2019/06/20

たびたび赴くことのあるコンビニが、雨が降っているせいだろうか? どこか物憂い空気に満たされていた。それは誰かの感情が店内をそんな雰囲気に染めているといった印象ではなく、その建物自体が、そこにいる人たちに感情を伝染させているかのようだったのである。
「こんなことは時々あるんですよ。コンビニというときわめて無機質な、どこでも同じコピーされたような店舗だと思われている節があります。でも実際はどこか生き物のような得体の知れなさが感じられ、突然機嫌が悪くなったり、笑い出したり、はたまたこんなふうに憂鬱に沈むこともあるんです」
顔見知りだが一度も話したことなどない店員が、何も訊かないうちにそう語りかけてきた。
きっと私の顔に「この店はどうしてこんなに物憂い雰囲気なのだろう?」とでも書かれていたのだろう。
店を訪れる客がどんなことを思っているか、顔を見ただけで察知するのはすぐれた店員の特徴である。普通は察知してもただ黙って見守るだけだが、ここぞというタイミングで助け舟を出すことができるのが、そうした店員の特権というべきものだ。
「コンビニを訪れる私たちは、知らぬ間にそのコンビニを介してひとつの気持ちを共有しているということですね。それはSNSにおけるカジュアルな政治的連帯にも似た、これからの社会をよくしていくための運動の出発点にコンビニもなっていく可能性があることを、私たちに示しているのかもしれません」
私がそう返答すると、店員はメランコリックな表情のままうなずいた。そこへ割って入るようにレジに商品を置いた女性客もまた物憂い顔で、この店と連帯する一人であることがうかがえた。
いつかこの店が単なる幼児的な喜怒哀楽の発露を卒業し、真に社会を改革し理性と思いやりに満ちた理想的な世界をつくる意識に目覚めたなら、私たちはそのための手足として惜しみなく働くべく喜んでこの自動ドアから外へ飛び出していくだろう。
その日まで、あとどれくらいの月日が必要だろうか? そんなことを胸のうちで思いながら、私は特に何も買わずコンビニを後にしたのだった。