしき若い男をコンビニで見つけると、事情を話して現地まで同行してもらった。
「なるほど、これは興味深いトンネルだ……」
さっそくトンネル内を何往復かしてきた男は感慨深げに腕を組んでそうつぶやいた。
「通り抜けるたびに何か別種の経験をしているという感覚が、確かにありますね。例えるなら、総武線の各駅停車に乗って出かけた秋葉原から、内回りの山手線に乗って帰ってきたかのような感覚です。そしてもう一度通り抜けるときは外回りの山手線になっていて、帰りは岩本町まで歩いてそこから都営新宿線なんですよ」
男の話を聞きながら私は軽いショックを受け、しだいに気分が重く沈んでいくのを感じた。
彼の的確な電車の例えと較べれば、私の例えはきわめて曖昧なうえに、映画といういかにも文系人間が趣味を誇示しがちなジャンルに閉じこもることで、周囲に何らかの目配せをしていることが感じられる。
いわば「わかる奴だけにわかればいい」という内輪向けの態度が露骨なのだ。
「こんなことだから文系不要論といった耳の痛い世論がネットをにぎわせることになるのだろう。やはり文系側からもっと社会に対して開かれた情報発信をするべきであり、難解で気取った雰囲気のアート系映画ばかり持て囃すのを即刻中止し、家族みんなで楽しめる動物の出てくるアニメなどについて積極的に語るべきではないだろうか?」
そのように口に出して云ってみると、たちまち視界が晴れ渡るようにすっきりするのがわかった。
私はトンネル調査を続ける男をその場に残して、楽しげにどこかへと走り去った。

2019/08/29

古い知人であるA氏が個展を開くという案内が届いていた。
さっそくギャラリーを訪れてみると、品のいい室内に展示された絵はいずれもA氏らしい個性のみられる鮮烈なもので、私は時の経つのも忘れて絵の世界に没入してしまった。
A氏の絵にはどれも何らかの生き物が描かれている。それは蟻から鯨まで、大小さまざまな生物がどこか優しい視線を感じさせるタッチでくっきりとキャンバスにうつしとられたものだ。
「こんな素晴らしい絵を飾るのにふさわしい部屋に、できれば私も住みたいものだ。今のボロアパートの壁に飾ったのでは、せっかくの傑作も中学生が美術部の活動で描いた絵と大差ないように見えてしまう」
もしもどこかの湖畔などに別荘を持つことがあれば、その壁に飾るのにもっともふさわしいのはどの絵だろう? いつしか私はそんな目で作品を比較し始めていた。
「こちらのライオンの絵は、留守にしがちな別荘の番をさせておくにふさわしいような気がする。だが、湖畔という立地を考慮するとこの亀の絵も捨てがたいと思える」
私は次々と目移りしていく絵たちのすばらしさに嬉しい悲鳴を上げ、驚いたギャラリーの従業員があわてて様子を見にくるというハプニングも発生した。
「やれやれ、どうやら早急に結論を出すことは不可能なようだ。今日のところはいったん帰宅し、次にこの場を訪れるまでの宿題としておこう」
そう考えて私はギャラリーを後にしたのだが、その後A氏の個展のことはすっかり忘れてしまい、今日思い出してギャラリーを再訪してみたところ既に展示は終了していた。
だがかわりに始まっていた別な作家の個展が非常に魅力的な作品ばかりで、
「やはり別荘を手に入れたときはA氏の絵ではなく、この作家の絵を飾ることにしよう」
さっそく私はそう心に決めたのだった。

2019/08/28

この社会では毎日さまざまな場所で誰かが働き、また別の誰かは休暇を取ったり、休憩時間に入るなどして交替で世の中を支えていると云われている。
私のような、大きく分けてインテリに分類されるタイプの人間はそうした世の中の営みの中では、まるで一年中休暇を取っている結構なご身分だと勘違いされやすい。
むろん、私が公園のベンチに座って目を閉じ、気持ちいいそよ風に吹かれているのは別に昼寝をしているわけではなく、我々がどれだけ努力しても逃れられないこの世の苦しみを、少しでも軽減させる方法を求めて真実への思索の旅に出ているのだ。
「だが、今日もまたこの旅は徒労に終わったようだ。それでもひとつひとつ道を塗りつぶしていくような地道な努力を続けなくては、未来の人々へ手渡すべきバトンを途中で投げ捨ててしまうも同然なのだ」
そう神妙につぶやきながら腰を上げると、辺りはすっかり暗くなっており、目を閉じていたときと景色はさほど変わりがない。
そこへ誰かが散歩させているらしい一匹の小犬が、尾を振りながら近づいてくるのが見えた。
あまりにも可愛らしい小犬だったため、いったいどんな人が飼い主なのだろう? きっと心優しくて可愛いものが大好きな人物なのだと思い、興味津々で視線を向けた。
だが長く伸びたリードはまるで凧揚げの糸のようにまっすぐ公園の外へとのびて、そのまま闇の中へ消えていた。
「この犬の飼い主は可愛い犬を飼うような人ではあるが、散歩へ連れていくのが面倒なばかりにとても長く伸びるリードを入手し、家の中にいるままで犬を散歩させているのかもしれない。だとすれば、その人は可愛い物好きではあっても、けっして心優しいとは云えないだろう。それらの美質は、一人の人間に同居しているとは限らないのだ……」
私はそう考えた途端に、目の前で尾を振る小犬までがなんとなく汚らわしく思えてきて、そのまま頭を撫でたりすることなく無視して公園を出ていった。
今にして思えば、大人げない行動だったと思わないでもないが。

