2019/05/21

地元の駅前の広場にしばらく立っていたら、そんな場所に立つのは数年ぶりだということに気がついた。
めったに電車に乗ることがないとはいえ、皆無というわけではないからその駅を利用する機会は多少あった。だが駅前の広場というのは私にとって何の利用価値もないものであり、駅への行き帰りにちらっと視界をかすめる景色という以上の意味は持たない。わざわざそこに佇んで一定の時間を過ごす、という酔狂な真似をしようとはまるで考えてもみなかったのだ。
だが数年前に、たしかに自分がその「酔狂な真似」に及んだことを今日同じことをしてみてようやく思い出したというわけである。
前回のことはすでにおぼろげな記憶でしかないが、おそらく今日と同じ理由で私は足を止めたのだろう。
駅前広場にはもうずいぶん前に水が止まってしまったと思しき噴水池があるが、そのからっぽの池の中に一人の老齢の男性が座り込んでいた。
その姿勢があまりにも入浴中の人間らしく見えたので「頭のぼけたお年寄りが、銭湯と間違えて入り込んでいるのかな?」という考えが頭をかすめた。
そう思ってよく見れば、老人は全裸でもあった。これはますます私の仮説の正しさが証明されつつあるようだ。私はちょっとした探偵気分で、さらに推理のヒントになるものがないかと目を凝らした。
だが、べつによその風呂場を覗いているわけではないとはいえ、見知らぬ老人の裸を凝視するのは気まずいものだ。そう気づいた私は思わず目をそらす。
すると視界に駅の改札口が飛び込んできた。ちょうど列車が到着したところなのだろうか? 大勢の人間がその狭い出口に押し寄せ、かなりの渋滞を引き起こしている。
その分、いったん自動改札を無事抜けられた人々は解放感にあふれ、勢い良く左右に広がって飛び出していくのが見て取れた。
私がハッとして池の方へ再度目を向けると、全裸の老人は立ち上がって目を閉じ、わずかに頭髪の残る頭を両手でかき混ぜるようなしぐさを見せている。
頭のぼけた老人にとって、改札口はシャワーのノズルなのだ。