2019/06/03

毎朝目を覚ますとまずテレビを点け、順番にすべてのチャンネルを表示させた画面を凝視。「まだオリンピックが始っていないかどうか?」を確認することが私の日課になっていた。
もちろんタイミングが悪くて中継中のチャンネルを素通りする可能性はあるので、 新聞やネットの情報に目を通すことも怠るわけにいかない。
ネット情報によればどうやら開催は来年のようだからひとまず安心だが、 ネットにはさまざまなデマやフェイクニュースが溢れているとも聞くので、けっして油断することはできない。
誰か人に会うときは、さりげなくオリンピックの話題を持ちかけて相手の反応を見るのも大事なことだ。もし開催中なら最新の競技の結果などが湯水のように興奮気味の相手の口から溢れてくるだろう。
今日は近所に住む知人の鈴木さんにバッタリ会い、さっそくオリンピックのことを話題に忍び込ませてみた。
するとにわかに鈴木さんの表情が曇り、明らかに敵意のこもった目で私を睨みつけてきた。
「前に云いませんでしたかね? 私はオリンピック反対派なんですよ……」
そうぽつりと鈴木さんが漏らすのを聞いて私はすっかり動揺してしまった。
この世にオリンピックという何よりも素晴らしい、国民への贈り物のようなイベントがあることに反対の人がいるとは、まったく想定していなかったのだ。
もしかしたら鈴木さんはオリンピックに個人的に嫌な思い出があり、そのことがトラウマになっているのではないだろうか?
かつて何らかのオリンピックに出場を果たしたものの惜しくもメダルを逃し、そのことで世の中から心無い非難や中傷を大量に浴びて、非常に深く傷ついてしまったかもしれない。
この国の人々にはたしかに努力するアスリートへの尊敬の気持ちが足りず、単に自分の願望を投影して盛り上がるための道具として見ているようなところがある。個人の確立が遅れた、昆虫や鳥の群れのような野蛮な国民性がいまだに大手を振っている点については、率直に認め反省しなければならないだろう。
そんな身勝手な国民を代表して鈴木さんに丁寧にお詫びの言葉を述べたところ、鈴木さんの険しかった表情がほんの少しだけ緩んだような気がした。