2019/06/16

生きることにはさまざまな苦しみがともなっている。それらを引き剥がし、ただ穏やかに日々を送りたいと願うのは贅沢なのだろうか?
雨の日が不快だからといって、毎日快晴にすることができたら水不足で人は絶滅してしまう。それがゆるぎない真実だというのなら、せめて雨を不快に感じず、どんな雨でも楽しめるくらいには我々の日々の苦しみの対象を、そう感じないようにわれわれをどうして神はつくってくれなかったのか?
そんな人生の根源的な問いが心の奥から暗い泉のように湧いてきたので、バイトを休んで家で酒を飲んでいたら突然電話がかかってきた。
どうやらバイト先に「休みます」という連絡をするのを忘れたらしく、電話のむこうで店長は無断欠勤だと思い込み、烈火のごとく怒っているようだ。
そうではなく、これは人生の根源的な問いに絡みつかれて立ち上がれなくなり、連絡さえも忘れてしまうほどの重症なのだと説明したがわかってはもらえなかったようだ。
今すぐ出勤してこなかったらクビだ、という宣告が一方的に為されたので、私はため息まじりにこうつぶやいた。
「まったく、資本主義に洗脳されて金儲けに血眼になっている商売人というのは、たまには哲学書をひもとくような余裕もないのだろうか? それくらいの多忙さの中に閉じ込めておくことで、現状への批判的精神を育む芽を摘んでおくという資本のぬかりない企みを感じる。そろばんを弾くのだけが得意な猿たちが、我が物顔で高い地位を誇るのが現代社会なのだ。このまったくひどい見世物小屋の中では、哲学書の売り上げは減少し続けるしかない……」
独り言のつもりだったが、どういうわけか電話のむこうの店長にも届いたらしい。反論にもならない喚き声が聞こえたかと思ったら電話は切れていた。
どうやらクビだと云いたいらしいが、今ここで電話をかけ直して説得しても、頭に血がのぼっている彼には私の言葉は理解できないだろう。
後日改めて、かんたんな哲学の入門書などを持参して店に顔を出し、さりげなくお勧めするところから会話を始めたいと思う。
資本主義に飼われた猿に過ぎないとはいえ、店長の料理の腕はなかなかのものだ。
とくにナポリタンの味は絶品であり、みなさんも機会があれば味わってみてはいかがだろうか?