バス停があったので、ちょうど時間もあることだしバスを待ってみることにした。
「ふだんバスは全く利用しないので、こんなに近所にあるバス停さえ目に入らなかったというわけか。まさか今日初めて設置されたバス停というわけでもあるまいし」
そう小声で云いながら、私はちらっとバス停の標識に目をやった。
「どうやらあと二分ほどでバスがやってくるようだ。いったいどんなバスが姿を見せるのだろう?」私が想像したのは、横に子供向けの動物などのキャラクターがいくつも描かれた、見ているだけで笑顔に変わってしまうような塗装のバスだ。
どうして子供は動物のイラストが大好きなのだろう? と私は首をかしげた。かわいらしい形をした石や、さまざまなパステルカラーで表現された樹木などには大して関心がなさそうだ。おそらくそんなものが描かれたバスを見てもぷいと顔をそむけ、親に無理やり引きずられなければ乗り込もうとしないだろう。
「だからバス会社としては、本当ならもっと多様な絵柄や題材の絵を描きたいところなのに、子連れ客への配慮から動物しか選択肢がないのだと思われる。それも本来ならリアルなタッチのイラストのほうが教育的な観点から望ましいはずだが、子供たちのワガママにつきあった結果ワンパターンのかわいい絵柄に落ち着くのだ」
動物がけっして可愛いものばかりではないという現実を受け入れられない子供に育ったのは、あきらかに親の責任である。幼いうちから多様な価値観に触れさせるため、選りすぐりの絵本などを買い与えなかった怠惰な親たちの尻拭いを、結果的にバス会社がさせられている形だ。
「そしてさらにそのしわ寄せが、さまざまなイラストの描かれたバスに乗りたい他の乗客たちの願いを押し潰すことに到っている。われわれは社会に一人で生きているわけじゃないのだから、つねに自分ののばした腕や突き出した足が誰かにぶつかっていないか、チェックする義務があるのかもしれない」
私が深くため息をつくと、そのため息に合わせたようにクラクションの音が聞こえた。
見れば道のむこうからバスが近づいていたので、私は逃げるようにバス停から立ち去った。
たまにはバスを待ってみたかっただけで、私はとくにどこかへ行く用事はなかったのだ。
2019/06/30
2019/06/29
墓地があることは知っていたが、知り合いの墓があるわけでもないし、足を踏み入れたことはなかった。
一般に墓地を訪れる人は、墓参りに来たか肝試しに来たかのいずれかだろう。どちらの用もなかった私は先ほどもさっさと前を素通りしようとした。
こんなことを云っては気分を害する人がいるかもしれないが、墓地は何となく不気味な感じがして、正直あまり視界に入れたくはないのだ。
あんな陰気な色の石をならべていることで、もし幽霊が出るなら陰気な雰囲気の幽霊だろうなと無意識に想像させてしまう。もっと陽気なカラフルな色彩の墓石がならんでいたら、楽しげなダンスを踊りながら幽霊が登場することが目に浮かび、みんな積極的に墓参りにも訪れるようになるだろう。
そう思うと残念でならないのだが、さっきはそんな私の期待に応えるような目の覚めるような色彩がいきなり目に飛び込んできたのだ。
思わず立ち止まって墓地のほうを見ると、ごく平凡な小さな墓地があるだけだ。たった今見えたと思った鮮やかな色はどこへ消えたのだろう? そう思って敷地に足を踏み入れようとすると、誰かに腕を掴まれた。
「やめておきなさい」
そう話しかけてきたのは、八十歳前後と見える品のいい女性だった。見た目から想像できない強い力で私を引き戻しながら女性はこう続けた。
「今、墓地にそぐわない何かカラフルなものが見えたんでしょう? 陰気な墓地に日頃から疑問を感じている人が、そんな幻影を見て思わず敷地に足を踏み入れるという事件が多発しているんですよ。もちろん、色鮮やかな陽気な墓石などどこにも存在しません。すべては、そんな幻影で人を引き寄せて取り憑こうとする邪悪な霊のしわざなのです」
私は驚いて「取り憑かれた人はその後どうなったのですか!?」と叫んでしまった。
女性は無言のまま首を横に振ったことで、かれらに訪れた悲惨な運命を私に暗示した。
