2019/06/18

昔住んでいた町をふと訪れたところ、一本の木が生えていた。
こんな木が当時生えていたかどうか、そんなことまでは覚えていなかった。痩せていて簡単に折れそうな木だったので、ごく最近生えたのかもしれないと思った。
試しに握って力を入れると、ほんとうにポキンと折れてしまった。
「だがこの木はきっと最近生えたはずだと、つい今しがた思ったばかりだ。それはべつに、折ってしまったから罪の意識を軽くしようとしてそう思ったわけではない。折ってしまう前にそう思ったのだ。だから逆に云えば、最近生えた木だからべつに貴重ではないし、すぐにまた生えるだろうとの思いが無意識にあって、つい力を入れ過ぎてしまったのかも」
そう独り言を口にしてはみたものの、記憶をたどるとこの場所にはやはり昔から木が生えていたような印象がある。
その木には、ちょうどこんな季節には豊かな果実が実り、それをもぎとって齧りつくのが毎年の楽しみだったのだ。
私がポキンと折ってしまった木には、もう二度と実りの季節は訪れないかもしれない。
だが、よく考えてみれば現在ひとつの果実も生っていないこの木は、すでに果実をなす力は残されていず、あとはただ余生を過ごすだけの存在だったような気もする。
そもそもくだものなど、その辺の木に生っているものを食べるのではなく、スーパーで購入して食べるのが文明人のたしなみではないか?
そんなものを喜んで食べていたかと思うと、かつての自分が猿同然の野蛮人に思えてきて不愉快な気分になる。
「そんな思い出したくもない過去とつながるこの木を折ってしまったことは、結果的に私をさらに文明的な生き方へと後押しするいい機会となって、むしろ喜ばしい出来事だったのかもしれないな」
そう思うと私はすっかり機嫌を直して、帰りにはスーパーで枇杷を買った。