2019/10/02

変なところから手が出ていたので、どうしようかと思ったが、握手をする気にもなれなかった。
なのでそのまま見守ることにしたのである。
云い忘れたが、手は私の住むアパートの床下を外から覗ける穴があるでしょう? あそこから出ていたのだ。
死体ではない証拠に、時々ぶらぶらと動いてどうにも手持無沙汰な様子を見せた。
石でもぶつけてみようかと考えたが、それも気の毒だと思ってしばらく静観することにしたのだ。
二時間ほどが経過した。
あまりにも何の変化もないので、私はついうとうとしてしまったらしい。
はっとして顔を上げると、床下から出ていた手はどこにも見当たらなかった。
しゃがんで穴を覗いてみたが、暗くて奥のほうはまるでどうなっているのかわからない。
こんなことなら石をぶつけてみればよかった、と一度は思ったが、あわてて心の中で訂正した。
「こんなことならあの誰のものとも知れぬ手と、固い握手を交わしておけばよかった」
念のため、そう声にも出して云ってみたのだが、誰か聞いてくれた人はいただろうか?
自分を尊敬すべき紳士だと信じられなくなったら、それからの人生は手放したベビーカーが急な坂を下るようにひたすら落ちていく一方だ。
人生は意外と長いものだから、投げやりになるべきではないのである。
とはいえ、人生は長いと思って油断しているとあっという間に終了してしまうので、ある程度の投げやりさは必要かもしれない。
だが、短いつもりでいると思いのほか長いのが人生だ。
夕日がまだ沈まずに、私とアパートの壁を照らし続けている。