「墓地が陰気なことにはちゃんと意味があるのです。むやみに人が訪れて、悪意ある死者の餌食にならないようにするという意味がね……」
最後は独り言のようにつぶやきながら、女性は道を遠ざかっていった。
もしかしたらあれは人間の老人ではなく、私の守護霊だったのかもしれない。
一般に墓地を訪れる人は、墓参りに来たか肝試しに来たかのいずれかだろう。どちらの用もなかった私は先ほどもさっさと前を素通りしようとした。
こんなことを云っては気分を害する人がいるかもしれないが、墓地は何となく不気味な感じがして、正直あまり視界に入れたくはないのだ。
あんな陰気な色の石をならべていることで、もし幽霊が出るなら陰気な雰囲気の幽霊だろうなと無意識に想像させてしまう。もっと陽気なカラフルな色彩の墓石がならんでいたら、楽しげなダンスを踊りながら幽霊が登場することが目に浮かび、みんな積極的に墓参りにも訪れるようになるだろう。
そう思うと残念でならないのだが、さっきはそんな私の期待に応えるような目の覚めるような色彩がいきなり目に飛び込んできたのだ。
思わず立ち止まって墓地のほうを見ると、ごく平凡な小さな墓地があるだけだ。たった今見えたと思った鮮やかな色はどこへ消えたのだろう? そう思って敷地に足を踏み入れようとすると、誰かに腕を掴まれた。
「やめておきなさい」
そう話しかけてきたのは、八十歳前後と見える品のいい女性だった。見た目から想像できない強い力で私を引き戻しながら女性はこう続けた。
「今、墓地にそぐわない何かカラフルなものが見えたんでしょう? 陰気な墓地に日頃から疑問を感じている人が、そんな幻影を見て思わず敷地に足を踏み入れるという事件が多発しているんですよ。もちろん、色鮮やかな陽気な墓石などどこにも存在しません。すべては、そんな幻影で人を引き寄せて取り憑こうとする邪悪な霊のしわざなのです」
私は驚いて「取り憑かれた人はその後どうなったのですか!?」と叫んでしまった。
女性は無言のまま首を横に振ったことで、かれらに訪れた悲惨な運命を私に暗示した。
「墓地が陰気なことにはちゃんと意味があるのです。むやみに人が訪れて、悪意ある死者の餌食にならないようにするという意味がね……」
最後は独り言のようにつぶやきながら、女性は道を遠ざかっていった。
もしかしたらあれは人間の老人ではなく、私の守護霊だったのかもしれない。
2019/06/28
近所の公園がいつのまにか閉鎖されていたので、遠くの公園まで足をのばしてみた。
そこは敷地の中心に立派な花壇の設置された公園で、色とりどりの花がつねに目を楽しませてくれる。
だがべつに花を見るために公園へ来たわけではないので、私は無視して手元の本のページを凝視し続けた。
だがそこにびっしりと印刷された文字が、ひっきりなしに語りかけてくる言葉に私はまるで意識を集中させることができなかった。
「これはいったいどうしたわけだろう? 花になど興味がないというのは自分への偽りで、本当は心の底でさまざまな花を眺めることを欲しているのだろうか?」
そんな疑いが首をもたげてきたため、私は本のページから目を上げてみた。
すると視線の先にある見事な花壇に、花柄のワンピースを着た女性が仁王立ちしていたので私は驚いた。
当然ながら足元の花は踏まれ、無残な状態になっている。だが女性は腰に両手をあてて微動だにせず、表情は眉間にしわの寄った大変険しいものだった。
「なんだあの女は! 美しい花を踏みつけて堂々としているなんて気でも狂ったのか?」
私はあわてて立ち上がると、花壇の前へと駆け寄った。
近距離から眺めれば、その女性は美しいものを踏みにじるような粗暴なタイプには見えなかった。もしかしたら何か深い考えがあって、花のためを思っての理性的な行動なのかもしれない。
そう感じた私は苦言を呈するのを思いとどまり、そのまま相手の観察を続けた。
花柄のワンピースを着ていることからも、けっして花の美しさに理解がないタイプではないことが窺えた。
どちらかというと花をライバル視して「私の方がずっとこの花壇に植えられる価値があるはず」といった主張を無言のうちに発している可能性が高いのではないか?
