2019/04/15

この世に搾取と不平等がのさばらなかった時代などおそらく一瞬も存在しなかったことについて、私は「なぜだろうか?」と日々の営みの隙間で必死に考え続けた。
もしも人間の本性が救いがたく強欲なものであるため、他者からの搾取が止められないならそれはそれで十分絶望的な話だ。
だが、実際にはさらに事態は深刻というか、根深いものなのではないだろうか?
つまり人間は周囲の他者たちからの搾取によって初めて、自ら「人間」を名乗る最低限の権利さえ手に入れているのだとすれば? その場合みんなが平等に「普通の人間」として扱われるという状態など、完全に夢物語だという話になる。
もちろん特定の他者からの搾取を反省して停止することを決意し、「あなたたちとは今後は平等な関係を築き上げます」という話なら十分可能だ。
ただし、そのときこの正義以外の何物でもない契約を交わす両者は、ともに別の声なき他者を搾取することについて、暗黙の合意をしているのだ。
この共同の「搾取対象」の名前が人々の間で口にされることは一切ない。むしろ口にすべき名前などいまだ持たないことで、その対象たちは悲惨な搾取に甘んじるしかない立場に追い込まれていると言えるのだろう。
そんな地獄のような世界がこれまで延々と続いてきて、その歴史からの出口がいまだ一度も見えたことがないのだと思うと、昼間であってもついアルコールに手が伸びてしまうのは無理からぬことだ。
おそらくそれは、人類がすべて地を這うほどに泥酔して前後左右もわからなくなっている状態にしか、搾取のない平等な世界は存在しえないということを、我々が本能的に知っているからではないだろうか。
その世界は健康面から見れば暗黒のディストピアでしかないが、アルコールの底で体を壊して死に絶えるまでの間、我々は絶対に手に入らないと思えた精神的な理想世界を、つかの間生きることになるのだということを、うっすらと気づき始めているのかもしれない。