2019/08/04

海の底で海藻がゆらゆらと揺らめいているさまは、神秘的でもあり、もちろん涼しげにも感じられるものだ。
あまり深い海では太陽の光が届かないから、ある程度の浅い海底が望ましいように思える。とはいえ、私には海底に潜る趣味はないから、そのような光景(ゆらめく海藻)はテレビ番組などで見たか、頭の中で想像したイメージなのだろう。
暑さが厳しい日がまるで終わりのない悪夢のように続くとき、そんな光景こそ人々が無意識に求めているものだと云えるかもしれない。
地上波やBS、ケーブルテレビなども含めたあらゆる放送局をジャックして、さらにインターネット上のすべてのサイトもハッキングして「海の底で海藻がゆらゆらと揺らめいている光景」の映像を流し続ければ、我々の体感気温が一気に十度くらい下がるのでは? といったことが予想される。
おそらく技術的には十分可能なはずだが、そのアイデアを実行に移した場合思わぬ副作用が生じることが懸念されるのだ。
いきなり海底の光景が目の前に映し出された場合、かつて嵐の日などに船の甲板から海へ投げ出され、溺れた経験を持つ人たちが一斉にフラッシュバックを起こす可能性がある。
このまま暗黒の海に沈んで二度と浮かび上がれないのでは? という絶望感や、呼吸ができず大量の水が鼻や口から入ってくることへのパニック、凶暴な鮫などに襲われて手足が食いちぎられることへの恐怖。
そうした負の感情が一斉によみがえり、苦しめられる人たちがいることを想像したら、たとえどんなにいいアイデアに思えたとしても「海の底で海藻がゆらゆらと揺らめいている光景」でこの世のすべてのディスプレイを占拠することなど、けっして許されないことはわかるはずだ。
世の中の99パーセントの人間が快哉を叫ぶような行為は、必ず残り1パーセントの人たちに地獄のような犠牲を強いるということを忘れてはならない。
もちろん個人的に自宅のパソコンなどでそういう映像を見ることは、まったくの自由である。時には誰かにPTSDを発症させるような注意すべき映像もまた、各自が節度をもって楽しむ分には、一服の清涼剤ともなりうるのである。