だが花と人間の間には、植物と動物という越えられない壁がある。 地中に根を張って養分と水を吸い上げる花たちと違って、人間はどこかで水や食べ物を手に入れる必要があり、花壇でじっとしているわけにはいかないのだ。
「それとも植物と同じように、その場にじっと動かぬままで必要なものを手に入れる方法をあなたはすでに見つけ出したとでも云うのですか? だとすればこんな地味な公園でじっとしているより、今すぐその方法を書いた本を出版すればベストセラーになり、大金持ちになることも夢じゃないはず。だがもはや自分が花だと信じ込むことに夢中になっている現在、金のことなどまるで眼中にないのだとしたらもったいない話だ」
私が思わずそうつぶやくと、それまで完全に無視を決め込んでいた女性が突如目の色を変えてこちらを見た。
それはあきらかに儲け話に反応した目つきだったので「まだ植物になりきってはいなかったのだ」と私はほっとすると同時に、なんとなくがっかりした気分にも見舞われたのだった。
そこは敷地の中心に立派な花壇の設置された公園で、色とりどりの花がつねに目を楽しませてくれる。
だがべつに花を見るために公園へ来たわけではないので、私は無視して手元の本のページを凝視し続けた。
だがそこにびっしりと印刷された文字が、ひっきりなしに語りかけてくる言葉に私はまるで意識を集中させることができなかった。
「これはいったいどうしたわけだろう? 花になど興味がないというのは自分への偽りで、本当は心の底でさまざまな花を眺めることを欲しているのだろうか?」
そんな疑いが首をもたげてきたため、私は本のページから目を上げてみた。
すると視線の先にある見事な花壇に、花柄のワンピースを着た女性が仁王立ちしていたので私は驚いた。
当然ながら足元の花は踏まれ、無残な状態になっている。だが女性は腰に両手をあてて微動だにせず、表情は眉間にしわの寄った大変険しいものだった。
「なんだあの女は! 美しい花を踏みつけて堂々としているなんて気でも狂ったのか?」
私はあわてて立ち上がると、花壇の前へと駆け寄った。
近距離から眺めれば、その女性は美しいものを踏みにじるような粗暴なタイプには見えなかった。もしかしたら何か深い考えがあって、花のためを思っての理性的な行動なのかもしれない。
そう感じた私は苦言を呈するのを思いとどまり、そのまま相手の観察を続けた。
花柄のワンピースを着ていることからも、けっして花の美しさに理解がないタイプではないことが窺えた。
どちらかというと花をライバル視して「私の方がずっとこの花壇に植えられる価値があるはず」といった主張を無言のうちに発している可能性が高いのではないか?
だが花と人間の間には、植物と動物という越えられない壁がある。 地中に根を張って養分と水を吸い上げる花たちと違って、人間はどこかで水や食べ物を手に入れる必要があり、花壇でじっとしているわけにはいかないのだ。
「それとも植物と同じように、その場にじっと動かぬままで必要なものを手に入れる方法をあなたはすでに見つけ出したとでも云うのですか? だとすればこんな地味な公園でじっとしているより、今すぐその方法を書いた本を出版すればベストセラーになり、大金持ちになることも夢じゃないはず。だがもはや自分が花だと信じ込むことに夢中になっている現在、金のことなどまるで眼中にないのだとしたらもったいない話だ」
私が思わずそうつぶやくと、それまで完全に無視を決め込んでいた女性が突如目の色を変えてこちらを見た。
それはあきらかに儲け話に反応した目つきだったので「まだ植物になりきってはいなかったのだ」と私はほっとすると同時に、なんとなくがっかりした気分にも見舞われたのだった。
2019/06/27
どこかで知りあったという記憶もない老齢の無表情な男性と、なぜかテーブルをはさんで私はコーヒーカップを手にしていた。
はっとして周囲を見回すと、どうやら近所の行きつけの喫茶店のようだ。そのことにひとまずほっとしてコーヒーをひと口飲んだのだが、カップを黒々と満たしているコーヒーはまるで氷の融けきったアイスコーヒーのようにぬるくなっていた。
「どうやら正気に戻られたようですね」
相変わらず表情のない老人は私に目を向け、そう言葉を発した。
「まるで私が正気を失っていたかのような言い方だが……」
不本意そうに反論しかけた私だったが、まったく見覚えのない顔の老人といきなり喫茶店に来ている自分に気づく、という状態がまともな精神状態だとはやはり思えない。
「訂正します。どうやらあなたの云うことが正しいようだ」
私は自らの非をすぐに認めて謝罪した。こうした態度が素早く取れるかどうかが、人生において数々の場面の成否を分けるような気がする。
