2019/08/23

ごく身近にあると感じられるものでも、たいていは視界に入ってなどおらず、いきなり消えたり再出現したりしたところで、反応する人間はごくわずかなものだ。
たとえば私の住むアパートの屋根の色が突然赤から紫に変わったとして、いったい何人の人が目を丸くして立ち止まり、首をひねってみせる程度の反応を示してくれるだろう。
なんとなく違和感をおぼえることはあっても、それを意識して原因探しに精を出すような人間は皆無かもしれない。これが間違い探しのクイズであり、正解すれば賞金が出るというなら話は別だが、私としても賞金を出すような経済的な余裕はないのだ。したがってせっかく苦労して塗り替えた屋根が人々の無関心にさらされることになるはずで、それが予想される以上、わざわざ金と手間をかけてまでペンキ塗りを始めようと思えないのは無理のないことだ。
こうしてアパートの建物は日に日にみすぼらしさを増すばかりで、何か新しい表情をアピールするような工事が施されることもあり得ない。
いわば見捨てられたアパートであり、朽ち果てていくその過程を見守るためにわざわざ家賃を払って住み込んでいるようなものだ。自分でもなんて物好きなのだろうと苦笑いを浮かべてしまう。
だがここに暮らしていることで、何もいいことがないと云えば嘘になる。たとえば庭の雑草を生えるままに放置しておくと、その中にいかにもおいしそうな葉っぱが混じっていることがあるので思わず「今夜のおかずにぴったりだぞ!」と叫んでそれを摘み取り、茹でてお浸しにしたり、そのまま生でサラダとして食卓にのぼらせることもできるのだ。
だが、それらの葉っぱはいずれもひどい味で食えたものではなかった。
美味しく食べられる植物とそうでないものは、いったいどこで区別すればいいのだろうか?