2019/08/26

あでやかに着飾った人々が、道を繁華街のほうへと歩いていくのが見える。ただでさえ人の多い繁華街では、なぜかさらに人を集めるようなイベントが盛んに行われるようだ。だから着飾った人たちが田畑や空き地の多い方角とは反対方向へ歩いていくのは、いつもの見慣れた光景だと云える。
たしかに、田畑や空き地の多い方角へと着飾った人の群れが移動していた場合、人は落ち着かない気持ちになるものだ。人の少ない土地だからこそ、人を集めたいという願いからなけなしの知恵と予算を集めてイベントを敢行し、それが成功したなら喜ばしいことのはずだ。だが私たちは心のどこかで、賑やかな繁華街がさらに賑やかになることを願い、寂れた土地は寂れたままでいてほしいと願っているのかもしれない。
心の中にいったん書き上げられた地図が、むやみに書き換えられることを人は好まない。そんなことをすれば気分がそわそわして、寄る辺ないような気持ちになってしまう。それがいくら正しい変化の道筋だとわかっていても、人々が新たな道への一歩を踏み出すことを躊躇してしまう理由がここにある。毎日部屋の模様替えをしていたら精神的に不安定になってしまい、生活に支障をきたすことを我々は本能的に察知しているのだ。
たしかに、あんな着飾った人たちがわが家の周辺をたむろしていたら、私はジャージ姿でコンビニへ弁当を買いに行くことに羞恥を覚え、やがて食料が尽きて餓死してしまうだろう。そう思えばなんとなくこの世の地図が今日も昨日と変わらぬ配置に収まっていることに、ほっと一安心していることを否定はしきれない。
つまり私もまた、寂れた土地が寂れたまま見捨てられていくことを無意識に望んでいる人々の一員なのだ。
そう思うとどっと疲労が押し寄せてきて、私は床に水たまりのように横たわって眠りつづけた。
やがて目が覚めるとすっかり元気になっていた私は、台所で焼きそばを調理し始めた。