咄嗟に謝ることに抵抗を覚え、間違っていると気づきつつ道を突き進んでしまうと、やがてとんでもない場所に出ることになる。それは本来の目的地とはかけ離れた、荒涼とした土地だったり、後は海に向かって落下するほかない断崖などである。
そこから引き返すのは、はっきり云って時間の無駄だ。そうやって道に迷っているうちに時間切れになり、野垂れ死にするのがオチなのだ。
「むやみに意地を張らず、すぐに非を認めてやり直せばいくらでも挽回ができる。それが人生における広く知られるべきもっとも有益なアドバイスでしょう」
私は老人に向かってそう語った。
だが途中の部分は心の中で思っただけで口にしなかったので、結論だけをいきなり手渡された老人は驚いたのか目を白黒させていた。
しかしながら、それまで人形のように無表情に見えていた顔に生き生きとした感情が現れていることに私は満足し、大きく何度もうなずいた。
もはや自分がどうしてここにいるかなど、些細な問題に思えてきたのである。
はっとして周囲を見回すと、どうやら近所の行きつけの喫茶店のようだ。そのことにひとまずほっとしてコーヒーをひと口飲んだのだが、カップを黒々と満たしているコーヒーはまるで氷の融けきったアイスコーヒーのようにぬるくなっていた。
「どうやら正気に戻られたようですね」
相変わらず表情のない老人は私に目を向け、そう言葉を発した。
「まるで私が正気を失っていたかのような言い方だが……」
不本意そうに反論しかけた私だったが、まったく見覚えのない顔の老人といきなり喫茶店に来ている自分に気づく、という状態がまともな精神状態だとはやはり思えない。
「訂正します。どうやらあなたの云うことが正しいようだ」
私は自らの非をすぐに認めて謝罪した。こうした態度が素早く取れるかどうかが、人生において数々の場面の成否を分けるような気がする。
咄嗟に謝ることに抵抗を覚え、間違っていると気づきつつ道を突き進んでしまうと、やがてとんでもない場所に出ることになる。それは本来の目的地とはかけ離れた、荒涼とした土地だったり、後は海に向かって落下するほかない断崖などである。
そこから引き返すのは、はっきり云って時間の無駄だ。そうやって道に迷っているうちに時間切れになり、野垂れ死にするのがオチなのだ。
「むやみに意地を張らず、すぐに非を認めてやり直せばいくらでも挽回ができる。それが人生における広く知られるべきもっとも有益なアドバイスでしょう」
私は老人に向かってそう語った。
だが途中の部分は心の中で思っただけで口にしなかったので、結論だけをいきなり手渡された老人は驚いたのか目を白黒させていた。
しかしながら、それまで人形のように無表情に見えていた顔に生き生きとした感情が現れていることに私は満足し、大きく何度もうなずいた。
もはや自分がどうしてここにいるかなど、些細な問題に思えてきたのである。
2019/06/26
アルバイト先の店長が急死した。店頭で客の応対をしていたところ、その客がいきなり刃物のようなものを取り出して何か叫びながら店長をめった刺しにしたためである。
おかげで店は午後から臨時休業となり、バイトの先輩の話では再開のめどは立たないということであった。
チェーン店だとばかり思っていたのだが、どうやらチェーン店を装って無断で営業していた店らしく、死亡した店長の代役が本部から送られてくる、といった展開にはならないようだ。
先輩も店長から「自分が死んだ場合は誰が店長になるか」といった話は生前聞かされていなかったそうだ。たしかに店長はエネルギッシュで元気そのものという印象の人だったし、持病などもなかったように聞いている。そのままいけばそれなりに長生きをしたはずで、まさか客に、それも毎日何かを買ってくれるお得意様の上品そうな女性客にめった刺しにされるとは予想しなかったのだろう。
だが今さら「この店を今後どうすればいいですか?」と床に血まみれで横たわっている彼に訊ねることもできない。
店を閉めた後は突然ぽっかりと現れた空白のような時間に戸惑い、私は公園へと向かった。
まっすぐ帰宅するのはこのせっかくの小さな休暇を無駄にしてしまうようで、公園の木々の緑を眺めながら次のバイトをどうするか? といったことをこの際じっくり考えてみたいと思ったのだ。
だが自然の風に吹かれながらほんの数分間考えただけで、
「もう誰かに雇われてぺこぺこと頭を下げ、理不尽な命令に従うだけの毎日なんて真っ平だ!」
そう結論が出た私は何かフリーの仕事を始めるべく、そのヒントを得るためにベンチを立ち上がると町をレーシングカーのように駆け巡った。
「私はもう長いあいだ誰かの下僕でありつづけ、そのことに疑問を感じなくなっていた。だが心の深い部分では現状に不満と悲しみを抱いており、あらたな生活へと壁を破って飛び出していく機会を窺っていたのだろう」