2019/08/27

どこか高い塔のような場所に登って、そこから世界を見渡したいという欲望が、あなたにはないだろうか?
私にはある。それがどんな辺鄙な場所にある塔だとしても、そこから世界が見渡せるなら電車やバスを乗り継ぎ、最後には徒歩で山道を歩いてでもたどり着きたいという気持ちがあるのだ。
だがそんな辺鄙な場所にある塔は、どれほど高くとも周囲の景色は単調で、いくら眺めがいいとはいえ、何もかもが遠くにありすぎて意味がないということにもなりかねない。
だからやはり登るべき塔は都会とまでは云わずとも、都心から電車で一時間以内の場所にあるのが望ましいような気がする。
そんな塔になら、わざわざ早起きして出かけてでも、日没まで心ゆくまでそこから世界を見渡したいというのが偽らざる本音だ。
みなさんもそんな私の気持ちを理解して、賛同してもらえるような気がするが、
「それなら、休みの日に駅などで待ち合わせて一緒に塔に登りましょう」
などと提案する気持ちになれるかというと、なかなかそうはいかないのが現実だ。
やはり「高い塔から世界を見渡す」という経験は、大勢で押しかけてわいわいと騒ぎながらするものだとは、どうしても思えない。一人で展望台に立って、無言でじっと眺めるのがふさわしいということはどうしても譲れない点だ。
だからこちらから質問しておいて大変申し訳ないのだが、高い塔に登ってそこから世界を見渡したいという欲望をあなたがお持ちの場合、
「勝手に登って、眺めて下さい」
としか私からは云うことができない。
そのことが今は心苦しく、窓の景色もどこか物憂げに見えてしまう。

2019/08/26

あでやかに着飾った人々が、道を繁華街のほうへと歩いていくのが見える。ただでさえ人の多い繁華街では、なぜかさらに人を集めるようなイベントが盛んに行われるようだ。だから着飾った人たちが田畑や空き地の多い方角とは反対方向へ歩いていくのは、いつもの見慣れた光景だと云える。
たしかに、田畑や空き地の多い方角へと着飾った人の群れが移動していた場合、人は落ち着かない気持ちになるものだ。人の少ない土地だからこそ、人を集めたいという願いからなけなしの知恵と予算を集めてイベントを敢行し、それが成功したなら喜ばしいことのはずだ。だが私たちは心のどこかで、賑やかな繁華街がさらに賑やかになることを願い、寂れた土地は寂れたままでいてほしいと願っているのかもしれない。
心の中にいったん書き上げられた地図が、むやみに書き換えられることを人は好まない。そんなことをすれば気分がそわそわして、寄る辺ないような気持ちになってしまう。それがいくら正しい変化の道筋だとわかっていても、人々が新たな道への一歩を踏み出すことを躊躇してしまう理由がここにある。毎日部屋の模様替えをしていたら精神的に不安定になってしまい、生活に支障をきたすことを我々は本能的に察知しているのだ。
たしかに、あんな着飾った人たちがわが家の周辺をたむろしていたら、私はジャージ姿でコンビニへ弁当を買いに行くことに羞恥を覚え、やがて食料が尽きて餓死してしまうだろう。そう思えばなんとなくこの世の地図が今日も昨日と変わらぬ配置に収まっていることに、ほっと一安心していることを否定はしきれない。
つまり私もまた、寂れた土地が寂れたまま見捨てられていくことを無意識に望んでいる人々の一員なのだ。
そう思うとどっと疲労が押し寄せてきて、私は床に水たまりのように横たわって眠りつづけた。
やがて目が覚めるとすっかり元気になっていた私は、台所で焼きそばを調理し始めた。

2019/08/25

買い物に行こうと思って玄関を出たところ、思いのほか天気が良くないようで先ほど干したばかりの洗濯物のことが気になった。
「これでは外出中にひと雨きてもおかしくないぞ。洗濯物は室内に移動させておくべきだろうか? だがそれでは、いくらまだ夏が続いているとはいえ、乾くまでの時間が遅れて洗濯物に雑菌が繁殖し、いやな臭いを発し始めてしまうかもしれない。そんなことは御免だが、雨に濡れた場合は乾く時間はさらに先延ばしになるわけだ。なんとも悩ましい話だ……」
私は考えごとに夢中になっていたため、道の真ん中に立ち止まって周囲のことが全く目に入らなくなっていたらしい。
そこへ猛スピードで突っ込んできたトラックがいたからたまらない。おそらく運転手は運転しながらスマホでかわいらしい動物の動画などを眺めていたのだろう。その動物愛護精神があだとなり、トラックは私を空高く跳ね飛ばしたのだ。
だが、これははたして偶然なのだろうか? それとも迷う私に何か超越的な存在が答えを差し出してくれたのかもしれないが、私はちょうどアパートの軒先の自分の洗濯物の前にまるで体操選手のように着地したのだった。
そこへぽつぽつと、懸念していた雨が落ち始めた。私はあわてて洗濯物を取り込むと、抱えて部屋の中へと飛び込んだ。
「少しでも雨の心配があるときは洗濯物は室内に干すべきだ。そのためにも部屋干し用の洗剤を今度から買っておくべきだと、あの動物好きな運転手は私に伝えたかったのかもしれない。いささかその伝え方が強引ではあったが……」
私はあちこち痛む体をさすりながらそうつぶやいた。