2019/04/22

街はどことなく浮ついた、夢見るような空気に包まれていた。そのことが無性に腹立たしくなり、何らかの手段で冷や水を浴びせてやりたい、という気持ちが私の中に沸き起こる。
もっとも、それはべつに珍しいことではなく、世の中に対して斜に構えたところのあるインテリの諸君なら誰もが身に覚えのある感情だろう。
なぜ世の中を構成する大半の人々はあんなに簡単に、たとえば徒競走のスタート地点で鳴らされるような銃声を耳にしただけで一斉に走り出してしまうのか? まるで知能の低い鳥などの生物を思わせるその行動は、授業に真面目に出席して必要な教養を身につけてきた者からすれば興味深くすらある。
思わず動画を撮影して、同じような知的な人々の間でそれを鑑賞しながら紅茶を飲む会などを催したい気持ちになるが、そんな会の持つ差別的な性格に対して敏感であるべき教養人としては、やはり動画は即座に削除してもっと罪のない、たた空の雲を眺めてお茶を飲む会などに変更することを検討したいところだ。
雲には様々な形があり、それを観察するだけでいくらでも時間は潰せるのだという話を友人の「雲博士」の異名を持つ気象学者から聞いたことがある。
雲を見るにはただ窓の近くに歩み寄ったり、窓を開けて外に飛び出したりすればいいのだから、経済的に厳しい状況にある人々にも優しい娯楽が空から提供されているのだ。
もちろんこれは「雲博士」氏からの受け売りであり、私自身にそのような趣味があるわけではない。残念ながら私にとって、雲はただ白くて退屈なだけの物質だ。その証拠に、雲の動画を撮影してアップロードしても、人は決して人気者にはなれないのである。