町を駆け巡っている最中、つい数時間前まで自分の職場だった店の前を通りかかったような気がした。
「あそこで血だまりの上に倒れている店長には大変気の毒だが、今日に限って包丁を持参して来店したあの女性客は、なかなか思い通りの人生を生きられない私を縛る鎖を断ち切るべく、その刃物を店長に振り下ろしたのかもしれない」
そう思うと名も知らぬ上品そうな女性客が、にわかにギリシア神話の女神のような輝きを帯びてくるのがわかった。
今すぐ店に戻ればあの女性がまだ現場に立ち尽くしており、感謝の気持ちを伝えられるかもしれない。
だが私はすぐにそれをあきらめて心の中で感謝するにとどめた。
店の鍵は先輩バイトが管理しており、私には中へ踏み込む手段が存在しなかったのである。
おかげで店は午後から臨時休業となり、バイトの先輩の話では再開のめどは立たないということであった。
チェーン店だとばかり思っていたのだが、どうやらチェーン店を装って無断で営業していた店らしく、死亡した店長の代役が本部から送られてくる、といった展開にはならないようだ。
先輩も店長から「自分が死んだ場合は誰が店長になるか」といった話は生前聞かされていなかったそうだ。たしかに店長はエネルギッシュで元気そのものという印象の人だったし、持病などもなかったように聞いている。そのままいけばそれなりに長生きをしたはずで、まさか客に、それも毎日何かを買ってくれるお得意様の上品そうな女性客にめった刺しにされるとは予想しなかったのだろう。
だが今さら「この店を今後どうすればいいですか?」と床に血まみれで横たわっている彼に訊ねることもできない。
店を閉めた後は突然ぽっかりと現れた空白のような時間に戸惑い、私は公園へと向かった。
まっすぐ帰宅するのはこのせっかくの小さな休暇を無駄にしてしまうようで、公園の木々の緑を眺めながら次のバイトをどうするか? といったことをこの際じっくり考えてみたいと思ったのだ。
だが自然の風に吹かれながらほんの数分間考えただけで、
「もう誰かに雇われてぺこぺこと頭を下げ、理不尽な命令に従うだけの毎日なんて真っ平だ!」
そう結論が出た私は何かフリーの仕事を始めるべく、そのヒントを得るためにベンチを立ち上がると町をレーシングカーのように駆け巡った。
「私はもう長いあいだ誰かの下僕でありつづけ、そのことに疑問を感じなくなっていた。だが心の深い部分では現状に不満と悲しみを抱いており、あらたな生活へと壁を破って飛び出していく機会を窺っていたのだろう」
町を駆け巡っている最中、つい数時間前まで自分の職場だった店の前を通りかかったような気がした。
「あそこで血だまりの上に倒れている店長には大変気の毒だが、今日に限って包丁を持参して来店したあの女性客は、なかなか思い通りの人生を生きられない私を縛る鎖を断ち切るべく、その刃物を店長に振り下ろしたのかもしれない」
そう思うと名も知らぬ上品そうな女性客が、にわかにギリシア神話の女神のような輝きを帯びてくるのがわかった。
今すぐ店に戻ればあの女性がまだ現場に立ち尽くしており、感謝の気持ちを伝えられるかもしれない。
だが私はすぐにそれをあきらめて心の中で感謝するにとどめた。
店の鍵は先輩バイトが管理しており、私には中へ踏み込む手段が存在しなかったのである。
2019/06/25
最近私は、誕生パーティーに出席する機会がないことに思い至った。
「どこかで誕生パーティーを行っている家はないだろうか?」
もちろんその家には、今日が誕生日の人が住んでいるのである。だとすれば、まずはそんな人を見つけ出すのが先決だ。
「一年は三百六十五日ある。ということは三百六十五人の人間がいる場所を訪問すれば、そこには今日が誕生日の人が一人存在する、という計算になる……」
私はあまりにもすらすらと自分のなすべきことが口から出てくるので、まさか誰か優秀な頭脳を持った人間が私のかわりに物を考え、導き出した結論を私の口の中に仕込んだ小型スピーカーから発表しているのでは? という疑いにとらわれた。
だが口の中に手を突っ込んでくまなくさぐってみたが、そんなスピーカーは見つからなかったのである。
「どうやらそんな仕掛けはなかったらしい。これで思う存分発言できるぞ!」
喜びのあまり私の声は大きくなり、通行人が何人か振り返ったほどだった。
だがその数はまだまだ一年の日数には遠く及ばない。これでは当初の目的が果たせる望みは大変うすいのだ。
「もっとたくさんの人がいる場所へ行かないとどうにもならないぞ!」
私は焦りのあまり自転車の漕ぎ方がわからなくなり、あれよあれよというまに電柱に衝突。すっかり鉄屑に変わってしまった自転車を乗り捨てて、そこからは徒歩で移動した。
