2019/08/13

時には何の目的もなく、足の向くままに任せて道をさまよってみるのも悪くないだろう。
そう思ってはいても、目をつぶって歩いているのでもない限り、やはり無意識のうちに自分の行きたくない場所を避け、好ましく思っている場所へと接近してしまうものだ。
それではつまらないとばかりに、両目と両耳をふさいでいきなり町に飛び出したら、たちまち車に轢かれて大怪我を負ってしまう。
「いくら目的とは無縁な彷徨を望んでいても、そのせいでいちいち怪我をして入院していたのでは医療費も馬鹿にならない……」
気がつくと私は最近できたばかりのディスカウントスーパーの前に立っていた。
もちろん、何かを買いにきたというわけではない。入口の自動ドアをくぐり、まるで美術館を順路通りに見ていくような目つきで、さまざまな商品を眺めるだけの時間を過ごした。そもそもポケットに財布など収められていないのだ。
それでも高級スーパーではなくこの店にたどり着いたのは、こうした庶民的な雰囲気の店内を好ましく思う気持ちが、私の体に沁みついていることを意味している。
「どうせ見るだけなら高級な食材や高級なワインなどを思う存分凝視したい、といったタイプの人も世の中にはいるだろう。自分がどのタイプに分類されるかは、足の向くまま街をさまよってみない限り、自分では知ることのできないことなのだ。そう思えば、今日のような散歩にも未知の自分と出会うという隠された目的があるのだと断言できる」
いつの日か、ふとした弾みで「すべての商品をそのへんの石ころと交換できる、究極のディスカウントスーパー」にたどり着く可能性もゼロとは言えないだろう。
心の奥底でそれを望んでいる限り、私の歩みはいつもその夢の実現する場所へと、少しずつ近づき続けているのである。