2019/06/02

夜になると私は、行きつけのスナックにひさしぶりに顔を出してみようという気になった。
そこで信号を渡って、道の反対側にある建物へと近づいてみたところ、どうやらスナックは最近閉店してしまったらしく、ドアにそんな内容の貼り紙が貼りつけてあった。
そういえばいつも店内は非常に空いていて、他の客がいたかどうかさえぼんやりとしか思い出せなかった。いたとしても店の隅のほうに小さくなって飲んでいるような陰気な客ばかりで、せっかくカラオケも完備されているのに店内は盛り上がりに欠け、新しい客も寄りつかなかったのだろう。
場合によっては店内にマスターや従業員の姿もなく、ただ薄暗い照明の下で何時間もぼんやり座っていた挙句、そのまま店を出たこともあった。
それはまるで無人の幽霊スナックのようなものがなぜか近所に出現し、自分がそこに迷い込んだかのような貴重な体験だったように思う。
この店にもっと陽気で金払いのいい客がたくさん訪れていれば、閉店などせずマスターや従業員たちも路頭に迷うことはなかっただろう。
だが陽気な客は陽気な店に自然と集まるものだから、陰気な客ばかり呼び寄せたこのスナックはマスターや従業員たちの性格もまた陰気であり、「類は友を呼ぶ」という古いことわざの正しさが証明されただけかもしれない。
とはいえ、考えてみればもともと陰気だったスナックが経営不振で閉店したところで、単に同じように静まり返っているだけで変化などないのだ。
むしろ無口な人間が一箇所に集まっている気づまりな状態より、誰もいないほうがずっと気が楽で思いきり羽が伸ばせる快適空間のような気がする。
店内に人っ子一人見かけず、呼吸音さえしないのにもかかわらず望みの酒とつまみが素早く用意され、頼んでもいないのに歌いたい曲のカラオケが次々とセットされるスナック。
現在もっとも人が求めているのは、案外そんな店なのかもしれない。閉店したスナックはそんな理想の空間へと最接近した場所なのである。