2019/04/16

候補者の名前を連呼する車が近所を通り過ぎるたび、私もまた同じ名前を叫びながら家を飛び出して、選挙カーの後を追いかけたくなる衝動を抑えることができない。
この社会をより良いものにするために身を捧げる仕事を「私がやります!」と自ら名乗り出る人々が世の中からいっこうに尽きる気配がないのは、なんと素晴らしいことだろう? スピーカーからの演説に耳を傾けたり、ポスターの文字を眺めているとどの候補者も「この社会が人々の笑顔であふれた幸せな空間になるように全力を尽くしたくてたまらない」という思いで頭が一杯だということが一瞬で伝わってくる。
こんなに情熱を隠し切れない候補者たちからとても一人に絞ることなど不可能だし、思い切って全員当選にして力を合わせて素晴らしい世の中をつくってもらってはどうか? という内容の文面を何度も選挙管理委員会に投書したが、いまだに返事がこないままだ。きっと投票箱の中身を数える仕事が消滅して無職になるのを恐れた彼らに、私の案は握りつぶされているのだろう。世の中が素晴らしくなっていくことよりも自分の当面の生活の方が大事だ、というエゴイズムがそこには透けて見えると言わざるを得ない。
だが、百人のうち九十九人が幸せになれるなら、残りの一人は失業して路頭に迷っても構わないのか? けっしてそんなことはないのだというのが21世紀の人類が出した結論なのだ。
そこで投票箱など必要のない「立候補すれば誰もが当選する社会」が実現すれば、そんな気の毒な失業者たちも一人残らず議員として世の中のために尽くすことが可能だと断言できる。
街角でより多く名前を連呼した者だけが議員になるという不平等なシステムは、いまや完全に時代遅れだということを知るべきなのだ。そんな過酷な競争を勝ち抜いて権力を手にした者に、蚊の鳴くような小声でうめくことしか能のない弱者の気持ちなど、絶対にわかるはずがないのだから。