2019/08/10

庭先で夕涼みをしていると、どこかで祭でもあったのか、浴衣姿の子供たちが前を駆け抜けていった。
だが今日どこか近所の神社などで祭が行われるという噂を、私は耳にしていない気がする。
べつに祭のない日に自主的に浴衣を着てもかまわないのだが、子供たちが通り過ぎていったのは道路ではなく、我が家の庭なのである。
祭りの日に浴衣を着るのはただの習慣だが、他人の家の庭ではなく道路を歩くというのは、ずいぶん昔から社会で定められている周知のルールだ。
いまだそうしたルールの多くが身についてない子供たちにその都度注意を与え、正しいルートへ導いてあげるのは私たち大人の役目なのではないか?
突然そのことに気づいた私はあわてて立ち上がり、ルール違反者である子供たちの後を追って駆けだした。
だがたちまち目の前のブロック塀に顔面から激突すると、その衝撃で倒れ地面に大の字に横たわってしまった。
「こうして見る青空がうっすらと夕焼けに染まっている様子は、いかにも夏らしくて風情のあるものだ。今すぐ祖父の形見のカメラを持ってきて撮影しておきたいが、写真では今ここで五感が味わっているすべてを記録することは決してできない。非常にやせ細った、わずかな手がかりを残すのが精いっぱいなのだ。そう思うと写真のことなどどうでもよくなり、ひたすらこの景色に身を浸していることが現在の私にとってベストの選択だということが明らかになってきた」
そうつぶやいて空を凝視したが、だんだん暗くなっていく以外に大して変化がないためか、しだいに私は眠くなってきたようだ。
気がつくと翌朝の薄明りの中に横たわっており、庭木に集まった鳥たちが口々に朝の挨拶を口にしていた。
おかげでゆうべ近所で祭があったのかどうかは未確認のままだ。
それを知るためには、何らかの手段でゆうべの時間へとタイムトリップする以外にないだろう。
だがタイムマシンが発明されたら他にもっと確認したいことが山のようにあるため、やはりゆうべの祭のことは永久に謎のまま終わるのである。