2019/04/12

この町にはいくつかの公園とコンビニがあり、貧乏な人間が気分転換にふらっと立ち寄るにはそうした場所がうってつけだ。
とくに公園は、うっかり食欲や物欲を刺激されることでそれを入手するための金がない、という現実に打撃を受ける心配がいらないから、いくらでもベンチの上で時を過ごすことができる。
意味もなく空を見上げて雲の動きを眺めていると、自分もこの世界を動かしている無数の歯車のどこかに位置しており、目の前を鳩が横切ったりすることと自分のまばたきや鼓動がどこかで連動しているのでは? といった想像が心を占めてしまう。
だとすれば、わずかな希望の破片を集めてお守りにするような虚しい営為しか残されていないこの世界を、突然素晴らしい興奮と笑顔に満たされた理想世界へと変化させるボタンのようなものも、身近などこかに発見できるのかもしれない。
それは普段は思いもよらぬものに擬態しているが、そうと知らず押した瞬間に高らかなファンファーレのようなものが響き渡り、世界は誰もが待望していた姿に自動的に変貌し始めるのだ。
最も「理想世界へのボタン」からほど遠いと思えるものに擬態しているからこそ、まだ誰もそれを押すことができていないのだろう。我々が無関心でしかいられぬような取るに足らないものや、あるいはおぞましくて指を触れたいと思う者が存在しないような代物の可能性もある。
それは一体何なのだろう? 名もないような草花? うち捨てられたアイスの棒? 思いめぐらせながら公園のベンチで周囲を見回しているうちに、今日も日が暮れて辺りは薄闇に包まれ始める。
今のところ私が指を触れたくないもので視界に入ったのは、飼い主が始末を怠った犬の糞だ。
しかしながら、たとえこの世界を絶望から救う扉が開くボタンがそこにあるのだとしても、私はそれを押す気にはなれなかった。
希望に満ちた新しい世界に「指に犬の糞を付けた人」として入っていくのは真っ平だからだ。そんなご立派な役目は、ぜひもっと志の高い人にお任せしたいものである。