2019/03/08

隣の家の夫婦は、夫がどことなく墓石に似ていて、よく見ると妻が卒塔婆に似ている。だから夫婦そろって町を歩いているところを見かけると、私は何となく先祖の墓参りに行きたいような気分になってくる。
それはけっして悪いことではないだろう。最近では日々の多忙に紛れて墓参りなどが疎かになっている家庭が多いのではないだろうか? 先祖を敬うという心には、自分の足元を見つめて明日からの人生をしっかりと歩いていく力になるものが含まれているような気がする。今は単なる白骨として地面の下に埋められている人々も、かつては洋服を着たり眼鏡を掛けたりして生き生きと活動していたのだと思うと、なんだか胸の奥が温かくなるような不思議な気分だ。
そんな貴重な体験をさせてくれる隣の家の夫婦に、私はいつも心の中で感謝の気持ちを伝えるのに余念がなかった。そのテレパシーがとうとう通じたのだろうか? 今日は前を歩いていた彼らが同時に振り返ってこちらを見た。だが私の顔を覚えていないのか、二人は無反応のままふたたび前を向いて歩き始めた。やはりこんなご時世とはいえ、近所づきあいは積極的にすべきだと痛感させられる出来事であった。