2019/04/29

窓の外を見ていたら、向かいのアパートの部屋の窓から満面の笑みを浮かべて手を振る男性がいた。
「ずいぶん馴れ馴れしい人だな」不快感をおぼえた私は手を振り返すことはなく、ただ無表情にじっとその人のことを凝視しつづけた。
すると男性は手を振るのをやめたものの、今度はギターを片手に窓辺に現れると、その場で弾き語りを始めたのだ。
だが男性のいる部屋の窓も、私の部屋の窓も閉まっているので歌声やギターの音色はここまで届かなかった。だからまるで審査員のように彼の演奏技術などにコメントすることはできないが、たとえ素晴らしい技術が発揮されていたとしてもプロとしてデビューするには何か決定的なものが欠けていると思わざるを得なかった。
それは外見が醜いとか、年を取り過ぎているといった誰にでもわかる問題だけでなく、その男性にはもっと無条件に人を苛立たせる雰囲気が天性のものとして備わっているように感じられた。
もし可能なら大規模なアンケート調査などを行えば、およそ八十パーセントほどの人が彼の姿を見て「不快である」という選択肢に○をつけるだろう。
それはもちろん意図されたものではなく、むしろ人を喜ばせたいという気持ちから窓辺での弾き語りが開始されたことは十分に理解できるのだ。だからこそ胸の痛む話ではあるし、私もできれば笑顔で男性の真心にあふれた歌声に耳を傾けたいところなのだ。それはアンケートで「不快である」に○をつけるほとんどの人に共通の気持ちだろう。同じ人間としてこの世界に生まれてきた相手を、不快だと感じてしまうほど悲しいことはない。その場合、不快さと悲しみという二重の罰を受けなければならない理不尽さにようやく耐えている人々のことを、人でなしのように罵ることは誰にもできないのではないか。
だがアンケートの結果はあくまで参考資料として男性の元へ届けておきたいと思った。プロデビューなど目指さす個人の趣味で歌っているのだとすれば、それは大きなお世話というべき振る舞いなのだが。