2019/11/02

つかのまの人生。煙草の煙が部屋の天井を一周して、ほどけて見えなくなるまでの時間のような、このぼんやりしたひとときを誰もが過ごしている。
いっけん忙しくバタバタと立ち働いているように見える人も、心の奥では煙草の煙がほどけていくのをぼんやりと眺める時間を過ごしており、それは気がつけば尽きてしまうわずかな月日なのだ。
そんなことを思っていると、ただ一人で胸に秘めているだけではなく「誰かとこのことを心ゆくまで語り合いたい」という気持ちがふつふつとわいてきた。だが家の中には私しかいないので、話し相手をさがすにはどこか公園などのにぎやかな場所へ移動しなくてはならない。
それは少々面倒だなと思った私は、何か話相手になるものを家の中で探すことにした。
いつか誰かに土産物としてもらった、ちいさな木彫りの人形。お菓子のおまけとしてついてきたのを捨て忘れたような、プラスチック製の何らかのアニメのキャラクター。およそそんなものくらいしか見つからなかったが、何もない虚空に向かってしゃべるよりはましだ。そう思って私はテーブルに置いたそれらに向かって、さっそく話しかけはじめたのだ。
「人生というのはほんのつかのまのうちに過ぎていくものだ。昼寝の際に見る夢のような、じつにはかないものだということが近頃は実感できる。それは私が年齢を重ねて、人生というアルバムに記念写真を貼りつけてきた結果、それらの枚数のあまりの少なさに思わずため息をついていることと関係があるのかもしれない……」
まるで自分のセリフに合わせたかのように、このとき私は深くため息を漏らした。だが熱心に話に聞き入っているかに見えた人形たちは、とくにため息をつくこともなく無反応のままだった。
一瞬立腹しかけた私だが、
「人形は呼吸をしていないのだからため息をつくことは不可能なのだ」
そんな事実にすぐに気づき、冷静になって話の続きを再開した。
だが何を語っても相槌さえ打つこともなく、まして自分の意見を述べる気配のない存在が相手ではまるで自分が聞くべき価値のない下らない話を無理やり聞かせているような錯覚を覚えてしまう。
そこで私は瞼を閉じて、話の続きを語り続けた。
すると私が矢継ぎ早に繰り出す言葉に表情豊かに反応し、さかんにうなずいて同意を示してくれる人形たちの姿が目に浮かんできた。
私はうれしさのあまり自分の表情が綻ぶのを感じた。近くに鏡はないし、目を閉じている以上もちろん、自分でそれを見ることはできないのだが。