2019/03/16

毎朝起きると布団を出て、まず最初にするのがラジオ体操だという人は多いだろう。
子供の頃、夏休みの朝に普段以上の早起きをして公民館の前に集まり、みんなでラジオ体操をしたという思い出は意識の底に染みついて、知らないうちに我々の行動を支配している。
そのように、かつての何気ない習慣が無意識に現在の行動を縛り付けており、いわば自分が「過去の自分の操り人形」と化している例は少なくないのだ。
あなたが鶏の唐揚げを見るたび理由もなく涙がにじんできて、そのまま箸を放り出して泣き崩れてしまうのならば、それはあなたが幼少時に家で飼っていたニワトリが野良犬に噛まれて死んだ時の行動を、鶏の遺体を前にして再現しているのだと推測される。
ただ、あなたはその過去の出来事をまるで記憶しておらず、まるで役柄が体に染みついてしまった舞台俳優のように機械的に行動をくり返しているのだ。
庭の地面に穴を掘り、鶏の唐揚げを埋葬するところまで行けばさすがに「これは子供の頃に可愛がっていたニワトリを葬ったシーンの再現なのでは」と気づくだろう。だがあなたはそうはならず、さんざん泣き崩れた後にけろっとして「はて、おれは何が悲しかったんだろう?」と首をかしげながら目の前の美味そうな唐揚げをパクつき始めるのだ。
まったくあなたという生温かい肉塊の言動は矛盾に満ちており、一瞬も目が離せないのである。