2019/04/25

自分が広大な、生きているうちは壁にたどりつくこともないような刑務所に収容されているのだと感じたり、そんな刑務所に囚われる理由となったような大昔の罪を抱えているのだと感じることが、誰にでもあると思う。
壁にたどりつかないほど広いなら、それは囚われていることにならないし、思い出せないほど古い罪はないのと同じことでは? という疑問が自分自身から湧いて出てきたとき、あなたなら何と答えるだろうか? 私はその答えを持たないままだが、何か視界がパッとひろがるような有効な答えがあるのなら、ぜひそれを聞いてみたいものだと思うのだ。
その答えを発表する会などを、トークイベントなども開催するタイプのカフェなどでひらくのも賛成だし、喋るより文章にするほうが得意なら、活字化して出版すればより多くの人の目に触れる可能性が生じるだろう。
だが出版不況とも言われる昨今だから、むしろ活字化されることで世の中から埋もれてしまうタイプの言説もあることを意識しておく必要がある。トークイベントの場で発表すれば、伝わる相手こそ少ないけれど、その分深く相手の心の奥に届けられるという利点があるのだ。その話を聞いた人間が、イベント後の人生の中でさまざまな人と出会い、語り合うときにその話の破片のようなものを世界に撒いていく……そんな空想が私の中で広がっていくのが感じられた。
そうして言葉は人から人へ伝えられ、やがてこの広大な刑務所の果てにある壁の前に立つ人のところまで届くかもしれない。
すると、もう伝えるべき相手がその先にいないことを悟ったその人が、壁にあなたの言葉の破片を書きつけることになる。
その瞬間が人類の歴史の範囲で訪れるかどうかは、私には何とも言えないところではあるのだが。