「だが、周囲はますます寂しい景色になりつつあるので、これでは大勢の人の姿を見つけ出すことは奇跡に等しい」
たんに人がいないだけでなく、鬱蒼とした森の中にとらわれつつある私の周囲は不気味な生き物たちの鳴き声に満ちつつあった。姿こそ見えないが、声のバリエーションがさまざまな種類の生物の存在を知らせていたのだ。
「森には無数の生物の気配がある。ということは、ここには無数の誕生日を持つ存在がうごめいているということだから、今日が誕生日の生物だって一匹や二匹じゃないだろう。とはいえ、人間と違って彼らには誕生パーティーを行うような知能はないから、もしパーティーがお望みなら私自身が主催者にならなければいけないようだ」
私はパーティーこそ大好きなものの、自分が主催したことは一度もない。そんな発想がそもそも頭になかったのである。
「まるで自分はいつももてなされる側だと信じていたようで、恥ずかしい限りだ……」
今度機会があったら誰かのために思いきり豪華で心のこもったパーティーを開催しよう、と私は胸の中で誓った。
その「誰かに」なるのは、もしかしたらあなたなのかもしれない。
「どこかで誕生パーティーを行っている家はないだろうか?」
もちろんその家には、今日が誕生日の人が住んでいるのである。だとすれば、まずはそんな人を見つけ出すのが先決だ。
「一年は三百六十五日ある。ということは三百六十五人の人間がいる場所を訪問すれば、そこには今日が誕生日の人が一人存在する、という計算になる……」
私はあまりにもすらすらと自分のなすべきことが口から出てくるので、まさか誰か優秀な頭脳を持った人間が私のかわりに物を考え、導き出した結論を私の口の中に仕込んだ小型スピーカーから発表しているのでは? という疑いにとらわれた。
だが口の中に手を突っ込んでくまなくさぐってみたが、そんなスピーカーは見つからなかったのである。
「どうやらそんな仕掛けはなかったらしい。これで思う存分発言できるぞ!」
喜びのあまり私の声は大きくなり、通行人が何人か振り返ったほどだった。
だがその数はまだまだ一年の日数には遠く及ばない。これでは当初の目的が果たせる望みは大変うすいのだ。
「もっとたくさんの人がいる場所へ行かないとどうにもならないぞ!」
私は焦りのあまり自転車の漕ぎ方がわからなくなり、あれよあれよというまに電柱に衝突。すっかり鉄屑に変わってしまった自転車を乗り捨てて、そこからは徒歩で移動した。
「だが、周囲はますます寂しい景色になりつつあるので、これでは大勢の人の姿を見つけ出すことは奇跡に等しい」
たんに人がいないだけでなく、鬱蒼とした森の中にとらわれつつある私の周囲は不気味な生き物たちの鳴き声に満ちつつあった。姿こそ見えないが、声のバリエーションがさまざまな種類の生物の存在を知らせていたのだ。
「森には無数の生物の気配がある。ということは、ここには無数の誕生日を持つ存在がうごめいているということだから、今日が誕生日の生物だって一匹や二匹じゃないだろう。とはいえ、人間と違って彼らには誕生パーティーを行うような知能はないから、もしパーティーがお望みなら私自身が主催者にならなければいけないようだ」
私はパーティーこそ大好きなものの、自分が主催したことは一度もない。そんな発想がそもそも頭になかったのである。
「まるで自分はいつももてなされる側だと信じていたようで、恥ずかしい限りだ……」
今度機会があったら誰かのために思いきり豪華で心のこもったパーティーを開催しよう、と私は胸の中で誓った。
その「誰かに」なるのは、もしかしたらあなたなのかもしれない。
2019/06/24
聞くところによれば、UFOは特定の土地の上空に頻繁に出現するのだという。
もちろんその理由は我々の知りうるところではないが、その土地の地底などにUFOのための秘密基地が存在することは、容易に想像できる話だろう。
「人々がちょんまげを結っていた時代ならいざ知らず、もはや誰もちょんまげを結っていない現代に地面の下に基地など勝手につくられて近隣住民がうっかり気付かない、などということがありえるだろうか? 我々の科学的な水準がそんなぼんやりしたお猿さんレベルの時代をとっくに通り過ぎているのは明白なのだ」
そんな疑問の声を漏らす人も、おそらく少なくはないはずである。
だが考えてみてほしいのは、UFOなどを空に飛ばすような存在(それは地球外生物という説と、地球上の隠された何らかの怪しい組織だという説がある) の誇る科学の水準は、我々の想像することのできない非常な高さに到達していると想定できるということだ。
地中深くどころか、家のすぐ隣の空き地にかれらの秘密基地をつくられても、我々はまったく気づかないまま晩ご飯の支度をしたり、テレビのバラエティ番組に笑い声をあげているのではないか?
