2019/08/21

今日は珍しく電車に乗って名も知らぬ田舎町まで足をのばしてみた。
さすがに無名の町だけあって、駅の改札を出ると目の前には畑とも資材置き場ともつかない曖昧な土地が広がっており、それ以外にとくに視界に入ってくるものがなかった。
どうやらこの場所が無名である原因はこの辺りにあるのかもしれない、と私はピンと来た。
つまり駅前という外部の人々の第一印象をもっとも左右する眺めがこの有り様だから、この土地はいつまでも知名度を上げられないのだろう。いわば自己紹介が下手なために人々の社交の輪に入れない人間のように損をしているのだ。
そう気づいた私がため息をつきながら遠くに視線を向けると、荒廃した土地のむこうに派手なパチンコ屋の看板がその存在を主張していた。
「いっそのこと、この町は〈パチンコの町〉であるというアピールを前面に打ち出してみてはどうか? 改札を出ると正面に巨大なパチンコ玉を模したオブジェがあり、パチンコ玉のように銀色に塗られた送迎バスが次々と発着して人々をパチンコ屋へと運んでいく。つまりこれからパチンコを思う存分楽しみたい人々が、事前に自らパチンコ玉の立場を疑似体験する、町自体が一種のパチンコ台と化すという粋な趣向は、まさに〈パチンコの町〉にこそふさわしい画期的なものだと云えるだろう」
私は心からほとばしるように溢れる町おこしのアイデアを、惜しげもなく口に出していた。
だが駅前の空間には人影がまるでないばかりか、駅もどうやら無人駅のようで、生物の気配といえばミンミンと鳴く蝉と地面に列をなす蟻くらいのものだ。
蝉や蟻に町おこしを任せるのは、いくらなんでも無謀というものだろう。
かれらにとって快適な町は人間とはまったく違う。同じ生き物どうしなら理解し合えるというものではなく、我々はどこまでも平行線をたどるしかない。