2019/05/22

空のどこかで雷鳴がゴロゴロと鳴り始めると、誰もがぼんやりとした不安に包まれて心配そうに周囲を見回しはじめてしまう。
さらに稲光まで閃きだせば、もはや全員が今にも泣きそうな顔を隠せない。ゴリラのように体を鍛え上げた体育会人間も、コンピューターのように頭脳明晰な理科系人間も同じように目を潤ませ、ブルブル震えているではないか。
まさか成人式を終えた後の人間が「雷様にへそを取られる」といった与太話を信じているとは思えない。しかしながら、子供のまだ柔らかい新鮮な豆腐のような精神に刻み込まれた「雷様にへそを取られる」という恐怖は、大人の理性でいくら上書きしようとしても無駄なのだ。
どれだけ隆々とした筋肉も豊富な科学的知識も、すでに手遅れである。周囲の大人が犬猫でも躾ける感覚で気軽に植え付けた雷に関する迷信が、その子供の一生を支配する。雷鳴を耳にするたび蘇るトラウマが、人生にあり得たはずの自由を私たちの精神から奪い取ってしまうのだ。
子供たちを刺激的な暴力映像やポルノなどから守らなければならない理由が、ここにはある。柔らかい豆腐の表面に消えない傷がつかぬよう、盾になって跳ねのけてやるのが大人の義務なのである。
そうした義務が誠実に果たされていたなら、雷がゴロゴロ鳴るたびお臍を隠して右往左往する人々の群れなど目にすることもなかっただろう。
そんな呪われた人生を歩む負の連鎖を、勇気をもってここで断ち切らなければならない。あらゆる子供は、みんなが笑顔になって思わず歌い出すようなほんわかしたエピソードだけを延々と映し出すテレビのある部屋に、厳重に監禁するべきなのだ。
もちろん、18歳になった瞬間に部屋の扉が開け放たれるのは云うまでもないが。