それほどまでの文明の格差を認めるのは、誇り高い先進国の人間には屈辱的かもしれない。だがここは謙虚に現実を受け止めるとすれば、我々の社会とUFOの世界は平然と重なったまま何百年、何千年という歳月を過ごしていたとしても不思議ではない。
蟻が人類の存在を意識することはなく、たまに踏まれたりいきなり掴まって足をもがれるなどの災難に遭った時だけ「何か知らないが巨大なもの」として認識するように、我々がUFOだと云って写真に撮って騒いだりしている代物は、蟻にとっての人間の手足のようなものかもしれない。
「この話を近所のUFO研究家の青年に話したらどんな顔をするだろう? 目を輝かせて聞き入るか、それともそんな夢のない話は聞きたくないと云って耳を塞ぐのか。どちらを選ぶかで、あの青年の探求心が本物かどうかがわかることだろう」
そうつぶやきながら私は青年の顔を頭に思い浮かべた。
まるでちくわに目鼻を付けたような興味深い顔だった。今度見かけたら、写真にでも撮っておこう。
もちろんその理由は我々の知りうるところではないが、その土地の地底などにUFOのための秘密基地が存在することは、容易に想像できる話だろう。
「人々がちょんまげを結っていた時代ならいざ知らず、もはや誰もちょんまげを結っていない現代に地面の下に基地など勝手につくられて近隣住民がうっかり気付かない、などということがありえるだろうか? 我々の科学的な水準がそんなぼんやりしたお猿さんレベルの時代をとっくに通り過ぎているのは明白なのだ」
そんな疑問の声を漏らす人も、おそらく少なくはないはずである。
だが考えてみてほしいのは、UFOなどを空に飛ばすような存在(それは地球外生物という説と、地球上の隠された何らかの怪しい組織だという説がある) の誇る科学の水準は、我々の想像することのできない非常な高さに到達していると想定できるということだ。
地中深くどころか、家のすぐ隣の空き地にかれらの秘密基地をつくられても、我々はまったく気づかないまま晩ご飯の支度をしたり、テレビのバラエティ番組に笑い声をあげているのではないか?
それほどまでの文明の格差を認めるのは、誇り高い先進国の人間には屈辱的かもしれない。だがここは謙虚に現実を受け止めるとすれば、我々の社会とUFOの世界は平然と重なったまま何百年、何千年という歳月を過ごしていたとしても不思議ではない。
蟻が人類の存在を意識することはなく、たまに踏まれたりいきなり掴まって足をもがれるなどの災難に遭った時だけ「何か知らないが巨大なもの」として認識するように、我々がUFOだと云って写真に撮って騒いだりしている代物は、蟻にとっての人間の手足のようなものかもしれない。
「この話を近所のUFO研究家の青年に話したらどんな顔をするだろう? 目を輝かせて聞き入るか、それともそんな夢のない話は聞きたくないと云って耳を塞ぐのか。どちらを選ぶかで、あの青年の探求心が本物かどうかがわかることだろう」
そうつぶやきながら私は青年の顔を頭に思い浮かべた。
まるでちくわに目鼻を付けたような興味深い顔だった。今度見かけたら、写真にでも撮っておこう。
登録:
投稿 (Atom)