2019/06/19

梅雨の時期は毎日の散歩を怠りがちになり、運動不足から健康に悪い影響が現れることが懸念される。
頭の中でさまざまな特色のある町を散歩することは多いが、そのとき肉体はとくに使っていないのでそれだけでは運動にはならないのだ。
頭の中でさまざまな町を散歩するくらいなら、自宅の特筆すべき点のない六畳間をぐるぐると何周もしていた方が、健康管理のための行為としてはずっとましなのである。
見慣れた景色が、しかも短い周期でくりかえされるだけなので何ら楽しい気分にはならず、これなら洗濯物として洗濯機の中で回転していたほうがよほど充実した時間が過ごせるのでは? と思うほどだが、ここで私はあるひとつのアイデアを思いついた。
見慣れた六畳間をぐるぐると回転する際に目をつぶり、同時に頭の中でさまざまな興味深い点のみられる町を散歩して回るのである。
実行してみたところ、これはなかなかすぐれた方法だとわかった。運動になるというだけでなく、実際に歩行しながらの想像には臨場感が生まれ、バーチャルリアリティーとでも呼びたくなるような迫真の街角が目の前に出現したのだ。
「この道沿いには三角形だけを組み合わせたような奇妙な家ばかり並んでいるな。そして横を走り抜けていく自動車は表面に無数のキノコが生えていて、まるで森の奥に何年間も放置されていたかのようだ……」
感銘を受けながら歩いていると、突然そのキノコカーの一台がハンドル操作を誤ったのか、私に向かって突っ込んできた。
跳ね飛ばされた衝撃で思わず目を開けると、眼前にはキノコカーではなく子供用のカラフルな玩具の車と、それにまたがって驚いたように目を見開く幼児の姿があった。
どうやら私は散歩する町の光景があまりにリアルだったため、部屋を飛び出してアパートの前の路地を裸足でさまよっていたらしい。
「なるほど、あまりにリアルにつくられた人工世界は現実との境界線が薄れ、それを体験する当事者をふらふらと現実の外へとさまよわせる危険があるということがわかった。だが本人にとっては現実の外でも、現実はそんな想像の世界を包み込むようにして続いているのだ。そこで出くわすさまざまな軋轢に対して、夢の住人にはなんら責任は取りようがない……」
私は自分の置かれた立場をすみやかに言葉にして整理したが、目の前の幼児には少々話が難しすぎたようだ。
ぽかんとした顔でこちらを見上げていたと思ったら、「ぶー、ぶー」とつぶやきながら車とともにどこかへ行ってしまった。
他人を轢いておきながら謝罪の言葉すらない。そんな彼もまた、何らかの仮想現実の中をさまよっているのかもしれない。