2019/06/15

何の音も聞こえていないラジオをじっと見ていると、聞こえるはずのない番組がそのスピーカーから流れているような気がしてくることがある。
それはラジオを聞くという子供の頃からの習慣が、物体としてのラジオに染みついた記憶として何度でも体験を反復しようとする、人間存在が演じる不思議な戯れなのだろうか。
「馬鹿な。何も聞こえるはずがないじゃないか……」
電源が入っていないどころか、電池切れになったまま何年も交換していないラジオ。そんないわば仮死状態のラジオを前にして、私は自嘲するようにぽつりと呟いた。
だがいったん奇妙な暗示にかかってしまった私には、そんな自分の声さえスピーカーから聞こえたパーソナリティーの声のように感じられたのだ。
(こんなことでは、うかつに独り言も云えないな……)
私は頭の中でそう吐き捨てると、テーブルの上のラジオを睨みつけた。
すると驚くべきことに、そんな心内語さえもがスピーカーを通じてパーソナリティーの愉快なお喋りの口調で聞こえてきたのである。
これではもう、私は独り言どころか、心内語さえも禁じられたも同然なのだ。
何も口にしてはならないし、何も考えてさえもいけない。べつに誰かに命じられたわけでもないそんなルールにがんじがらめとなり、私は自分の部屋にいるというのにまるで人権意識の低い蛮族の国の牢獄にいる気分になっていた。
そのとき窓の外に、近所でたまに見かける老婆が不審そうにこちらを見つめて立っていることに気づいた。
時々自宅を抜け出して気ままに徘徊し、町内放送で情報提供が呼びかけられているちょっとした有名人の老婆だ。
その老婆がどうやら何かを話している口元の動きが、窓越しに見て取れた。
「自分を縛る鎖をまるでご自慢のファンションの一部のように感じていないか? まずはそのセンスのいい衣類とやらを脱ぎ捨てて、可能な限り自由になってみるのが大切なのだと思われる。自由を恐れる心が、ありもしない牢屋を幻視させるのだろう」
厚いガラスに阻まれて、実際に聞こえてはいないはずの彼女の声が、電池切れのラジオから低く漏れ聞こえてきたのだ。
私は感銘を受けてその言葉を聞きながら何度もうなずいた。庭に無断侵入してきた徘徊老人が実際にその発言をしているわけでないことは理解しているが、それではこの素晴らしいアドバイスを惜しみなく私に与えてくれたのはどこの誰なのだろう?
しばらく考えてみたがいっこうに結論は出ず、いつのまにか外は暗くなっていた。
老婆はまだ同じ場所に佇んでいるようだが、闇に紛れているのでとくに気にならない。