2019/04/04

長期にわたる貧困が私たちの精神から自由を奪い、ただ身の回りの貧者どうしの諍いに余力のすべてを注ぎ込むような暮らしが続いていくのなら、この世界はますます金持ちと権力者だけが大手を振って歩ける構造へと作り直され、我々は彼らの使い捨ての道具にふさわしいマナーだけをひたすら叩き込まれていくのかもしれない。
貧困層の中から目を見張るような賢者が登場して、こうした構造からの脱出口を我々に示すといった出来事は、もはや微塵も期待できなくなってしまった。それはもともと夢物語だったかもしれないが、今ではそんな夢を見るための材料が現実から払底しているからだ。
我々にできることは、この何の救いもない絶望が深まる道のりが我々だけのものではなく、金持ちや権力者たちもまた結局のところ同じ過程を進んでいると想像し、人類が平等にもがき苦しみながら絶望と後悔の中で滅ぶ瞬間に望みを託すくらいだ。
だがそれが事実だとしても、我々はきっと金持ちや権力者たちよりひと足先に滅ぶことになるだろう。つまり彼らの悲惨な最期を見届けることは無理な話なのだ。
だから我々は、この世の金持ちや権力者たちの想像を絶する苦痛に歪んだ顔と、泣き喚く声に満ちた地獄のような最期の光景を存分に予想し、小説や漫画、演劇や映画などの形で自由に表現して、あらかじめ見学しておくべきではないだろうか。
我々もまた人類という救いがたい存在の一部をなすものとして、そのくらいの権利はあるのだと思いたいし、それは社会人としての義務でさえあるのかもしれない。