2019/06/27

どこかで知りあったという記憶もない老齢の無表情な男性と、なぜかテーブルをはさんで私はコーヒーカップを手にしていた。
はっとして周囲を見回すと、どうやら近所の行きつけの喫茶店のようだ。そのことにひとまずほっとしてコーヒーをひと口飲んだのだが、カップを黒々と満たしているコーヒーはまるで氷の融けきったアイスコーヒーのようにぬるくなっていた。
「どうやら正気に戻られたようですね」
相変わらず表情のない老人は私に目を向け、そう言葉を発した。
「まるで私が正気を失っていたかのような言い方だが……」
不本意そうに反論しかけた私だったが、まったく見覚えのない顔の老人といきなり喫茶店に来ている自分に気づく、という状態がまともな精神状態だとはやはり思えない。
「訂正します。どうやらあなたの云うことが正しいようだ」
私は自らの非をすぐに認めて謝罪した。こうした態度が素早く取れるかどうかが、人生において数々の場面の成否を分けるような気がする。
咄嗟に謝ることに抵抗を覚え、間違っていると気づきつつ道を突き進んでしまうと、やがてとんでもない場所に出ることになる。それは本来の目的地とはかけ離れた、荒涼とした土地だったり、後は海に向かって落下するほかない断崖などである。
そこから引き返すのは、はっきり云って時間の無駄だ。そうやって道に迷っているうちに時間切れになり、野垂れ死にするのがオチなのだ。
「むやみに意地を張らず、すぐに非を認めてやり直せばいくらでも挽回ができる。それが人生における広く知られるべきもっとも有益なアドバイスでしょう」
私は老人に向かってそう語った。
だが途中の部分は心の中で思っただけで口にしなかったので、結論だけをいきなり手渡された老人は驚いたのか目を白黒させていた。
しかしながら、それまで人形のように無表情に見えていた顔に生き生きとした感情が現れていることに私は満足し、大きく何度もうなずいた。
もはや自分がどうしてここにいるかなど、些細な問題に思えてきたのである。