2019/08/17

頭が痛いので散歩に出ることはあきらめて、ただ天井を眺めることに数時間を費やしたところ、いつのまにか外は暗くなっていた。だが、あいかわらず頭は痛い。
「こうして一生にできる散歩の数のうちのひとつを、永久に失ってしまった。こんなことなら頭痛を我慢してむりやり外出し、時々大声で叫んだりすることで頭痛から気をそらせながら町を気ままに歩いてしまえばよかった」
私は性格的に、こうした後悔の念にとらわれることが頻繁にある。これは持って生まれた気質的なものが原因であり、取り除くことは不可能なのだろう。
したがって、私は今後も自分の性格のマイナス面とつきあっていく必要があり、そのための様々な心構えを整えておくことが不可欠なのだと、ことあるごとに自分に云い聞かせている。
「自分が聖人君子のような人格に生まれなかったことを悔やんでも、どうすることもできない。与えられたものを最大限に生かすために前向きな気持ちになって、たとえ向かい風の中でも笑顔で歩いていくことが大事なのだと最近気がついて、そのことをツイッターで発信したことも昨日のことのように思い出される。だが、ツイートを目にしたはずの人々からはなんら賛同の意見を得ることはできなかった。私のあらたな船出のための決意表明が、他人の無関心に晒されるのはつらいことだ。それは単なる無関心というより、目障りなものとして目をそらされたという可能性もある。人生で必要なことに気づいて実行に移していくような行動力は、誰にでもあるものとは云いがたい。日々の生活が重荷となって、たとえ船出をしてもすぐに沈没するイメージが頭から離れず、ただ職場などへの愚痴を綴ることで気を紛らわせる人が多いのも事実だろう。そうしたツイートの中にもユーモアがあって思わずクスッと笑ってしまうようなものがあり、私はそうした傑作ツイートを紙に印刷して持ち歩き、時々眺めて満員電車の中でも笑顔になってしまうことがある。周囲の人々は、混雑した車内で紙を広げる私を氷のように冷たい目で見るのだが」