2019/10/11

なんとなく、電車に乗ることが最適解のような気がした。そこで私はひさしぶりに駅に向かったのだが、駅というのはどうしてあんなに人が大勢いるのだろう? まったく馬鹿げた騒ぎっぷりで、もっとみんなが思い思いの方角に向かって自由に歩いてゆき、人口が分散したなら今より住みやすい社会になるように思えてならなかった。
そこで手近なところにいた若い女性にその旨を述べたところ、思いのほか強い同意を得られ、
「私はもう窮屈な電車に押し込められて目的地に向かうのをやめ、自由に気の向くままに歩いてゆきます!」
そう叫ぶと彼女は駅舎を飛び出して、とくに何もないほうの北口の路地へと消えていった。
だが北口の道路をしばらく歩いていけば、巨大な霊園に突き当たることは間違いないのだ。
「昼間でも不気味な雰囲気の漂う霊園に迷い込むくらいなら、たとえ混雑していて不快でも電車に乗ったほうが数倍マシだろう」
私はすぐさまそう判断したのだが、残念なことに私の声はすでに姿の見えない女性には届かなかったようだ。
だが若いうちは少々のあやまちも含めて、おおいに冒険して経験を深めるのがいいだろう。その結果として、軌道修正してごく保守的なつまらない人格に収まってしまうのだとしても、心の中にかつての冒険者である自分を持っているかどうかで、人間の価値はまるで違ったものになるはずだ。
そのような真の価値の見分けがつく人物との出会いもまた、人生の醍醐味のひとつなのである。
もちろん、墓場で道に迷って行き倒れてしまってはそんな出会いの機会は望むべくもない。
私は、今では顔も思い出せない若い女性の無事を祈らずにはいられなかった。